第7話 さらば憧れの街ファリネ
「さて、目的の情報収集なんだが――」
二人がファリネへと辿りついたころには既に日は昇りきっており、街中は人による往来で中心都市に相応しい活気を見せていた。石畳で舗装された道の両脇にはぎっしりと建物が並んでおり、所々で商いが行われている。
「……とてもじゃないが、大事件が起きたあとの街には見えないな」
クルーデの脱走事件から数日は経っているためか、そもそも話自体が表に出ていないのか――そこに重苦しい雰囲気などは一切なく。テリオから見ても、前にファリネへ訪れた時とそう変わりはない。
「この様子だと、情報収集も難しそうじゃないか……?」
もっと街中に話が広がっており、街角のいたるところで話が聞けると思っていただけに、しり込みしてしまうテリオ。そんな様子を見て、すかさずキビィが案を出す。
「こういうのは大元に訊くのが一番手っ取り早い。お前なら、直ぐにでも話を聞けるのではないか? 一応は騎士団員の身内という立場なのだろう?」
もちろんテリオは、クルーデを訪ねて騎士団に顔を出したこともある。
――とはいっても、それは数年以上前の話。当然、小さい頃に比べれば外見も変わっているわけで。果たして自分の顔を覚えている者がいるのだろうかと、テリオは半ば賭けのような気持ちでキビィの提案に頷く。
「……自分が行くのは構わないが、キビィはどうするんだ?」
「私は別口で情報を集めておこう。まぁ、この街の様子だ。殆どお前頼りになるだろうから、そこまで期待するな。分かったらさっさと行って来い」
そう言うな否や、キビィはテリオを置いて街中へと消えてしまった。
かつての記憶を頼りに、テリオが騎士団員の宿舎へと足を運ぶと。そもそもの前提からして、心配は杞憂に過ぎなかったことに気付く。
“過去に竜に腕を食われた隻腕の青年”、というだけでも印象が強いのに加え、その義手をテリオに与えているのは、他でもない騎士団なのだ。今でこそ成長期が過ぎて義手を交換することも少なくなってしまったが、当時は身体の成長も著しく。騎士団員がルヴニールまで訪れて、義手を届けていたことを思い出す。
「テリオ君じゃないか。久しぶりだね」
「――えっと……」
そこにいたのは、背の高い好青年といった印象の男性で。たった今、運良く宿舎の入口で出会ったのが――最後に義手を届けに来た団員その人だった。エクターという名前で、年齢はテリオ達と一回りも離れておらず。団の中でもなにかとクルーデのことを目にかけて、世話をしていた人物である。
「……お久しぶりです。クルーデのことは……」
「もう君の耳にも――いや、そうか……故郷を襲ったって話だったな」
エクターの声は重く沈んでおり、クルーデの暴走に少なからずショックを受けているようだった。なんと言ったものかと躊躇うテリオだったが――続けられた言葉に、耳を疑うこととなる。
「団長は……しばらく安静だよ。受けた傷がまだ癒えていないからね」
「――え? でも、殺害って――」
ルヴニールに襲撃があった日、孤児院でテリオは確かに聞いた。『クルーデは騎士団長を殺して脱走した』と。
「致命傷だったけど、なんとか一命を取り留めたんだ。……慌てた団員たちのせいで余計に混乱が大きくなってしまったようだね、騎士団としてはあるまじき事だよ」
そう言って苦笑いするエクターの表情は、テリオが過去に何度も見た――馴染みのあるもので。心の中の重しが一つ外れたテリオは、ほっと息をつく。
「……良かった……」
これで幼馴染の罪が少しは軽くなったからか。もしくは、憧れの騎士団長が生きていたからか。あるいは、その両方。クルーデの言っていた事とは恐らく違うだろうけども、まだ『やり直すことができるかもしれない』と、テリオは希望を見出す。
「それでも――」
――不意に、エクターの声音が変わる。
「俺たちはクルーデを追わないといけない。同じ騎士団員として」
テリオが顔を上げると、そこには先ほどの苦笑いも消え、引き締められた‟仕事”の顔があった。声を抑えて、静かに語りかけるエクター。それは恐らく説得のつもりであって、しっかりとテリオに伝わっているのを逐一確認しながらのものだった。
「君が‟クルーデの幼馴染だからこそ”教えてあげるけど――現在、この大陸内の捜索は半分ぐらい終わっているはずだ。そろそろアルデンを始め、他の大陸への捜索が始まるはずだよ。まぁ……最近、魔物が凶暴化したという話が出ているせいで、そっちの対応と原因究明にも人数を割いているのが現状だけどね」
騎士団も闇雲に探しているわけではなく。推測を立てた上で半分の地域を探して、それでも見つからないのだ。クルーデは既にこの大陸内にはいないと考えていたものの――組織としてある以上、他大陸へと入るには準備が必要で。しかし、それもようやく整ったらしい。
――アルデン。それはキビィが立てた目的地の名前だった。圧倒的に情報量の違う騎士団と、奇しくも同じ場所を目指すことになったのは、流石キビィと言うべきか。それならば少しでも自分も貢献しなければと、テリオは心に決める。
「アルデン……。――あのっ!」
「……なんだい?」
このエクターも、実は凶暴化した魔物の相手をして帰ってきたばかりで。いまこそ、剣を鞘に納めたまま杖代わりにしていたのだが――迫るテリオに対し、ゆるりと俯けていた顔を上げた。
「もし出発がまだなのなら、それに付いて行かせてもらってもいいですか?」
「……悪いけど、それは難しいと思う。団長もきっと反対するだろう。あの時のクルーデの眼差しは、一緒に戦ってきた仲間に向けるそれじゃ無かった。それに……最悪の事態が起きた時、誰よりも辛い思いをするのはきっと君だろうから」
内心、『やっぱり』という予感はテリオの中にもあった。数年以上クルーデと一緒に戦っていて。その実力を、敵に回した時の危険性を一番知っているのは――他でもない、目の前にいる彼らなのだ。
「それに……さっきも言ったように、世界各地で魔物が凶暴化したという話も出ているんだ。この街でも外出を控えるように正式に注意喚起をする予定だけど、他の大陸に比べてまだマシな方だと思うよ」
軽く包帯を巻かれた右腕を見ながら、エクターは溜め息を吐く。うっすらと血が滲んでおり、
「あちらにいる魔物は、ここらにいるものよりもずっと危険だ。そんなところに君を連れていくのも憚られる、というのも分かってくれるね?」
「……分かりました。ありがとうございます」
クルーデを追うのに加え、凶暴化した魔物にも注意しなければならない。道中で戦った小型の魔物でさえ、油断をすれば傷を負いかねない程だった。小型であれならば、普段から危険な魔物だと死に直結しかねない。――厳しい行軍となることは、テリオにも理解できたし、エクターに対しても頷かざるを得なかった。
「なにか有益な情報は得られたか?」
ちょうどテリオが宿舎から戻ったのに合わせたようなタイミングで、キビィがふらりと姿を現す。その右手には、どこかの出店で買ったのか真っ赤な果実飴が握られていた。
「いったい何をしてたんだお前は……」
「情報収集だったり、人助けだったり――こっちはいろいろと忙しかったぞ。で、お前の方の成果は?」
果実飴をむしゃむしゃと食べているキビィに疑惑の目を向けながらも、彼女の問いかけにテリオは首を横に振る。
「この大陸中の捜索は、ほぼ終わったようなものらしい。騎士団もアルデンを目標に動くつもりだと言っていた。あとは外の大陸だけど……連れてはいけないと断られてしまったよ」
「……そんなところだろう。まぁ、私たちは私たちで勝手に行動すればいいさ。私たち二人でも十分、何か問題があるわけでもあるまいに」
そう気軽に言い放つキビィは、『リナード行きの馬車の確保は済んでいる』と、御者の元へとテリオを案内する。
「……ファリネ騎士団……」
かつては憧れでもあったファリネの街を、こうした形で通過する羽目になるだなんて。幼い頃には露ほども想像してなかった今の状況を憂いながら――テリオは振り向き、そして別れを告げるように宿舎を見上げたのだった。
そして現在、リナードまでの道中。野道を走る馬車の中で二人は揺られていた。魔物に襲われる様子も特にないようで、手持ち無沙汰になった以上することは会話がらいのもの。キビィから切り出した以上、自然とその内容はテリオの過去についてのものになる。
「……聞きそびれていたが、その右腕はどうしたんだ」
「昔、ちょっと魔物に襲われてね。別に珍しいことじゃない」
今でこそ、騎士団が機能しているため数は減っているものの――魔物に襲われて命を、身体の一部を失ってしまう、というのは少なからずあった。
「……あぁ、魔物の凶暴化に付いては、騎士団でも原因究明中だってさ」
「ふぅん……今はどうでもいいことだ」
自分の両親の事を思い出しそうになったテリオは、何気なく別の、騎士団で聞いた話を出したのだが、キビィには話を逸らさせるつもりはないらしい。
「……で、お前が追っているクルーデ――‟銀腕”と言ったか。親友同士で義手というのはだいぶ珍しいことだと思うんだが」
「……同じ魔物に奪われたからな。“小さい頃は”同じことを考えて、同じように動いて――まるで本当の兄弟のようだと、先生にはよく言われていたよ。……まぁ、それも途中までで、クルーデは人気者、俺は問題児になっちゃったけど」
何時からだっただろうか。周りにいる人の数が偏り始めたのは。気が付けばクルーデは人々の中心で輝いて。今では子供たちの憧れであって。それがテリオにとっては直視できない程に眩しく、まるで太陽のような存在だった。
「おい、テリオ。さっさと起きろ」
馬車に揺られておよそ一時間。少しでも疲れを取ろうと仮眠を取っていたテリオだったのだが――キビィにかけられた声によって、目を覚ますこととなる。
「……そろそろ近いぞ。嗅いでみろ、港町特有の潮の香りだ」
馬車は生い茂る木々の中を抜け、ようやく森から出た先に広がっていたのは、どこまでも続くかのような青い海だった。
目的の港町、リナード。
日の光を反射して輝く海に、テリオは目を細める。港町、吹き付ける海風、潮の香りが、テリオに新たな世界への旅立ちを感じさせた。