episode19-1 父と娘
呆然とした様子で歩いている男は、まるで死神にでも会ったかのように青白い顔をして生気を失っている。一点をただ見つめ、よろよろと力なく歩く姿は異様でもあった。
彼は、ふとショーケースに飾られたソレに目をとめた。
生気のなかった瞳に異様な光が宿る。込み上げてくる怒りに身を震わし、理不尽な運命に牙を剥くように男は憎しみに満ちた瞳で睨んだ。
「こんな―――こんなこと、絶対許さねぇ!!」
またいつものが始まった。面倒には巻き込まれないように、視線を逸らす。仕事をたくさん抱えてるのだ。相手になんてしてられない。
若林や田村、他の課の捜査員たちも、何事もなかったかのように机に向かって仕事をしている。藤堂にすべてをまかせているのだろう―――。
ごめんなさい、藤堂さん。
お願いします、藤堂さん。
「うぉぉぉぉ、こばさんー!」
間宮が、小林に泣きついている。きっと相も変わらず、娘さんのことに違いない。
「どうした、まーさん。由美ちゃんと何かあったのか?」
小林がなだめるように言うと、間宮は涙目で頷いた。
「由美に男から電話があったんだ。週末に会う約束をしていたんだ」
それを聞いた小林は、間宮の両肩に力強く両手を置き「まーさん!今日は一緒に泣こう」と言って涙ぐんだ。――きっと、自分にも似たような経験があるのだろう。
俺の隣に座っている藤堂が「まーさん、まさか電話を盗み聞きしたんじゃないだろうね?」と咎めるように言った。
「当然だ!得体の知れない男から電話がかかってきたんだぞ!」
「藤さん、わかってやってくれ。子供を守るのは親の義務なんだ。子供を守るためには、それぐらいやらなきゃいけないこともあるんだ。何かがあった後じゃだめなんだ」
小林が、間宮の両肩をがっしりと掴みながら藤堂に諭すように言った。藤堂は、口元に人差し指を当て考え込む。
わぁ、もっともらしいこと言って、藤堂さんを言いくるめようとしてる。しかも、藤堂さんも納得しかけてる。藤堂さん独身だし、さすがに小林にはかなわないのか。篠原がいないうちに何とか二人を止めて欲しいんだが――。
突然、刑事部のドアが勢いよく開いた。
「ただいまー、あれ?またまーさん泣きついてるの?今度は何?何?」
楽しそうに篠原が小林たちのもとに近寄っていく。隣で藤堂がため息をついた。
帰ってきたー、もうだめだ。ごめん、娘さんたち。デートは諦めてー。若い恋人たちの週末デートの危機に胸を痛めていると、間宮が正論を言うかのように胸を張って言い放った。
「だから、俺も一緒について行くことにした」
何を言い出すんだ!?このバカ親父。
危うく叫びそうになったのを、口元を両手で押さえなんとか堪えた。そんな俺の様子を見て、若林が肩を震わせて笑いをこらえている。
藤堂は呆れ、小林は「そうしろ!」と背中を押し、篠原がお腹を抱えて笑い転げる。誰かこの大人を止めて。
「駄目だぞ、間宮」
低い高圧的な声が、間宮を諌めた。その声に反応して、間宮の体が一瞬ビクリとする。声のした方を見ると、小林に負けないくらい厳つい体の男がゆっくりと近づいて来た。
迫力がありすぎて怖い――組織犯罪対策課の警視、高遠勇だ。
他の課の捜査員たちも遠巻きに様子を伺っている。高遠が小林をひと睨みした。
「小林、間宮を煽るな。こっちは忙しいんだからな」
そう言って、大人しくなった間宮の腕を掴んで席まで連れて行ってしまった。間宮は借りてきた猫のように、大人しく従っている。
バツが悪そうに小林は鼻を鳴らし、「ふん、生意気な」と高遠の後姿を睨んだ。二人は大学は違うが、学生時代からのライバルだったらしい。藤堂がホッと胸を撫で下ろし、篠原がつまらなさそうに口を尖らせた。
よかった。若者の青春がぶち壊されなくて――。俺のホッと緩んだ顔を見て、また若林が笑った。若さん笑いすぎ。隣の田村は、我関せずと黙々と調書を書いている。相変わらず協調性のない男だな――コイツは。ため息をつき、机の書類に目を移す。
「さて、やるか」
やっと仕事に集中できる。溜まった調書に取り掛かった。
その日の深夜、事件は起こった。
暴力団の準構成員が、民間人を発砲、射殺したのだ。すぐに、所轄署に捜査本部が設置された。
容疑者が、暴力団組員ということもあり捜査一課と組織犯罪対策課で捜査本部が組織された。捜査本部に入ると、一角だけやたらガタイのいい強面の男たちが固まっている。組織犯罪対策課の捜査員たちだ。間宮に負けず劣らずの強面ぶりに目を逸らせてしまう。
横目で、彼らを盗み見ていたら間宮の姿を見つけた。部下に何か言っているようだ。何を言っているんだ?気になって、聞き耳を立ててみると「くそっ六道組め!よりによってこんな時に、潰してやる」と怒り心頭の様子だった。
ああ、やっぱり間宮さんてば、そんなことだろうと思いました。肩をすくめつつ、捜査会議が始まるのを待った。
容疑者の谷原耕介は、拳銃を所持したまま逃走。谷原は、清和会系暴力団六道組の準構成員だった。最初、組同士の抗争かと捜査本部は色めき立ったがどうも違うらしい。今回の銃撃事件で、六道組は谷原の単独による犯行だと主張している。その証拠に、六道組は谷原の情報を率先して警察に流してきた。拳銃の入手も、二週間前にインターネットの闇サイトで購入していたことが谷原のパソコンの履歴から分かった。
会議終了後、部屋から出て行く怪しい集団、ではなく、組織犯罪対策課の面々を見送り席を立つ。
俺たちは谷原の家の周辺の聞き込みをするため、田村の車に乗り込む。新車独特の匂いが、鼻につく。納品されたばかりの車で、ドライブやデートに使うことなく、しかも一番に助手席に乗るのが俺なんて。あはは、愉快だ。―――って、俺も人のこと言えなかった。
谷原の部屋に入ると、部屋の中央に布団が敷いてあり、その上にノートパソコンが一台あるだけだった。テレビもテーブルもタンスもない。洋服が何枚か、床に散らばっているくらいだった。
「これまたシンプルな生活してたんだな」
寝るくらいしかできないんじゃないか?ここでどんな生活していたんだ。
「パソコンがあるだろ。電脳構成員だったのかもな」
そう言うと、田村はパソコンを立ち上げた。パソコンのデータは、既に科捜研が調べている。何を調べる気だ?
インターネットに繋げ履歴を調べるが、特にたいしたサイトは見ていなかった。というか、アダルトサイトばかりだった。
「電脳ね。聞き込みに行くか」
ため息をつき、田村は立ち上がった。
近所の人間は谷原について、あまり多くを語らなかった。暴力団準構成員ということもあって、あまり近付かないようにしていたようだ。しかも、拳銃を持って今も逃走している。下手に何か言って、撃たれでもしたらたまったものではない。よけいに、皆、口を硬く閉ざしてしまったようだ。
結局、何の収穫も得ることはできずに署に戻ることにした。