第3話 居候一頭
「まぁた、失敗して帰ってきたんだ?」
「……今回は調子良かったんだから」
投げかけられた辛辣な言葉に、口を尖らせるシエル。坑道から帰還した彼女を、格納庫で出迎えたのは――知らない者ならば、植物の塊と見間違うような。それほどに深い緑色の鱗を持った、一頭の竜だった。
「いい加減、諦めるとかないのかなぁ。……ねぇ、シエル。ヒトが空を飛ぼうなんて、土台無茶なことなんだよ?」
「もう、またそうやって馬鹿にして! イグナが私を乗せて飛んでくれれば、話は早いのよっ」
「……嫌だよ、面倒くさいもの」
イグナと呼ばれた竜の、その声に含まれる不機嫌そうな色。それはシエルが飛空艇と共にではなく、機関だけを担いで帰ってきたことに関係していた。
飛行試験に失敗したとしても、むざむざと大破させてしまうほどシエルも未熟ではない。――となると、飛行中に何か避けようのないアクシデントが起きたということに他ならず、この世界ならば竜に襲われたのだと容易に予想がつく。
「最近になってからは、本当に自制がきかなくなってるみたいだね」
鎧戸越しに外を睨みつけ、イグナは吐き捨てるように呟く。同族であるはずの翼竜たちに対して、敵意を向ける。
「ここからでも聞こえるぐらいに、ギャアギャア喚いてる。――あんな奴ら嫌いだよ。あの中を飛ぶなんて冗談じゃない」
――あんな奴ら。
シエルはドンッと担いでいた蒸気機関を置くと――身体を横たえて、億劫そうにしているイグナの方に向き直った。
「……嫌いって、同じ竜じゃない」
「まさか、同じなもんか。あんな知性も言語も持たないような、野蛮な奴等なんて――」
「そうやって悪口を言うのって、良くない」
シエルが諫めるが、イグナは意に返すこともなく。ふんっと鼻を鳴らすだけ。
「ギャアギャア喚いている分、僕より君の方が近いんじゃない」
イグナのシエルに向けられた毒舌はいつものこと。しかし、同族に対してのそれは毒舌とは別の――明らかに侮蔑の色を含んでいた。自分はあれらとは違うのだと、態度がそう示していた。
そのことを、シエルはあまり快く思っていない。
「……前々から言ってるけどさ。同族だからって、必ず仲良くできるとは限らないんだよ」
それは竜と竜でもそうだし、ヒトとヒトとでも同じことだと。これまで繰り返されてきたヒトの歴史でも、それは証明されていて。更に言うなれば現在進行形で続いていることだと。イグナがわざわざ言葉に出さないまでも、シエルに意味は伝わっていた。
「それでも――ヒトと龍が仲良くなることよりは、ずっと簡単だと思うの」
イグナは――シエルにとって唯一の“意思疎通のできる竜”だった。
その出会いは、三年前。今と同じような鈍色をした空の日で――シエルの父親である、デゼールに拾われてやってきたのだった。
飛空艇の飛行試験から帰ってくる父親を待つことが、幼い頃のシエルの日課で。その日も一人、父親の作った飛空艇の模型を眺めながら時間を潰していた。
夕方になって、慌てた様子で帰ってきたデゼール。その小型運搬車に乗せていたのは――壊れた飛空艇などではなく、身動きができない程に衰弱した竜が。
『シエル、すまないが包帯を持ってきてくれ!』
『す、すぐ取ってくる……!』
今もなお流れ出している血液。荒々しく吐き出される息。
体中を覆う鱗。ぎっしりと生え揃っている牙。
『…………っ』
幼かったシエルは、魔物と出会った経験も乏しく。初めて間近で見た竜に怯えるのも、仕方のないことで。それでも、その状況で父親から離れることもできず――デゼールが治療している様子を、ただ遠巻きに眺めるのみ。
その後少しずつイグナに慣れ、治療の手伝いをするようになったのだが、イグナの毒舌は、その時から今までずっと続いている。シエルとしては、イグナと仲良くしたいと思っているのだが――あの時のことで少なからず恨まれているのではないかと。シエルの中では不安が残っているのだった。
「現に私と友達になってるんだからさ、イグナならできるよ」
「友達っていうのは、同じレベルの者同士だからこそ成り立つんだよ?」
そして再び飛んでくる、イグナの棘のある言葉。
機関の調子を確認していたシエルは手を止める。
「……それどういう意味?」
ジト目で睨みつけるシエルなど気に留めず、イグナはそっぽを向く。
「僕みたいに知性の溢れる竜なんて、数えるぐらいしかいないからね。もちろん、外にいる有象無象じゃあ話しにならない」
「……知性溢れるって言ったってさ。私には、ただの怠け者にしか見えないんだけど――」
何かと理由を付けて、面倒くさいと言ってはそっぽを向いて。空どころか、外に出ることすらしようとしない。飛ばない竜なんて、ただのトカゲと変わらない。そんなに立派な翼を持っているのに、なぜ飛ばないのか。
「――いけない」
そんなことを常々思っていたシエルだったが、これは禁句だったと、口を噤む。
――過去に一度だけ、口論の末に似たようなことを言ったことがあった。その時のイグナの機嫌の悪くなりようといったら、相当なもので。隅で丸まったら最後に、数週間はいくら声をかけても反応しなくなるほど。
「……なに?」
「ううん、なんでもない」
イグナが初めてやってきてから、既に三年近く経っていた。当時は目を背けたくなるほどの怪我も、シエルの見たところでは完治している。翼も元通りで、羽ばたくのになんら問題のないはず。
――それなのに。
それなのに、イグナは頑なに飛ぼうとしない。
「いつものこと、っていうのは分かってるんだけどさ……」
シエルはため息を吐きながら、作業テーブルへと戻る。そして、置いてあった写真立てに――
「――いつになったら飛べるんだろうね。……お父さん」
そう、声をかけたのだった。




