聖夜の魔導書買い取ります
拙作『ご不要な魔導書買い取ります(http://ncode.syosetu.com/n9538x/)』のクリスマス短編です。
本編のネタバレを含むのでご注意ください。
十二月二十四日――クリスマス・イヴ。
イエス・キリストの誕生を祝う日の前夜。街は数日前からクリスマス一色に彩られ、どこを見ても華やかで楽しい気分になってくる。
商店街などは特に気合いが入っており、全ての植木にクリスマスツリーの飾りつけが施され、各店舗もやり過ぎじゃないかってくらいイルミネーションを輝かせている。
サンタ服の呼子が活気の良い声でお客を呼んでいる中を、学校帰りの来栖月葉はいつものようにアルバイト先へと向かっていた。
「ふんふんふーん♪ ふんふんふーん♪」
鳴り止まないクリスマスソングが頭から離れなくてつい鼻歌を唄ってしまう。今夜はアルバイト先――是洞古書店に友人たちと集まってクリスマスパーティをするため、今から楽しみで上機嫌の月葉である。
商店街の裏通りのさらに裏。どうにか自転車で通れるレベルの狭い路地を抜けた先に是洞古書店はひっそりと佇んでいる。
「お疲れさまでーす」
挨拶をして中に入る。古書独特のバニラのような甘い香り。これがカビによる匂いだとは知りたくなかった事実である。
お客さんなど一人も入っていない店内はいつものことだが、今日は是洞姉弟以外の人が来訪していた。
「むーりー!? 今日中に書き上げるとか絶対無理ぃいいいッ!?」
店のカウンターで今日も今日とて悲鳴を上げているのは、是洞古書店の店長である是洞日和。モデル顔負けのグラマラスな体つきに綺麗な黒髪をしたお姉さんである。伊達眼鏡をかけてノートパソコンをカタカタさせている時は副業の売れっ子小説家として執筆している時の姿だ。
そしてカウンターに腰掛けて斜め上から日和に威圧を放っている女性が一人。確か日和の担当編集者だ。たまにこうして直に乗り込んで来ては日和に原稿を督促しているシーンを月葉も何度か見かけたことがあった。
「今日はうちでクリスマスパーティやることになってるから原稿なんて書いてる場合じゃ」
「でしたらそれまでに終わらせてください。残り三十ページ。締切はとっくに過ぎているんですよ?」
「もうやめて! ヒヨりんのライフはゼロよ!」
「まだマイナス以下が残っていますね。問題ありません」
「鬼!?」
なんだか忙しそうである。高校の制服の上から濃い緑色を基調としたエプロン――一応アルバイトの制服となっている――をかけ、邪魔にならないように店の奥から掃除を始める。
と、その前に日和に呼び止められた。
「あ、ごめん月葉ちゃん。掃除は後でいいからちょっと来てくれる?」
「はい?」
なんだろう、と小首を傾げて月葉は言われた通りカウンターの傍に歩み寄る。アルバイトへの指示出しなので編集者の女性は口を挟まなかった。
日和は会計台の引き出しから一枚の封筒を取り出して月葉に手渡す。中身は福沢諭吉がびっしりと詰まっていた。
「えっと……これは?」
「お姉さんからのボーナスよん♪ 月葉ちゃん、いつも頑張ってくれてるから」
「ええっ!? こ、ここここんなに貰えませんよ!?」
ざっと数えて三十万はある。月葉のバイト代から考えたら一体何ヶ月分のお給料なのか頭が混乱して計算できない。なんかぐるぐるしてきた。
「あはは、冗談よ冗談。それは今日買い取り予定になってる魔ど……古書の代金よ」
「あ、そうですよねー」
ちょっと残念に思ったのは内緒だ。
編集者がいるから言葉を変えたが、日和は今『魔導書』と言いかけた。是洞古書店は一般向きにはいつ潰れてもおかしくないただの古書店。しかしてその実態は、『魔術書』や『魔導書』といった『魔書』を専門に扱う魔術業界の古本屋である。
日和自身もかなりランクの高い魔術師だということを月葉は知っている。なにせ、月葉は彼女の弟子ということになっているのだから。
「十八時に出張買取に行かなきゃいけないんだけど、真夜は別件で出てるし、私もご覧の通り。だから月葉ちゃん、ちょっと行って買い取って来てくれないかしら?」
「わ、私がですか……?」
「そうよん。はい、これが地図ね」
魔書の出張買取には何度か同行したことはある。だが、一人で行った経験はないため非常に心配になる月葉だった。
「一応あとで真夜にも行かせるわ。今回はそんな危険な物じゃないから大丈夫よ。帰ったらパーッとクリスマスパーティで盛り上がるんだから寄り道しちゃダメだぞ?」
そんなつもりはないが、問題は月葉より日和にあるのではなかろうか?
「あの、日和さん、クリスマスパーティですけど、忙しいなら中止にしても――」
「いえ、問題ありません。たとえこちらが間に合わなくとも皆さんはどうぞお気になさらずパーティを楽しんでください」
残念そうな顔をする月葉に、編集者の女性が眼鏡をくいっと持ち上げてそう言ってきた。
「なんなら執筆をしている目の前で騒いでいただいても結構です」
「悪魔!?」
涙目になって再びノートパソコンと睨めっこを始める日和に苦笑し、月葉は初めての一人出張買取へと向かうのだった。
❆❆❆
心配していた魔導書の暴走事故などは発生することもなく、買取業務は呆気ないくらい滞りなく終わった。
高級住宅地の豪邸を後にした月葉は、門が自動で閉まるのを見てようやく緊張を解いた。
「はふぅ……よかった、人の良さそうなおじさんで」
買取の依頼人は古美術商人で、美術的価値のありそうな年代物の本を手に入れたのはよかったが鑑定に出してもさっぱり正体がわからなかったらしい。
魔術とは全く無縁の人だった。そこをどうやって日和が嗅ぎつけたのかは知らないが、段々と不気味に思えてきた本を高額で手放せて依頼人は喜んでいた。お礼まで言われては月葉もなんだか悪い気がしない。
時刻は十八時十分を過ぎたところ。クリスマスパーティは十九時からなので、今頃は八重澤理音や紀佐依姫も集まって準備を進めているはずだ。
早く戻って手伝わないと。
そう思って歩く速度を速めようとした時、前方から誰かが駆けてきた。
「あれ? 真夜くん?」
月葉と同じ私立凛明高校の制服を着た黒髪の少年――是洞真夜だった。日和の弟で月葉のクラスメイトでもある。古書店では『魔書』の管理を任されている凄腕の『魔導書使い』だ。
そういえば日和が後から追わせるとか言っていた。残念ながら今到着しても買い取りは終わっている。無駄に走らされただけの真夜をちょっと憐れに思ってしまう月葉だった。
「……買い取りは終わったのか?」
「うん、特にトラブルもなく終わったよ。ほら」
月葉は買い取った魔導書を真夜に手渡す。真夜は受け取ると、ざっと中身を確認した。本物かどうかをチェックしているようだ。
「問題なさそうだな」
魔導書の中は月葉では読み取ることのできない文字や図形が羅列している。暗号になっているらしく、なにかあった時のために解読しておくのも『魔書』を扱う店の義務である。
真夜の解読は月葉が字の少ない漫画本を一冊読む間に終わってしまうほど速い。今回も数分間立ち読んだだけで終了した様子である。
「帰るぞ」
魔導書を閉じ、真夜は踵を返した。無愛想な態度に月葉は少しむっとするも、さっきはどこか慌てた様子で走っていた。心配してくれていたのだと思うとその無愛想も照れ隠しに見えてなんか可愛い。
「なにを笑っている?」
「別に、マヨちゃん可愛いなぁって」
「なっ!?」
もし女の子だったら『真夜』と書いて『マヨ』と読むことになっていたとネタを掴んでいる月葉は、たまにこうしてからかった時の反応を見るのが密かな楽しみだったりする。無口無表情無愛想の三連コンボを体現している真夜の感情が動くのだ。楽しくないわけがない。
「……僕をその名で呼ぶな」
「はいはい。ねえ、その魔導書って結局なんの魔導書だったの?」
気になったので訊ねてみる。既に解読を終えている真夜は無視するかどうか一瞬迷ったみたいだが、月葉にじっと見詰められて観念したように口を開いた。
「……〝聖夜〟の魔導書だ。三級の閲覧ライセンスがあれば読める」
「聖夜? クリスマスのこと?」
一体どういう魔術が記されているのだろうか。サンタクロースが飛び出してなんでも願いを一つ叶えてくれるとか? いや、もしそうなら三級程度では済まないだろう。
「帰ったら使ってやる。どうも姉さんが今日のために探していたらしい」
「日和さんが?」
言われてみれば、日和は解読前からなんの魔導書なのか知っている節があった。危険な物ではないと言っていたが……ますますどういう魔術なのか気になってくる月葉である。
それからは会話もなくただ二人並んで歩き、高級住宅地を離れて商店街まで戻ってきた。
と―
「……」
不意に真夜が立ち止った。相変わらずクリスマスムードを全力で謳歌している商店街を、無感情な顔で眺めている。
「どうしたの? 騒がしくて鬱陶しいとか思ってる?」
「フン、よくわかったな」
鼻息を鳴らしてそう答えると、真夜は再び歩き始めた。
「だが、お前はこの騒がしいのがいいんだろう?」
「お前じゃなくて月葉ね。うんまあ、物静かで寂しいクリスマスより賑やかな方が好きかなぁ」
「わかった。善処する」
「え? なにを?」
訊き返すが真夜は答えなかった。
代わりに別の質問を投げ寄越してくる。
「今日はクリスマスだ。月葉は家族と過ごさなくていいのか?」
「パーティは諦めて帰れってこと?」
「いや」
意地悪に返すが真夜は否定の一言だけ。そういう意図で言ったわけじゃないことくらい月葉は理解していた。
真夜も月葉も家族を亡くしている。だからこそ、その大切さを知っている。
「お父さん、仕事で遅いの」
「そうか」
「それに、お母さんはお店にいるでしょ?」
月葉の母親――来栖杠葉は既にこの世にいない。だが、最高の魔書作家だった彼女は月葉のために一冊の魔導書を残していた。
それが〝精神保存〟の魔導書――来栖杠葉本人の人格を複写して保存した魔導書だ。発動させるには莫大な魔力が必要であり、現在は是洞古書店で厳重に保管されている。無論、売り物ではない。
「そうだな」
真夜はそれ以上なにも言わず、ただ店に向かって歩を進めるのだった。
「あ、真夜くんはプレゼント交換用のプレゼントって買った?」
「……………………聞いてないぞ」
寄り道が決定した瞬間だった。
❆❆❆
「やはやは、おっかえりー月葉!」
「お帰りなさいませ、月葉さん」
店に戻ると、ミニスカのサンタコスチュームを着た少女二人が出迎えてくれた。
月葉のクラスメイトで親友の八重澤理音と紀佐依姫だ。
「ほらほらこっち来て着替えなよ月葉! 月葉の分もちゃんと用意してるんだからね!」
「えっ!? 私も!?」
「縫うのは少々大変でしたが、がんばりました。サイズはピッタリのはずです」
「依姫ちゃんの手作り!? 凄い!?」
そんなこんなで親友二人に捕まって月葉は店の奥へと連行されてしまった。ちなみにチラッと見えたところ、日和はカウンターに突っ伏して真っ白になっていた。一応、原稿はなんとかなったらしい。
そして数分後。
見事にサンタ服に着替えさせられた月葉は――かぁああああっ。顔を真っ赤にして若干短過ぎるスカートを抑えていた。
「ねえこれ、ちょっと短過ぎる気が……」
「フッフッフ、やはりこの理音様の目測に間違いはなかったね。グッジョブ! 月葉エロいよ月葉!」
「理音ちゃん!?」
確信犯がそこでサムズアップしていた。こんな姿を真夜に見られるのは恥ずかし過ぎる。一刻も早く着替え――
「おい、そろそろ始めていいか?」
「きゃあああああああああああああああああああッ!?」
タイミングは最悪だった。
「是洞真夜! お前は見るな! 月葉のエロ可愛い姿はあたしだけのもんだぁーッ!」
理音が飛びかかって自宅となっている二階から下りてきたばかりの真夜を蹴り出そうとする。真夜はその壁すら粉砕しそうな蹴りを軽くかわすと、右手を空中に掲げた。
「第十五段第四列――」
唱えるように言うと、真夜の掲げた右手に一冊の魔導書が握られていた。魔導書で反撃するのかと思ったが、アレは今しがた月葉が買い取って真夜に預けた〝聖夜〟の魔導書だ。
「今からパーティ会場の準備をする。少し離れていろ」
真夜が魔導書に魔力を流し込む。彼の周囲に無数の魔法陣が展開され、古書店内を不思議な光で彩った。
「あ、あれ? そういえば、サンタ服だけで全然準備できてないよね?」
月葉が気づいた次の瞬間だった。
強烈な光に包まれたかと思うと、店内が一瞬でクリスマス仕様に飾りつけられていた。
「え? ど、どういうこと?」
さっきまでは影も形もなかった大きなクリスマスツリー。商談用の丸テーブルには真紅のテーブルクロスがかけられ、床や壁や天井のあちこちが白い綿やベルや大きな靴下で装飾されている。窓ガラスにも雪の結晶が描かれていた。
どこからともなくクリスマスソングまで流れ始めた。
それだけじゃない。
「見てください、月葉さん、理音さん、雪が降っていますよ!」
依姫がはしゃいだ声を上げた。月葉も窓の外を見ると、確かに今の今まで晴れていたのに空から雪が降り注いでいる。というか、積もっている。
近年は雪など滅多に降らない地方なのに……『ホワイトクリスマス』だなんて幻想の言葉だと思っていた。
「これが、〝聖夜〟の魔導書の力……?」
「そうよ。でも気をつけてね、雪も装飾も本物じゃないから」
真っ白状態から復帰した日和が驚く月葉にニヤニヤしながら説明する。
「これはイエス・キリスト誕生の祝祭――つまりクリスマスを盛り上げるためだけに作られた魔導書なの。術者のイメージをそのまま幻術として反映させているから、正直真夜じゃなくて理音ちゃんに使わせた方がよかったかもって思ってたけど……意外にまともだったわね」
「フン、くだらんパーティグッズだな」
つまらなそうに鼻息を鳴らして真夜は椅子に座った。だからあの時、商店街の飾りつけを眺めながら「善処する」と言ったのか。
「まったく、この程度しかできない三級魔導書に三十万も払う気が知れない」
「いいのよ。今日はパーッとやるんだから。それにどうせ三倍で売りつけるし」
「ぼったくる気満々だな」
そんな姉弟の遣り取りを見ていると自然に笑顔が浮かんでくる。
段々と気持ちが楽しくなってくる。
「よーし、あとは料理があれば完璧よん♪」
「はい、チキンとポテトとピザ、サンドイッチにサラダ、いろいろ用意してあります。わたくしの家のシェフに作っていただきました」
依姫がパチンと指を鳴らす。すると店の入口から何人もの黒服が大量の料理を運んできた。外に待機していたのだろう。寒いのにお疲れ様である。
「うわーお、なにこれ絶対美味しいって! やばいよもうヨダレがやばい!」
紀佐財閥お抱えの一流シェフによるパーティ料理……なんという贅沢。理音でなくてもヨダレが溢れてきそうだ。
「そうそう、昨日作っておいた試作ケーキがあるの。魔女術と数秘術と占星術を合わせて完璧な配合にしたからきっと美味しいはずよ。楽しみにしててね♪」
「待って日和さん!? そのケーキは出しちゃダメ!」
「姉さん、いつの間に料理を……」
二階の自宅に向かおうとする日和を月葉と真夜が全力で止めた。今の発言だけで味見すらしていないことが丸わかりの危険物をテーブルに出すわけにはいかない。『きっと』とか言ってる時点でもうアウト。
「えっと、大丈夫です。ケーキもわたくしが特大のものを用意しております」
「そう? じゃあ、まあ、そっちの方がいいかしらね」
なんとか日和印の殺人ケーキは免れたが、依姫の指示で店内に持ち込まれたケーキは言葉通り『特大』だった。一瞬、クリスマスツリーと間違いそうだったくらい。
「あはは」
笑いが込み上がってくる。こんなに楽しいクリスマスは初めてかもしれない。
ノンアルコールのシャンパンが全員に行き渡る。
「「「「聖なる夜にかんぱーいッッッ!!」」」」
少し離れたところに一人座っている真夜は合唱しなかったが、その音頭を持って賑やかで楽しいクリスマスパーティの開幕となった。




