第6話 蒸気と鉄《くろがね》
『私たちが戻るまで、船のことはよろしく頼むわ』と、船長たちとカヌレで別れ――そのままの足でナヴァランへと向かった二人。
「――こいつは酷いな……魔物に襲われたのか?」
二人が丘を越えた先に広がっていたのは、鉄銹都市の名を冠した街、ナヴァラン――鉄と蒸気に包まれた街の姿だった。だが現在、街の東半分を占めていた工場地区は壊滅状態で、根元から折られた煙突があちこちに残されていた。
「……まだ工場が事故で爆発したと言われた方が信じられるけどね。こんなの、私であっても四つか五つ身体がないと無理だわ」
最も酷い部分では、地面がごっそりと抉り取られており――すり鉢状の地形の中にある街に、更に小さなすり鉢があるような、そんな形へと変わっていた。いったい何をどうすればこうなるのか。先ほど『魔物に襲われたのか』と言ったものの、どんな魔物に襲われればこんな状態になるのか、クルーデには皆目見当がつかない。
そうして二人が街の様子を眺めていると――
「――竜……?」
反対側の丘の陰から飛び出す影。クルーデが見た限りでは、それは翼を真っ直ぐに広げ、空を駆けているのだった。警戒する彼に、フラルは呆れたような声を出す。
「あれは……小型の飛空艇ね。貴方には空を飛んでいるものが全部竜に見えるのかしら。あーやだやだ、被害妄想って怖いわぁ」
「…………」
クルーデは口には何も出さず、心の中で『初めて見たのだから仕方ないだろう』と反論する。そんなクルーデに対して、フラルはさも愉しそうに目を細めるばかりで。
「こんな時代に無茶をするヒトもいるのねぇ。私はそういうの嫌いじゃないけど」
恐らくその“無茶をするヒト”という中に――‟崖から飛び降りた”という、記憶を失う以前の自分も入っているのだろうと、クルーデは大きくため息を吐いた。
丘を下り――街へと足を一歩踏み入れたその途端、世界が変わる。
「――凄いな」
街はヒトの喧騒によるものとはまた別の騒がしさに溢れて。
ぶつかり合い。圧し合い。噛み合い。金属と金属が触れ合う音が鳴り響く。
「……相変わらずだこと」
雰囲気に圧倒されるクルーデに対して、フラルはといえば。久しぶりに味わう臭いに、一瞬だが眉を顰めていた。――機械油の臭い。蒸気の臭い。金属を切断・溶接するときの臭い。船での旅もあまり気持ちの良いものでは無かったけれども、ここはそれ以上。
さっさと目的を済ませてしまうおうと、フラルは足早に街の奥へと進んで行く。
「一つずつ当たってみれば、いずれ答えも出るのではないかしらね」
街の中に並ぶ工房はどれも似たような外装をしており、クルーデには判別が付かないが――フラルはこの街でも顔が利く店があるのか、迷うことなく一つの建物に入っていった。
「これはこれは、フラル様ではないですか。お久しぶりです。御変わりの無い様で」
「えぇ、少し探し物があって足を延ばしたのですけれど――」
工房内へ入って一歩、クルーデは感嘆の息を漏らす。
壁に掛けられた武具の数々――その知識を失っているクルーデですらも、感じ取れる程の一級品の鼓動。その中心にある赤金の長剣においては、それの更に上をいっていた。
ただただ単純な、獲物を倒すために特化された煌めき。それにクルーデの視線は釘付けになっていた。
「この剣がどこで使われていたものか……ナヴァランの技工士なら分かるのではありません?」
「確かに、製造された地方によって装飾にも特徴はあります。ですが、こちらも全て把握しているわけではないので――」
苦笑しながら剣を受け取る店主だったが、それを受け取った瞬間に表情が緩む。
「――あぁ、良かった。さほど苦労せずに済みそうです。……ファリネの騎士団で使われている剣ですね」
そう言って、柄の部分を指し示す店主。フラルの目にはさほど特別な装飾がなされている様には見えないものの、彼には一目瞭然だったらしい。
「あそこは何年かおきに、この街へ発注をかけていますので。この剣は細かい部分が違いますが、年によってはうちの工房でも手掛けたことがありますよ」
「そう、ファリネの――」
店主の『もう少し時間を頂ければ、どの工房で製造されたかも調べることができる』という言葉に頷くフラル。店主が店の奥へと下がっていったので、長剣を眺めているクルーデの傍へと寄る。
「騎士団、ねぇ。騎士団ですってよ、貴方。なるほどねぇ、それならその剣の腕にも合点がいくわ」
ファリネの騎士団と言えば――五大陸の中でも一際小さい大陸にも関わらず、数々の強大な魔物の討伐を成功させ、世界中に名が知られている騎士団である。その功績の多さから、他大陸の街からの信頼も少なからずあり、それこそアストラやアヴァンへと派遣もそれなりに行われていた。
「もしかして、とは思っていたけれど――よりにもよって、あのファリネ騎士団ねぇ……」
ルヴニール付近の森で行われた竜討伐についての話はフラルの耳にも届いていた。
ここらで久しく聞いていなかった大型竜の討伐。死亡と同時に骨も残らず朽ちてしまったと、持って来られた情報にはあったため『もしやキビィが……』と少なからず思っていたフラルだったが――蓋を開けてみれば、適当な動物に寄生して逃げのびるどころか、つい最近まで寄生されていたであろう人間が――クルーデが空から降ってきたため、尚のこと驚くのも無理もないことだった。
「…………」
フラルの言葉に一切反応せず、赤金の長剣から視線を外すことないクルーデ。その姿があまりに隙だらけだったため、クルーデの耳元で小さく囁く。
「まぁた私の身体に見惚れてるの?」
「――っ!? 剣を見てたんだ、何を言って――」
不意を突かれ我に返ったクルーデが必死に否定するのだが、フラルがそれを遮る。
「何も間違って無いわ、その剣は私の身体から作られたものだもの」
「……どういうことだ?」
「何代も昔の話だけど――その時の工房長に何の気なしに提供したら、それで剣を作りたいって頼みこまれてね。店の家宝として、今もこうして大切に飾ってあるってわけ」
「お前のその赤金でこれほどの剣が作れるなら――っ!」
身の危険を感じ、慌てて一歩飛び退くクルーデ。フラルの右腕が、ちょうど額へと伸びる直前のことだった。
額を弾こうとしたのが不発に終わり、仕方なくフラルは腕を下ろす。
「……貴方が使おうなんて百年早いわよ。これだけ素晴らしい出来の剣なんだから、世界の終わりにでも使われないと納得がいかないわ」
「少しは滞在してもいいと思えてきたけれど、こうして手がかりが見つかった以上、あまりゆっくりもしていられないわ」
――そうしてフラルが振り返るのは、工房での店主との会話。
『そう言えば、街に入る前に飛空艇を見たのだけれど――』
『あぁ、シエルちゃんですか。彼女も技工士なのですがね、父親の跡を継いで飛空艇の製作に人生を費やしているような子で――』
『へぇ、女の子だったの……。まぁ、この時代に空を飛ぼうだなんて、男女関係なく決して簡単なことではないでしょうにね』
『荒唐無稽な事を、とお思いになられるでしょう。街の技工士の中でも彼女を異端視する者はいます。父親の代から彼女のことを知っている私としては、応援してあげたいところなのですが……』
『――フラウ様が見た時がちょうど飛行訓練の最中だったのでしょう。街が大量の龍に襲われたときも――』
そう言って店主が語ったのは、まだ記憶に新しい、数週間前の出来事。街が大量の竜に襲われ、血と爆炎に空が赤黒く染まった夜のこと。そんな夜空に飛び出したシエルとそれを助けるように現れた流星のことを。
『きっといつか、竜に歩み寄れる時代が来るはず、と言っていた彼女だからこそ飛び出さずにはいられなかったのでしょう。彼女を助けに現れた光の塊ももしかして――』
その後、光の塊は街の上空にいた竜を追い払うように飛び、街へと落下していったのだと言う。
『誰かが一生懸命に夢を追う姿を見るのはいつだって良いものです。貴方が興味を示したのも、きっとそんな彼女の姿勢が伝わってきたのでしょうな』
『――その子、気に入ったわ。復興の援助ついでに、彼女に少しだけ投資してあげようかしら』
フラルにとってはちょっとした手助けのつもりだったのだが、それを受け取った店主は目を丸くする。
『こ、こんなにですか?』
『貴方の話を聞いただけでも、十分面白そうな子ですもの。しっかりと渡しておくように、よろしく頼むわね』
「――本当に、面白そうな女の子なのだけれど――」
まるで自分の娘のことのように、嬉々として話す店主の内側、その記憶。そこにあったのは“光の塊”と呼ばれていた一頭の竜。もしかして――いや、間違いなくそれは彼女の知っている竜だった。
――が、フラウはナヴァランを後にする。
「まずはペットの記憶探しを終わらせてから、ね」
次の目的地は世界の隅の隅、五大陸の中の小さな大陸。
その中心都市である、騎士団のいる街ファリネへ――




