第10話 揺らめく黒炎
船乗りたちが言うには、騎士団が街を出たのはつい先ほどのことらしく。となれば一刻の猶予も許されないと、二人はグラチネの街を足早に駆けていく。
「走るぞ、テリオ。今からでも十分追いつける距離だ」
とは言えども、初めて訪れた街で勝手の分からないテリオは、どう行けば街の出口へとたどり着くのかが分からない。自信ありげにどこかへ向かうキビィの後を、あたりに視線を巡らせながらついて行くしかなかった。
「キビィ、どこに向かってるんだ」
「黙ってついてくれば分かる」
――そうしてたどり着いたのは、他でもない街の出口。
「街の住人かそうでないか、そして人の流れを見ればどこが出口なのかぐらいは簡単に分かるものだ。……それに運のいいことに、馬車もあるぞ」
「……流石、旅に慣れているだけある」
さっそく乗せてもらおうと二人が馬車の前面へと回り込むと、客待ちをしている御者が煙草を燻らせていた。
「アルデンまで出してくれ」
見上げるようにして声をかけたキビィに、御者は返事をするも気怠そうな感じで。二人が急いでいる様子なのを知っていてわざとそのような態度を取っているかのようだった。
「……日も落ちかけているし、最近は物騒になってきている。割増し料金で構わないならいいぜ」
「――それでいい。決まりだ」
御者の態度はあからさまに不快感を与えるもので。それでも構うことなく、トントン拍子に話を進めるキビィに、テリオは口を挟もうとするが――彼女の『ここは私に任せておけ』という視線を送られやむなく引き下がることとなった。
「毎度あり。それじゃあ、乗ってくれ」
日没前、揺れる馬車の中に夕日が差し込んでいた。
ルヴニールから始まりファリネ、リナード、そしてグラチネ。クルーデを追うため、休む暇もなく動き続けてきた二人にとって――移動中の時間が、唯一準備を整える時間である。
「ちょうどいい、少しだけ金を借りるぞ」
所持金の残り、剣に欠けや錆びは無いか、いざという時の保存食。 テリオが持ち物の確認をしていると、キビィが硬貨を二、三枚抜き出す。
「借りるって……返す予定があるのか?」
テリオが呆れた様子で荷物を仕舞い直していると、馬車が停止した。どうやらアルデンに到着したらしいのだが、テリオの中では疑問が沸き上がる。
「……魔物に遭遇するほど長い道のりでもなかった気がするんだが」
「足元を見られていたのに気づかなかったのか? まぁ、今は気にすることでもないだろう。いち早く辿りつくのが最優先事項だ」
未だ納得のいっていないテリオを尻目に、馬車を降りて御者に尋ねるキビィ。その手には、先ほど抜き出した硬貨があり――それを見た御者は、表情を緩めた。
「騎士団について、なにか話を聞いてないか?」
「あー……騎士団だったら、だいぶ前に野盗のねぐらになってたとかいう屋敷の方に向かったらしいぜ。討伐が行われてからは、野盗の類もすっかり見なくなっていたが、また溜まり始めてたのかねぇ」
「……! それはどっちの方向だ!?」
キビィから渡された金を懐に仕舞いながら、御者は東の方を指さす。まだ夕日に照らされている此方と違い、彼方は夜の世界へと変わりつつあった。
「その屋敷のことなら、街を出て東にある山のふもとさ。出発してそう時間は経ってないが、そろそろ着くことなんじゃないか?」
屋敷までの道は荒れており、馬車ではとても行くことができないと言う。それほど距離もないとのことなので、テリオたちは仕方なく徒歩で屋敷へと向かうのだった。
「確かに少し手強いな……」
屋敷へと向かうまでの道中。視界の悪い中で魔物に遭遇しながら、順調とは言えないまでも蹴散らしてなんとか進む二人。
「……キビィ。前々から思っていた事なんだが。武器は使わないのか?」
「……ん? あぁ、素手の方が食材を傷つけないで済むだろう?」
冗談めかして言うキビィだったが――船の上での行動を見ていたテリオには、あまり冗談には聞こえなかった。
「――故に、剣や槍との戦いは得意じゃない。その時になったら、お前に任せるからな」
――剣。それが何を指しているかといえば、当然クルーデの事で。『自分は手を出さないぞ』と、テリオにはそう聞こえた。
「……キビィ、本当に付いてくる気で――」
「くどいぞ。それについての決定権は私の方にある。……屋敷に着いたようだし、これ以上は話す必要はないだろう」
行きついた先には、過去に貴族が所有していたのであろう大きな屋敷。しかし長年手入れがされていないためか、塀も門も崩れて意味を成しておらず、繁茂している草々が玄関口へと導いているはずの石畳を覆い隠している。
「これは野盗の格好のねぐらにもなるだろうな……」
「……既に中に入っているらしい。俺たちも急ごう」
入口門には、騎士団員が乗ってきたのであろう馬が停められていた。二人は正面玄関へと向かったが、扉は固く施錠されており中に入ることができない。
「――テリオ、こっちからだ」
キビィが指さしたのは――窓。前々から出入り口に使われていたのか、ガラスも残っていない、ただの窓枠だけがはめ込まれている様子である。
「あまり物音を立てるなよ」
「わかっている」
二人が中に飛び込むと、閑散とした部屋の中に大小様々な木箱がいくつも転がっていた。まともな調度品などは一切無く、かつて屋敷をねぐらにしていた野盗たちが、テーブル代わりなどに使っていたのが窺えた。
「…………」
――暗闇と静寂が、一層不気味さを際立たせる。
警戒しながら屋敷の中を進んで行く二人。日が完全に落ちた今、照明のない室内は闇へと沈んでゆく。キビィが荷物の中のランタンを取り出し、灯りを点けると――通路が瓦礫により塞がれている様子が照らされた。
「……ここは通れそうにないぞ」
「仕方ない、回り道をしよう」
迂回しながら、まずは玄関ホール部へ。廊下の所々には、床だけではなく、壁や天井に乱暴に塗りつけたかのような血の跡が残っていた。そしてランタンの灯りを上書きするように――所々で上がっている黒い炎。
「黒い……炎……?」
「…………」
紅ではない。黒い炎が通路の中を照らしている。どっぷりと屋敷を包む闇と、同色のはずのそれは――灯りを消していてもユラユラと蠢いていた。それがまるで虫が這う様に見え、テリオは眉をひそめる。何処かで感じたような、嫌な感覚――
「……ここでぼんやりとする暇もないだろう。先に進むぞ」
この感覚の出所が何だったのか思い出そうとしていた所をキビィに促され、テリオは足を床から引き剥がすように歩を進める。
――奥へ、奥へと。
闇へ飲み込まれていくように。
ようやく二人がホールへと出ると、一際大きな黒い炎が中心部で燃え盛っていた。自然界では見ることのない無機質な炎。その周りの床は所々が黒く焦げており、一部には不自然に石の色が残された部分もあるのだった。白く縁どられたそれは、丁度生き物の体が収まるような――
「まさか……」
「――落ち着け。魔物の骨が残っている」
焼かれたのは恐らく団員ではなく、このあたりにいた魔物だと。息を呑むテリオを宥めるキビィだったが、地面に点々と続く血の跡のせいで不安を拭えないでいた。
「ぐぁああああああああ!!」
「――近いぞ!」
屋敷内に反響したのは、突如上げられた悲鳴である。聞こえてきた方向は、二人がいるホールから繋がる一部屋から。
「油断するなよ、テリオ」
「……あぁ」
キビィの警告に、テリオは剣を抜く。悲鳴の上がった、血の跡が続いている奥の部屋へと飛び込むと、そこにいたのは見覚えのある人影。そして――
「……クルーデ」
「テリオ……なぜお前が生きている……?」
――目を背けたくなるほどの、惨状がそこにあった。




