#2
「可哀相だなぁ、手紙渡されたヤツ。傷ついただろーなぁ」
貧乏くじを引いた捜査員に同情する。そんな俺を無言で睨む田村。
「なんだよ。お前に睨まれるようなこと言ったか?」
「別に」
何事もなかったように田村は車を発進させた。信号が赤から青に変わり、再び車窓の景色が流れ始める。
「また始まった」
俺は辟易しながら田村を睨んだ。
「『別に』ってことは、なにかあるってことだろ?言えよ、気になるから」
「仕事に集中しろ」
「言うと思った」
俺は鼻を鳴らす。
「無駄話するなって言いたいんだろ?いいじゃねぇか、移動中くらい」
「付き合わされる俺の身にもなれ」
「はん、いい気分転換になるだろ。事件のことばっか考えてっと、見えるものも見えなくなっちまうぞ」
「偉そうに。俺には俺のやり方がある」
「俺にも俺のやり方があるんだよ。俺だってお前に付き合ってやってんだ。お前も俺に付き合え」
「御免だな。よそでやってくれ、迷惑だ」
突き放すように言う田村に俺は、「警部に言えよ。俺に人事権はないんだから。なんか少し分かってきたぞ。お前、俺の前のヤツにもそうやって自己流を通して逃げられたんだろ。言っとくけどな、俺からはコンビ解消なんてしないからな。嫌ならお前から警部に言えばいい」
「はっ。お前だって自己流を通そうとしてるじゃねぇか」
「お互い様だろ」
俺がにやりと笑うと、面白くなさそうに田村は顔をしかめ、ふん、と鼻を鳴らした。素直じゃないな、と俺は苦笑いする。
「別に、自己流を通すのが悪いことだとは言ってないさ。誰だって自己流があるのは当然のことだし。それを受け入れるか、受け入れないか。それだけだろ」
田村は何も言わない。
俺は車窓を流れていく景色に視線を向けた。
車窓の外では、当たり前のように街の日常が営まれていた。子連れの母親らしき若い女性。腰を曲げ、杖をつくおばあさん。気難しげな顔つきで早足で歩くスーツを着た若い男。自転車に乗ったスウェット姿の中年の男。威勢のいい八百屋のおかみさん。花屋で花を選ぶ小さな女の子。
凶悪になりつつある爆弾魔がこの日常のどこかに潜んでいるのに、彼らは気にしていないように見える。いや、俺が都合よくそう見ているだけなのかもしれない。
飯沼妙子の証言をもとに、捜査本部は一件目と二件目の現場から隠されたまま放置されていた手紙を発見した。そこから暗号が爆弾の場所を示していることが分かり、通信記録から悪戯電話の三時間後に爆弾が爆発していることが分かった。
だが、捜査本部はその数日後に起こった四件目の爆破事件を未然に防ぐことはできなかった。
――次はない、か。
篠原の言葉を思い出す。いろいろな意味を含んだ言葉だったのだと今になって思う。
街の日常から視線を逸らし、俺はネクタイを緩める。犯人のことを考えようとしたその時、ふと顔を上げるとフロントガラスの先にある巨大な積乱雲が目に入った。息をのむほどの巨大な雲の塊。悠然と空にそびえ立つその姿は山のごとし。夏の風物詩でもある入道雲。だが、その穏やかな姿とは裏腹にその内部は雷鳴が轟き、大雨が吹き荒れている。
「着くぞ」
田村の声に我に返る。一瞬、何のことか分からなかった。周りを確認すると、いつのまにか車は街中から住宅街に移動していた。先ほどとは打って変わって人通りがない。平日の午前中の住宅街はこんなものなのだ。
よくよく観察すると、バルコニーで布団や洗濯物を干していたり、庭の植木に水をやる住人の姿があった。街中とは違った穏やかな日常がここでは営まれていた。
「ああ、聞き込み先にもう着くのか」
完全な独り言だった。ところが田村は、間髪入れずに「寝てたのか」と呆れた声で言った。
「ちげぇよ。目開けてたろーが」
「目を開けて寝るヤツなのかと思った」
「いるか、そんなヤツ!だいたい、仕事中に寝る訳ねぇだろ」
「じゃあ、仕事中に上の空になるのはいいのか」
田村は近くの公園脇に車を止めた。
「別に、上の空だったわけじゃないさ」
俺はわずかに狼狽える。
「犯人のことを、さ」
考えようとしたら眼前の巨大な雲に圧倒されて……確かに上の空ではあった。他事を考えていたのだから。
「行くぞ」
田村は横目でちらりと俺を見た後、ドアを開けて車から降りようとした。
「俺だけでいい。お前はここにいろ。通報されたらまずいだろ」
「何を?」
片足を外に出したまま訝しむ田村。
「路駐。こういう住宅地は路駐の車嫌うんだよ。平日のしかも午前中に社用車でもない車がこんな公園横に止めてあったらどう見たって怪しいだろ。俺、交番勤務ん時、よくそれで呼び出されてたんだ。住民からの通報で」
「ふぅん」
意外そうな目で田村が俺を見ている。
「お前、そういう経験ないのか?俺んとこだけか?結構大変だったぞ」
通報した住人と車の持ち主の言い争いの仲裁に何度入ったことか。そして最後には、警察の怠慢がすべて悪いと何故か俺が怒られる始末になるのだ。理不尽極まりない。
「ない」
「あっそう。ま、警官の車が通報されちゃまずいわな。お前はここで留守番してろ。俺が行ってくるから」
ネクタイを締め直し、俺は車から降りる。と同時に、大きなため息をついた。
締め直したネクタイをまた緩めたくなるほど、外は暑かった。太陽の日差しが凶悪なまでに肌に突き刺さる。一気に体力を奪われそうになる。
「歳食ったね、俺も。こんな暑さでへばるなんて」
目的の人物の住む家はすぐ目の前。さっさと用事を済ませてしまおう。俺は一歩、前に踏み出した。
目的の人物とは、あの爆弾騒動の日に県警の地下駐車場に止められていた車の持ち主である。
県警の地下駐車場は夜間は閉鎖されている。そして爆弾の仕掛けられた車は、警備部の人間のものだった。つまり、犯人は外から爆弾を仕掛けた車を運び込んだのではなく、あの日、地下駐車場で爆弾を取り付けたということになる。
ただ、爆弾を仕掛けられた車は地下駐車場に設置された防犯カメラの死角の位置にあり、犯人が爆弾を取り付けている姿は映ってはいなかった。
地下駐車場にあの日止められていた車、しかも騒ぎが起きる前に出庫した車の持ち主を防犯カメラに映されたナンバーから割り出し、聞き込みをするのが俺たちの今回の仕事である。
犯人が車を利用したか、それは分からない。防犯カメラの存在を考えると、その可能性は低いと本部内では見られている。けれど、可能性はゼロではない。もしかしたら利用したかもしれない。他の利用者が犯人らしき不審者をみているかもしれない。
『かもしれない』をひとつひとつ潰していくのが警察の仕事なのだ。
テレビドラマで見るような派手でかっこいい刑事などいやしない。毎回、毎回、拳銃をぶっ放す刑事など存在しない。女ったらしの刑事はいた。でもそれも、稀な存在だと思う。
そもそも、こんな不規則な仕事をしていてよくそう何人もの女性と付き合うことができるのか。若林は超人なのかもしれない。ああ、かもしれないが多すぎて困る。
俺は小さく首を振り、聞き込み先のインターフォンのボタンを押した。
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