第7話 一息と溜息
「ただいまー!」
ファリネから戻ってきたシエルは、一番に格納庫を訪れていた。
山ほど荷物を抱えた状態で街の中をうろうろするわけにはいかず――街の人たちならともかく、伯母に見られるのはあまり好ましくないと判断したためである。
勢いよく跳ね開け、そのまま閉まりそうになる扉。ドスドスと重たい物を抱えて歩く足音。その騒がしさに、隅で丸まって寝ていたイグナも目を覚ます。
「数日開けるって……それを買うためだったのかい?」
「うん、ちょっとファリネまでね」
次から次へと、抱えていた荷物をテーブルの上に降ろすシエル。
「言った傍からそんな遠出をして……。君は本当に話を聞かな――」
「はい、これお土産。手、出して」
隣の大陸にある街の名前を聞いて、イグナは不機嫌そうな声を出したのだが――シエルが唐突に出した銀の首輪に遮られてしまう。本来ならば手ではなく前足なのだが、そんなことお構いなしで。
「……これなに?」
「何って……指輪よ。ほら、だから、手」
怪訝な様子のイグナに構うことなく、再び手を出せと催促するシエル。その勢いに押しきられたイグナは、恐る恐る右の前足を差し出した。輪の径はシエルの予想通り、イグナの指と同じぐらいの大きさで。左手のヒトでいうところの親指に、シエルは指輪をはめてやる。
「――――」
豪華に施された装飾がよく見えるよう、調整をしながら。途中途中で引っかかる部分を、ひねりを加えながら工夫して。十数秒の格闘の末、シエルが手をどけると――イグナの手の中で、銀色の指輪が光を反射していた。
「…………」
「今日は一旦材料を置きに来ただけだから」
予想以上にすっぽりと収まった指輪に、イグナは呆気にとられる。
「明日は修理に来るから! またね、イグナ!」
街へと戻るシエルへの見送りも中途半端に――イグナはそれを、しげしげと眺めていたのだった。
そして一夜明け――格納庫の中で様々な音が生まれては消える。先日の通りに、朝からシエルは格納庫で作業をしていた。動きやすいツナギに着替え、クラフトベルトを腰に巻き。買ってきたばかりの素材を使って、ガチャガチャと機体を組み立てている最中である。
「……そういえばさ、イグナにも友達がいるって話だったけど――」
「……うぅん?」
シエルの作業をしている後ろでは、いつものようにイグナが丸まって寝ており、そんな彼にシエルは顔を手元へと向けたままに声をかけた。
――別に無言で作業をしているのが退屈になったわけではなく。つい先日の、ファリネで買い物をした時のことを――結局、名前を教えてもらうことは無かった黒髪の少女のことを思い出したからだった。
「――その竜たちもさ、イグナみたいに人と話せるの?」
「そりゃあね。何百年と生きていれば、自然に人の言葉ぐらい喋れるようになるさ」
まるで自慢にもならないかのように。さも当たり前のような口調で。イグナは口にするものの、シエルにとってはそう簡単なことには思えない。思えるわけがない。
「というより、話したくなくても覚えてしまうんだよ。熱心に覚えようとすれば、数十年もかからないだろうけど」
――それでも、数十年。ただの人ならば、それだけで一生を使いかねない年数だった。
「そんなに時間がかかるものなの?」
体の構造からしてまるっきり違うのだから、話せるだけでも相当なのだが――それでも、竜に比べて寿命のずっと短いシエルには、その時を長く感じてしまう。
「……当たり前じゃないか」
『何を言ってるんだこいつは』と言わんばかりに、深く息を吐くイグナ。
「自分たちが普段使う言語でさえ――幼い頃からの成長の過程で、少しずつ身に付けていくモノなんじゃないのかい?」
ヒトでも、竜でも。生まれ育った環境に染まり、馴染み、溶け込み。そうして集団というものを作り上げていくもので。その外から来たものが、その集団の一部になるなど、時間がかかって当然なのである。
「――まして、違う種族なんだ。そんな一朝一夕でできるわけがない」
生活圏の似通っている種族ならば、長い時間をかけて自然と統一されることもあるだろう。――が、モノには限度というものがある。文字通りに住む世界が違う者同士だと、どちらかが努力をして歩み寄らねばならない。
「まぁ、中にはヒトでもいるようだけどね。精霊だったり、そこらへんの種族と言葉を交わせる才能を持ったヒトも」
しかし、それは極々少数の例だと。本来ならあり得ることではないとイグナは言う。
「並のヒトなら、何年かかっても無理だと思うよ。……急にそんなことを聞いて、いったいどうしたのさ」
「いや、ファリネで買い物したときにね? 竜の女の子に助けてもらって――」
「……ごめん、言ってる意味がわからない」
「いやいや! ホントなんだって!」
お手上げと言わんばかりに首を振るイグナに、シエルはこれでもかと力説する。ファリネに辿りついたところから始まり、イグナへのお土産だった首輪を盗まれたこと――それを追いかけていたら少女とぶつかり、何とか隠れ家である倉庫を突きとめたところまで。
「で、凄いのはここからなのよ。見た目は女の子なんだけど、実は竜で――」
「気のせいだよ、うん」
人と話せるようになるだけでも、長い時間が必要だというのに――ヒトの姿でいるだなんてもっと有り得ない。それが街中をうろついていたと言うのだから尚更である。
何かと見間違えたのだろうと、イグナは再び首を振る。
「そんなことないよ。そんなことない。確かに角とか翼とか生えてたもの。……すぐに仕舞っちゃったけど」
「……ふぅん」
こんなに艶やかな髪をしていて、こんなに可愛いかった――だのといくら言われたところで、イグナにはさっぱり想像がつかない。
「もしかして信じてないでしょっ!?ホントに、こーんな感じに黒い角と翼が――」
「あー、わかった、わかったって」
イグナはさも鬱陶しそうに、手で角やらの真似をしてみせるシエルを遮る。万が一、そんな少女が本当にいたとして――
「黒い角と翼の竜……女の子ねぇ。まさかなぁ……」
イグナの知っている中で、そんなことができる竜など数頭程度。その中でも、黒い角と翼を持った者など一頭しか思い当たらなかった。
――キビィ。
ヒトである時の姿を見たことはイグナは見たことがない。――が、彼女ならばやりかねない。
「あの大食いか……嫌だなぁ。この街にも顔を出しに来るんじゃ……」
たかだか食事の為だけに、世界中を回るような竜である。あれによって、各地の魔物の生態系が崩れたことなど数え切れたものではなく。なぜヒトの姿なのかは知らないが、恐らくファリネも同じ理由で訪れていたのではないかと。そんな考えに思い当たったイグナは小さく唸る。
「……ナヴァランから来たって言ってないよね?」
「ううん、事情を話した時に言ったけど――やっぱり、知り合いなの?」
フットワークの軽さはよく知っているだけに――この街まで食べ物を求めてやってくる姿が、イグナには容易に想像できた。
「あああぁぁぁぁ……」
世界のあちこちにいる竜の中でも、ひときわ古参に位置する一頭である。別に長く生きていることで、単純に優劣が決まるわけでもないが――イグナにとっては、それでも対面したらやり辛いことには変わりがない。
おまけに向こうは鼻が利くため、逃げ場など無いことを悟り、イグナは頭を抱える。そんな彼の様子をシエルは微笑みながら眺めていて。ポツリと一言呟く。
「楽しそうだね、イグナ」
「……どこが?」
あのイグナが頭を抱えるだなんて、と。
それは数年間、シエルが一緒に過ごしていて初めて見る反応で。だけれどいつも通りの声音で返してくるイグナに、思わずシエルは『フフッ』っと笑いを零すのだった。




