第6話 想いを言葉に
「遅かったな。あぁ、遅すぎだ」
「――キビィ!」
二人が扉を開いた先にあったのは――紫がかった水晶の玉座に佇むロクァース、檻の中で倒れているキビィ、そしてまるで彼女の影のようにそっくりな少女の姿。
襲撃者が来ようとその余裕を崩すことも無く。肘掛にもたれ、頬杖を突きながら、ロクァースは見下すように二人を眺めていた。
「時間は有限だと、そう習わなかったのか? お前らがモタモタとしている間に――ツィルニトラはこれで完璧と成った」
ロクァースがパチンッと指を鳴らすと、ツィルニトラと呼ばれた少女の両手から次々に湧いてくる黒い靄。それは二人の見ている前で――靄竜となって立ち塞がってきた。
「キビィは俺が助けに行く……!」
「あの男は俺が相手をすればいいんだろ……!」
クルーデは真っ直ぐにロクァースの元へ、テリオはキビィの囚われている檻へとそれぞれ剣を抜きながら駆けて。次から次へと切り払いながら進んで行く。
「何か変わったようには見えないがな。知ってるか? そう言うのは――」
幾度となく追手を退けてきたクルーデにとって、いまさら靄竜などなんの障害にもなりはせず。確実にロクァースとツィルニトラへと距離を詰めていた。
「馬鹿の一つ覚えと言うんだよ!」
ただ不自然なのは、フラルと協力しなければ倒せないほどの大型がいないこと。今や身を守るのはツィルニトラただ一人という状況まで追い込んだにも関わらず――未だにロクァースが笑みを崩さないことだった。
「目の前の脅威に気づけないとは、全く持って哀れだな――」
それを正面に据えるクルーデが感じたのは――まるで叩きつけてくるかのような威圧感。それはあのフラルと同様か、それ以上のもので――
「――っ!?」
「おい、大丈夫か!? なぁ、キビィ!!」
「テ……リオ……。遅すぎだ……馬鹿者め……」
鍵を壊して檻の内部へと侵入し、ボロボロになったキビィを抱きかかえるテリオ。その様子をロクァースはちらりと一瞥するだけで、まるで興味が無いように吐き捨てる。
「あぁあぁ、そう喚かなくてもくれてやるさ。そいつは残りカス同然、もう用などない。――ツィルニトラ!」
彼の声に呼応したかのように、ツィルニトラの全身から黒い靄が爆発的に吹き出し――その風圧によって靄竜が一斉に霧散していく。
「――――っ」
あまりの衝撃に、二人を中に入れたまま檻も吹き飛ばされて。それはクルーデの横を掠めるように飛んだ後、しばらく転がり壁に激突した。
「…………!」
大檻が飛んできたにも関わらず――身動き一つせず立ち尽くしていたクルーデ。
飛んできた檻が、自分に当たらないと見切っていたわけではない。かといって、反応できない速度でもない。――ただ、目の前に広がる光景に。地面に縫い付けられたかのように硬直していたのだった。
「ツィルニトラ、軽く捻ってやるといい」
クルーデの目の前で――ツィルニトラは禍々しい竜の姿へと変わっていた。その面影はテリオも見たことのあるもので。――幼い頃、二人の腕を奪った黒竜のそれとよく似ていたのだった。
「――――」
咆哮を上げるでもなく、ただただ静かにその大木のような片腕を三人へと伸ばすツィルニトラ。
全身を打ちながらもなんとか外へと這い出したものの、ダメージによってまともに動けないでいるテリオとキビィ。そして過去の恐怖そのままの黒竜を目の前にしたクルーデ。
三人がその暴威に嬲られようとしたその瞬間――
「‟三度目”だけは絶対にない。あってはならないんだ――」
クルーデだけが――前へと飛び出し、襲いかかる一撃を受け止めていた。
「――恥の上塗りだけは死んでもしない! 森で……崖で――! あんな思いは二度と御免だって……!」
幼少期、森でミーテの身代わりとなって腕を食われた時のこと。そして三年前、テリオに追いつかれ、刃を交わして。負けを認めて崖下へと身を投げることになった時のこと。
「お前の前でだけは……! お前の前でだけは二度と退いてたまるものかよォ!」
「クルーデ……まさか記憶が戻ったのか?」
その叫びは、その感情の発露は、まるで竜の咆哮のようで。クルーデは全力で剣を振るい、ツィルニトラの腕を弾き返す。――が、それも巨大な竜相手では怯ませることすらできず。
「羽虫風情に何ができるんだよ、えぇ? 黒竜の影に怯えながら逃げ回っていたお前が! 完璧である俺の! ツィルニトラの前でさぁ!」
「ぐぁっ……!」
一撃一撃をなんとか防いではいるものの、圧倒的な質量の前にクルーデにも限界が訪れる。体を支える足には痛みが走り、左腕の赤金の義手は酷く歪み、剣は残った右腕だけで握るので精いっぱいだった。
「クソッタレめ……!」
「ほぉら、さっさと潰れてしまえよ! 野菜のように弾けてしまえって! 後は――後ろの二人を挽き肉にでも変えてやろうかなぁ!」
「――あんたが輪切りになるのが先かもよ」
――その瞬間、ロクァースの直ぐ傍でバチンッという炸裂音が鳴り響いた。
「……あぁ?」
「あーやだやだ。ご丁寧にも障壁で身を守ってんのね。攻撃はその子に任せて、自分だけ安全な場所に逃げようっての」
階下から広間へと入る一つの影。その輝きは、その佇まいは、水晶の宮殿に相応しく。まるで己が庭のように堂々と参上する。
「フラル――」
「どうやら最低限のことはできてるみたいじゃない。少し見直したわ。……二人とも少し時間を借りるわよ」
フラルはテリオに抱きかかえられたキビィを一瞥すると、くいと誘うように指を曲げる。ふわりと浮かび上がるキビィの身体。彼女はそのままテリオの腕を抜け――今度はフラルの腕の中に納まった。
「なんでこうも次々と、私の知り合いがボロボロになってんのかしらね……」
――それはキビィもよく知っている匂いだった。そこはかとない金属の、硬質的な、無機質な、それでいて不愉快ではない、珍しい匂いだった。一度嗅いだら忘れることのない、己の親友の匂いだった。
「フ……ラル……?」
「まだやり残したことがあるんでしょうが、あんたは。心の中が読めるのなんて世界中探したって私しかいないんだから。本当に伝えたいことは言葉にしないと駄目でしょうに」
まるで母親が我が子を心配するかのような口調で。フラルがキビィへと語りかける。自分の気持ちを口に出せと――今こそが、その最期のタイミングなのだと。
「……どうしたいの、あんたは」
「まだテリオと……一緒にいたい……!」
キビィに握られている服の皺が深くなる。小さい身体で、震えながらも。涙を零しながら彼女は想いを口にする。それはあまりにも小さく、想い人へと届きはしなくても。永い時を共に過ごした彼女が、確かに受け取ったのだった。
「……そう」
答えを聞いたフラルは小さく呟いて。小さく微笑んで。
あれほどまでに自分の欲望優先だったキビィが――人間なんて食料の一つだと嗤っていたキビィが。そんな彼女がそれほどまでに言うのならば。
――それの手助けをするのが親友の務めだろうと。赤金の竜は覚悟を決めた。
「クルーデ! その子たちは任せたわよ!」
「待っ――」
キビィをテリオへと渡し、受け取ったことを確認すると――そのまま糸によって三人の身体を浮かせて階下へと放り投げる。
クルーデだけはその場に残ろうとしたのだが、宙に浮かされてしまってはどうしようもなく。小さくなっていくフラルの背中を見ながら、ただ落ちていくことしかできないのだった。




