#2
写真を持っているところが藤堂らしい。俺は微笑ましくなりながら、写真を受け取る。
写真には藤堂と篠原、間宮といったいつもの三人の姿があった。そしてその中央に、肩につくかつかないかくらいの髪を風になびかせながら愛らしく笑うセーラー服姿の女の子が映っていた。くりくりの大きな瞳に少し小さめの鼻が印象的だった。
「……あの」
俺は写真を凝視しながら、
「……この子がユミ、ちゃんですか?」
「そうだよ」
「……なるほど」
言葉が続かない。この小柄な少女が、柔道の全国大会で準優勝したというのか。しかも可愛いではないか。生命の神秘にしみじみと感心していると、ふと机に積み上げられた書類に目が止まった。
……増えてる。
目を凝らしてもう一度確認してみたが、やはり今朝よりも報告書の束が増えていた。堪らずネクタイを緩め、息をつく。
若林と里見は、ある事件の検察側の証人として出廷することになっていてまだ帰ってきていないはず。藤堂と田村は俺と一緒にいたし、藤堂とコンビを組んでいる陣内は今日は非番だ。
俺は、ペン底を鼻に擦りつけながらパソコン画面をつまらなさそうに見ている篠原に顔を向けた。眉間に皺を寄せ、聞こえるように咳払いをする。
無視する篠原。
もう一度、少し大きめに咳払いをしてみたが、篠原はパソコン画面から顔を上げることはなかった。
――こんな上司、嫌すぎる。
「できたぁ」
椅子の背もたれに寄りかかり、思い切り伸びをする。
「飯食いに行こーぜ」
言ったあとに後悔した。隣の田村に普通に飯に誘ってしまった。なんてこった。集中し過ぎていたせいか、隣が田村なのを忘れていた。
「行くか」
「お?お、おぅ」
断られると思っていた俺は、予想外の田村の言葉に一瞬うろたえてしまった。先に席を立つ田村の後を追うように俺も席を立った。
「食堂にいます。何かあったら携帯に連絡下さい」
藤堂にそう伝えると、彼はニコリと微笑んだ。
「いってらっしゃい」
藤堂の声を背に受けながら、俺は中学の時の担任を思い出した。
生徒から絶大な人気のあった長谷川先生。いつも穏やかな彼が、一度だけ本気で怒ったことがあった。
クラスで数人の生徒がひとりの女子生徒をからかって遊んでいた。あれは、言葉の暴力だった。けれど当時の俺は、気にも留めずに他の生徒と他愛のない会話をしていた。
それを知った彼は、その生徒たちを教室の前に整列させると声を震わせながら彼らを叱った。いや、彼らだけではない。クラスにいる生徒全員を叱っていた。
からかった人間はもちろん悪いが、それを見ていながら止めなかった人間も悪い。薄情な人間になるな。彼は俺たちに懇々と訴えた。
その一件以来、俺たち一年三組の結束は固くなり、今も年に一回、長谷川先生を交えてクラス会を行っていた。しかも、からかわれていた女子とからかっていた男子が去年めでたく結婚した。仲人はもちろん、長谷川先生だった。
その長谷川先生と藤堂が重なって見えた。
「あの二人、普通じゃないもんなぁ」
思わず声に出してしまった。訝しげな顔で振り返る田村に「なんでもね」と答え、肩をすくめた。
どれだけ藤堂が懇々と訴えても、あの篠原たちに聞く耳があったようには思えない。きっと何度も同じようなことを繰り返して藤堂を困らせたに違いない。
……よく見捨てなかったものだ。
遅い昼食を終えて部屋に戻ると、若林たちの姿があった。
「お疲れ様です」
声をかける俺に若林が軽く片手を上げた。いい男は何をしても様になる。羨ましく思いながら席につくと、待っていましたとばかりに俺の席の電話が鳴った。
「はい、県警刑事部です」
「バーカ」
それだけ言うと、電話は切れた。一瞬思考が停止する。が、すぐにふつふつと怒りが込み上げてきた。ふざけんな。バカはお前だ。警察になんちゅー電話かけてきやがる。
受話器を乱暴に戻すと、前に座っている若林が驚いたように顔を上げた。
「おい、どうした?」
「すみません、悪戯電話です」
「警察にか?」
苦笑しながら若林が言う。
「なんて?」
気分転換をはかっているのか、電話の内容を訊いてきた。
「バーカ」
出来るだけ忠実に再現してみた。すると篠原と小林が同時に立ちあがり、すごい形相で俺を睨みつけた。たじろぐ俺に篠原と小林が恐ろしい形相のまま近づいてくる。
俺ではなく電話のバカがそう言ったんです。口をぱくぱくさせる俺に篠原が怒気を帯びた声で、「望月。今の電話、ほかに何か言っていたか?声は?どんな声だった?!」と訊いてきた。
へ?声?
「え、あの、確かヘリウムガスを吸った時に出るような変な声でした」
「天童には俺から報せておく。署内にいる職員総出で第二の手紙を探し出すんだ!」
小林はそう言うと早足で部屋から出ていった。〈第二の手紙〉、その言葉で俺はようやく事態を把握した。
強行犯捜査二係の天童班が今担当している連続爆破事件。
犯人からの〈第一の電話〉は、そこに〈第二の手紙〉があることを示していた。そして〈第二の手紙〉には、爆弾の隠し場所が書かれているという。ふざけた真似をしやがる。しかも、その電話を取ったのは俺だ。電話を受けた時点で何故気づかなかったのかと悔やまれる。
「落ち込んでる暇なんかないだろ、ボケ」
田村が寝ぐせのついた前髪を乱暴にかき上げながら俺を睨んだ。
「誰がボケだ、ドアホ」
〈第二の手紙〉の捜索をするために刑事部の部屋にいたすべての捜査員たちが慌ただしく部屋から出ていく。その様子を見つめながら、俺は乱暴にネクタイを緩めた。
その瞬間、けたたましい緊急非常ベルがフロア全体、というより県警本部全体に鳴り響いた。そして一般市民の避難を促す館内放送が何度か繰り返された。
「行くぞ」
廊下へと向かう俺に、「お前のお守りも大変だ」と田村が言ってきた。
「バカ言え。お守りしてやってるのは俺だっつーの。くそ生意気な奴だな、相変わらず」
「だったら、それを証明してみせろ」
「おっ前、ほんとむかつく。言われなくても証明してやるよ。覚えてろ」
田村を睨みつける俺を「望月!」と篠原が呼びとめた。
「お前らは二階に行け。〈第二の手紙〉は宛名なしの白い封筒に入っている。死ぬ気で探せよ。次はないぞ!」
俺は顔を強張らせる。次はない。その言葉が胸に突き刺さる。
「はいっ!」
田村と共に俺は二階へと急いだ。
連続爆破事件はこれまでに市内を中心に四件発生していた。そのどれも、爆発を止めることができていない。手紙に書かれている暗号文の解読に時間がかかったからだ。
〈第一の電話〉から爆弾が爆発するまでキッカリ三時間。すでに〈第一の電話〉がかかってきてから二〇分ほど経っていた。急がなくては。
二階には、総務部、警務部がある。
警務部には、警務課、厚生課、教養課、監察官室がある。ここは、警察内部の企画、調査、採用、人事、福利厚生などを担当している部署で一般市民の出入りはない部署である。若林がこの部署内を担当することになった。監察官のいる部署。下手なことをしたら後が大変だ。一番いい人選だと思った。
総務部は、総務課、会計課、広報課、施設課、装備課、留置管理課、情報管理課があり、一般市民がよく出入りする課は広報課と会計課。田村が総務課を担当し、俺が会計課を、そして里見が広報課を担当することになった。
職員たちは、一般市民の避難に忙しなく対応していた。俺たちは手紙の捜索を始める。
「手紙や爆弾を仕掛けるなら、一般市民が自由に出入りできる一階、二階、三階辺りか――」
独り言を呟きながらカウンター周り、机周りをくまなく探すが見つからない。不安げな様子で遠目から見ていた他の職員たちも、一緒になって手紙を探し始める。
警務部、総務部とも職員の多い部署だから犯人もそう簡単に手紙を隠すことはできないはずだ。もっと人の出入りの少ない場所はないか。ざっと部署内を見回すが、そんな場所はなかった。焦りと緊張で体中にジンワリと汗がにじみ出る。
「くっそ、どこだよ」
背広を脱ぎ捨て、総務課の方を見るとワイシャツの袖を捲り上げた田村がカウンター横に設置してある広告の束を調べているところだった。手紙を探し始めてから、すで四十分が過ぎようとしていた。
「挙動不振な人間や何か気になった事はなかったか?」
俺は近くで一緒に手紙を探していた会計課の職員に尋ねた。
「いえ、何も気づきませんでした」
申し訳なさそうに会計課の職員は首を振った。
警察職員といっても彼らは捜査員ではない。普段彼らが接しているのは、犯罪者ではなく一般市民だ。そこまで神経を尖らせて仕事をしているはずはないか。
俺は額から大量に流れ出る汗を、乱暴に拭った。
「必ず手紙は見つかる。もう少し頑張ろう」
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