第7話【裏】後編 青髪少女と果実飴
「――っ!?」
おうおう、よく飛ぶものじゃないか。
それなりの手ごたえと共に吹き飛んだだけあって、男は派手に回転した末に壁へ思いっきり叩きつけられていた。
「なんだ!?何が起きた?」
角度良し、速度良し。唯一不満だったのは、それが背中からだったために――にやにやした笑いを貼りつかせたままに意識を失っていたのが丸見えだったことぐらいか。
「まったく……拍子抜けにも程があるな」
「ま、まさかお前の仕業か……?」
どうやら、まともに戦った経験もないらしい。それならば、ただ仲間が勝手に吹き飛んだようにしか見えなかったとしても仕方のないこと。すっかり混乱した様子で。震える指をこちらを向けて。その面は間抜けと呼ぶ以外の何物でもなかった。
そもそも、私が何故ここに来たのかすらも分かっていないのだろう。
自分達から物を盗まれた奴が復讐に来たのか。
それとも、そいつから依頼を受けた奴なのか。
おおかた考えつくのはこの辺りだろうが、そのどちらでもないんだよなぁ。追いかけ回して遊ぼうと思いきや、ここまで暇つぶしにならなかったのだから笑いも出て来ない。
「せめて、ここからは楽しませてくれるか? あいつがいない、こんな時でないと……この力を使うこともできないからな!」
――この力。
黒い角。黒い爪。黒い翼。黒い尾。
ヒトの姿には不釣り合いな、禍々しい身体の一部。竜としての本来の姿――その片鱗。狭い屋内で戦うには、これほど最適な形もないだろう。
「――なぁに、加減はするさ。騎士団の奴等に見つかっては面倒だ」
尻尾で薙ぎ払ってやろうか。それとも爪で嬲ってやろうか。男二人をどう転がして遊んでやろうかと、期待に爪を打ち鳴らしていると――
「ひ、ひいぃぃぃぃっ!」
「ま、待ってくれ! 俺を置いていくんじゃねぇ!」
脱兎のごとく逃げ始めていた。
……ある程度予想はついていたがここまでとは。お前ら、さっきまで私のことを馬鹿にしていたのではないかと、呆れるどころの話ではなかった。
「――チッ。つまらん奴等だ」
流石に殺すまでやるつもりはないが、逃げるのを黙って見過ごすつもりもない。多少は痛めつけてやらねば、あの青髪の少女にも悪いというやつだろう。
さぁ、行くぞ。そら行くぞ。多少の距離ならば飛んで回り込めば――
――ガシャァン!
「――っ!?」
突然響いたのは、ガラスの割れるけたたましい音。そして一つの人影。
もしやコイツらの親玉が助けに来たのか――と思いきや、ついぞ最近嗅いだことのある匂い。これは、仄かな鉄と蒸気と油の……技工士であるシエルのもの。
自力でここまで来たのは褒めてやってもいいが、任せておけと言ったはずなんだがなぁ……。最初に会った時も慌ただしい奴だと思っていたが、よもやここまでとは。
「――魔物っ!?」
飛び込んできたシエルの手には、ロープのようなものが握られていた。地面に衝突することなく、綺麗に受け身を取って。すぐに戦える体勢を取るその姿は、私にぶつかりそうになって転んだ時とは見違える程の動きだった。
「――ほぉ」
なんだ、中々に動けるんじゃないか。こちらが本来の動きだと言うのなら、‟どんくさい”という評価は取り下げてやろう。ただ――その右手の武器をこちらに向けているのはどういう了見だろうか。……というところで、自分の今の姿に気が付く。
彼女から見えているこっちの姿は、殆ど魔物のそれで。この世界のどこを探しても、角や翼や尾を生やしているヒトなどいないだろう。そもそも私であることにすら気づいていない可能性だってある。ならば――話がややこしくなるよりは、こちらが折れるべきだろう。
「――待ってくれ、シエル。……私だ」
角や尾を形作っていた靄を自分の身体に仕舞い込み、攻撃の意志がない事をシエルに示す。彼女の右腕には、未だ展開されている大型のクロスボウが。矢もしっかりと装填されたままである。
……まぁ、撃たれた程度で傷を負うわけでもないんだがな!
魔法を付与された剣で貫かれたとしても、余程のことがない限りは致命傷には至らないだろう。伊達に長年生きていない私を殺すことができるのは、それこそ私と同じ、竜の古代種ぐらいだ。――だからと言って、出会って一時間も経っていない人間に撃たれて、笑って許せるほどの寛容さなどもちろん無いけれども。
「……え? あれ? さっきの女の子――?」
「はぁ……やはりどんくさい方が素なのか?」
ようやく気付いたらしい。慌ててクロスボウを下げたころには――男たちは完全に逃げ去っていた。気絶していたはずの小柄な男もいつの間にやら担ぎ出されており、影も形も残っていない状態となっている。
「適当に懲らしめておいてやろうと思ったが……もう逃げた後か。そこに置いてあるのが盗まれた物だろう?」
男たちも流石に盗んだ物まで持って逃げる余裕は無かったらしく、その品々はテーブルの上に積み重なっていた。あの程度の奴らに物を盗まれる者がそこまでいたことにも驚きだが……。
そして目の前にいるシエルも、そのうちの一人で。山の中から‟お土産”を引っ張り出して、一切警戒した様子も見せず素直に礼を言ってくる。
「――あったあった。コレだよ、うん。本当に見つけてくれたんだ……ありがと」
「……そんなに感謝されることも無い。実際のところ、まだ何もしてなかったしな。それよりも――」
確かに彼女は私の‟あの姿”を見た筈で。だからこそ警戒し、矢を向けたのだろう。にも関わらず、一度会った者だと分かったぐらいでその警戒を解くものだろうか?
「……そんなに簡単に警戒を解いていいのか?」
「んー。……初めての街で、初めて泥棒に遭って――それを自分より小さな女の子に助けられて。あまり状況が把握できてないんだよね」
聞けば、状況を把握するよりも先に、身体が動いてしまうことがよくあるらしい。この世界でそんな性格をしてたのでは命がいくつあっても足りないだろうが――そこは愛用の武器で何とかしているのだろう。現にこうして、ここまで来れているのだし――
「――あとちょっとだけ、嬉しいのもあるかも」
「……嬉しい?」
嬉しいとは。まさか物盗りに遭ったことではあるまい。それならば必然的に、私と出会ったこと、ということになるのだろうか。
「……ヒトと話せる竜に会えたことが。ねぇ、今の角とか翼ってさ、そういうことだよね」
「…………」
――半分正解、もちろんこれは私の予想が、である。
シエルの予想については、驚くほどに的確だったと言わざるを得ないだろう。人化をする魔物など、滅多にいるものでもないというのに――あくまで正体が‟竜”だと、彼女はそう言い当てた。『ヒトの姿をとる竜』ではなく『ヒトと話せる竜』という言い方をしたのは少し気になったが、その理由もシエルはすぐに語り出した。
「私の街にもね、人と話せる竜がいるの。あなたみたいに、ヒトそっくりにはなれないけど。でね、このお土産もその子にあげるつもりなんだ」
シエルが手で角やら羽根やらの真似をしてみせる。その手には、銀製の輪っか状の装飾品が握られていた。
「……首輪か?」
「ううん、指輪。身体が大きいから、指ぐらいにしかきっと着けられないと思うし」
……指がヒトの首と同じぐらいの太さか。となると、確かにそれなりに大きな個体なのだろう。加えて指輪を渡すほどに仲がいいのならば、自分に対してさほど恐怖を覚えないのも仕方のないこと。
「すっごい怠け者で、いつも格納庫の一部を陣取ってて――」
その竜のことを語ろうとするシエルの表情はとても活き活きとしていて。続いて飛び出した名前は、私を驚かせるのには十分過ぎるほどだった。
「名前はイグナっていうんだけどさ」
「――っ!」
――イグナと、確かにそう言った。
……イグナか、それはなんともまた懐かしい名前じゃないか。あの生意気なガキはどうやら元気にしているらしい。
「長い間一緒にいるからさ。たまには何か買ってあげたら喜ぶかな、って」
「……へぇ、竜に贈り物とは……。また変わった趣味だな」
昔話に花を咲かせることも吝かではなかったのだが――今はまだ、その時ではないだろう。私にとっては、テリオと旅を続けることの方が重要で。とりあえず、ここは何事もないかのように振る舞うことにしたのだった。
「さて、目的も達成したことだし――」
一通りシエルから話を聞き終わったことだし、ここにはもう用はなかった。その気になれば、まだ臭いを追って逃げた男たちを見つけ出すことも可能だが――盗まれた本人がモノを取り返してそれでいいと言っているのだし、時間もそれほど残っていない。区切りとするには申し分のないところだろう。
「そろそろ私も用事を済ましてくるとしよう。連れが待ちぼうけを食らってるかもしれんしな」
「そうだねー。私も、この倉庫の事を言いにいかないと。私みたいに物を盗まれて困ってる人が沢山いる様子だし」
――というわけで廃倉庫から出たのだが、シエルはこのまま騎士団本部へと向かうらしい。ご丁寧なことに、ここの場所を教えて他の被害者の元へ盗まれた物を戻してやろうという話だった。別に止めるつもりもないのだが――流石に私が騎士団に行くのもマズい。となれば、ここらで別れるのが正解だろう。
「それでは、ここらでお別れだな。暇つぶしとしては少し物足りなかったが、面白い話も聞けてよかったよ」
「今日は本当にありがとう。何かお礼がしたいんだけど――」
シエルがどうやって辿り着いたのかは知らないが――独力で倉庫まで来た以上、遅かれ早かれ盗まれた物は取り返せていただろう。始めの方はそれこそ、それなりの金銭を要求してやろうかと考えていたが……結果的に何もしてないからなぁ。報酬を受け取るのも憚られる、というやつである。
……ただ、『お礼をしないと気が済まない』とシエルの顔にも書いてあることだし、それを無下にする訳にもいかないだろう。
つまりは、己の良心との板挟みだ。これは辛い、辛すぎる。なにかいい折衷案でもないものか。あぁ、そう言えば腹が減っていたな。丁度いい、何か奢ってもらおうじゃないか。少額でどちらも満足できるだなんて名案だ、そうだこれしかない。
いや、別に貰わなくてもいいんだがな!
シエルがどうしてもと言うならば仕方ないよな!
「そうだな……そこらの出店から適当に何か買ってきてくれ。殆ど何もしてないし、それぐらいで十分だ」
「……それでいいの?」
下手に物をもらっても、使い道がなければ意味はない。ならば適当にでも食えるものを持ってきてもらった方が幾分かマシというやつだろう。
「あぁ、なるべく美味しそうなものを頼むぞ」
出店を物色しに行ったシエルが『それでは気が収まらない』という表情をしていたような気もするが――それでも、近くの出店で売っていた棒付きの果実飴を買ってきた。
――ほぉ、中々にセンスがあるじゃないか。
透明な飴で包まれた真っ赤な果実は、キラキラと光を反射して。鮮やかな色彩でとても良い感じに食欲を刺激してくる。
「今はこれぐらいしかできないけど……。またどこかで会ったら、ちゃんとお礼させてね。約束だからね」
シエルはそう言うと、飴を手渡ししたそのままの手で私の右手を握り、両手で包むように握手を交わしてきた。
じんわりと、シエルの体温がこちらへと移ってくるのが分かる。これも彼女なりの何かのアピールなのだろうか。飴のこともあって、なかなか悪い気もしなかった。
「――うん、ありがとう! またどこかで会おうね!」」
――そうして、たっぷり数秒間。握手を続けて満足したのか、手を離して『バイバイ』と別れを告げる。最後まで手を振りながら、騎士団本部へと向かうため街中へと消えていった。
「人との出会いというのは、中々に奇妙なものだな……」
案外、世界というものは狭いもので。所詮は一口二口、三口も齧れば芯だけになってしまうこの果実飴のようだと。そうなるとやはり、世界中の食を味わうことも案外早く済んでしまうのではないかと。
口の中に甘味が広がっていくのを感じながら、ふとそう思ったのだった。




