#1
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「あーあ。俺、明日久々のデートだったのになぁ」
「知るか」
間髪入れずに俺の向かいに座る中警察署の刑事の中本が冷たく言い放った。目を通している書類から顔を上げることなく浮ついた発言を一蹴した彼は、気難しそうに眉間に深い皺を寄せ、聞こえないくらい小さな声で何やらブツブツ呟いている。
目の下のクマと若白髪が目立つ中本。俺と同世代と聞いたが、その風貌はどうみても三十代後半にしか見えない。所轄の刑事はそれだけ激務だということなのだろうか。
眼前の芥川龍之介に似た男は、思慮深げに肩肘をつき、机上に広げられた捜査資料を指でリズムを取るように叩きながら小さく唸り声を上げた。
「はん、冷たい奴。それとも何か?お前の傷をえぐっちまったか?先月振られたばかりだったよなぁ、なかやん」
田村の向かいに座るこちらも中警察署の刑事の五十嵐が、中本の顔を覗き込みながら負けじと言い返した。冒頭のデート発言の主である。こっちは太宰治似の優男だった。垂れ気味の目と上がり気味の口角がそっくりだ。文芸コンビ。初めて二人に会った時、その言葉が真っ先に頭に浮かんだ。
だがこの五十嵐、本物のもつ破滅的な匂いというか翳が微塵も感じられない。血色がとにかくいい。ここ数日ずっと一緒にいるが、健康的な笑顔を振りまく太陽みたいに明るい男だった。
「振られたんじゃねぇ、俺が振ってやったんだよ」
気持ち机に身を乗り出す形で芥川が太宰を睨むと、「もう女なんて信じねぇって言ってなかったっけ?酒も浴びるように飲んでさぁ。ふらふらになって歩くのもままならなくなったお前を介抱したのは誰様でしたっけ?」と太宰がからかうようににやりと笑った。
「覚えてねぇ」
即答だった。
「なかやーん」
太宰が信じられないとばかりに体を大きく仰け反らせた。
「お前のゲロの処理もしたんだぞ、俺は。忘れるなー。心に刻んでおけー。俺を崇めろー」
ああ、俺の中の太宰像がどんどん崩れていく。
「うるせぇ。女よりまずは犯人だろーが」
凄む――照れ隠しか?――中本に、「誤魔化しやがって、このやろう。あとでなんか奢れよな。あーあ、チカにはあとでたっぷりご機嫌取ることにしよっと。早く独身寮出てぇなぁ」と五十嵐は慣れた手つき、というか指つきで携帯のボタンを打ち始めた。彼女にデートの断りメールでも送るつもりなのだろう。
「久々にエッチできると思ったのになぁ。Gカップ……楽しみにしてたのに」
五十嵐が残念そうに呟いた。振られてしまえ。
「胸のでかい女にろくなヤツいないって言うぞ。バカばっからしいしな」
中本の負け惜しみに、「前カノのこと言ってんのか?確かEカップがどーのとか、でかいおっぱいはやっぱりいいとか言ってなかったか?お前さん」と若干呆れ気味の五十嵐。
「言ってねぇ。一般論を言っただけだ」
中本は不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「未練がましいなぁ、今度チカの友達紹介してやるよ」
「結構だ」
やめろとばかりに中本が強い口調で拒絶した。
仕事中に女の話をするな、というよりは俺たちを意識しての強固な態度のように感じた。どうやらこの男、俺たちの前では仮面を被っているようだ。
前に若林から聞いたことがある。所轄の刑事の中には、本部の刑事の介入を快く思わないのもいると。中本はそっち側の人間なのかもしれない。
「すんませんね、こいつ極度の人見知りなんすよ」
苦笑しながら弁明する五十嵐に、「大丈夫ですよ、それを上回る人見知り野郎がここにいますから」と俺は顎先で田村を指した。我関せずと捜査資料を読みふける無表情の田村に五十嵐も苦笑した。
「まじすか。大変すね、俺も望月さんも」
「ほんとすね」
「刑事で人見知りってどうよって感じっすよね。しかもこの仏頂面っしょ?だから振られるんすよね」
「余計なお世話だ」
すぐさま中本が関係ねぇだろとばかりに口を挟んできた。この男の仮面を外すのはなかなか難しそうだ。
「はいはい、失礼しました。ね、面倒くさいっしょ?」
肩をすくめて見せる五十嵐。面倒だと言ってはいるが、それを楽しんでいる風にもみえる。五十嵐にとって中本は仕事上の相棒というだけでなく、気が置けない友人でもあるのだろう。
「仲いいね」
「まぁ、長いから。ところで望月さんは付き合ってどれくらいっすか?」
机に両肘をつき、五十嵐が興味深そうに訊いてきた。そんな彼を中本が横目でジロリと睨んだ。五十嵐はその視線に気づかない。いや、気づいていないフリをしているだけかもしれない。にこにこと笑いながら「どうなんすか?」と再度俺に尋ねた。
「半年、かな」
刑事になって半年。バカにされそうであまり言いたくはなかったが、こう屈託のない笑顔を向けられると答えないわけにはいかない気にさせられる。この笑みも刑事としての道具のひとつなのかもしれない。
「じゃあこれからっすね」
「前途多難って感じだよ、ほんと」
思わずため息が漏れた。この半年、俺は刑事として少しでも成長しているのだろうか。
「そうなんすか?でもそれって燃えるかも。絶対手なずけてやるって感じで」
嬉々とする五十嵐。なぜそんなに楽しそうなんだ。
「手なずけるっていうか……そうだなぁ、同じ位置に、隣に並んでやるっていうのはあるかなぁ」
まだ田村の背中しか見ていない気がする。それを思うとなんだか悔しく思う。
「可愛いっすねぇ。隣に、かぁ。初々しいなぁ」
からかうように言う五十嵐に、「すみませんね、経験が浅くて」と俺は頬を膨らませる。
悔しいが、この中で刑事としての経験が一番浅いのは俺だ。田村だけでなく、五十嵐や中本の背中を俺は追っている状態なのだ。情けない。
「まじすか?経験豊富そうに見えるのに。そっかぁ、そうなんだぁ」
五十嵐がにんまりと表情を緩めた。
「ぜんぜん豊富じゃないって。まだ俺二回しか実践経験してないし」
「まじで?!」
驚愕する五十嵐を腹ただしく思いながらも、俺は「まじで」と答えるしかできなかった。情けない。
「ほんとに?」
まじまじと俺を見つめる五十嵐の視線を「しつこい!」と俺は跳ね除けた。
「みえねぇ。……へぇ、そうなんだぁ」
「いいけどね。これから経験積んでいけばいいんだから」
俺はふん、と鼻を鳴らし、
「まずは、この事件を片付けやる。仕事しよーぜ、仕事」
手元の資料に視線を落とす俺に「お、おお。そうだな。こんな話してる場合じゃないよな」と五十嵐の少し戸惑ったような声が耳に届いた。
ほっとけ。この事件が解決した時、俺はお前らと肩を並べて立ってやる。
――絶対だ。見てろよ、田村。それに巨乳好きコンビ。
爆弾魔が現れたのは、今から三ヶ月前のことだった。
中区にある中部銀行中央支店の男子トイレに仕掛けられていた爆弾が爆発し、運悪くその場に居合わせた数人が火傷などの軽傷を負った。
すぐさま中警察署に捜査本部が設置されたが、犯人を特定することもできないままその二ヶ月後、市立大学の講堂に仕掛けられた二つ目の爆弾が爆発。週末だったこともあり講堂の壁が黒く焼け焦げた程度ですんだが、もし平日に爆弾が仕掛けられていたら大惨事となっていたことだろう。
その日のうちに捜査本部は特別捜査本部に格上げとなり、新たに100人の捜査員が導入された。犯人の置き土産である爆弾の残骸から、鑑識班と科捜研が使用された部品をわり出し、捜査員たちは部品を購入した人物の特定に奔走した。
現場周辺に設置されている監視カメラ。それらのテープをすべて回収し、連日、画面と向き合い続ける捜査員たちは開始二日目くらいには顔から表情が消えている。そして虚ろな瞳は画面の観すぎのためか真っ赤に充血し、言葉少なになっていく。末期状態の彼らを他の捜査員たちは敬意を込めてゾンビと呼ぶ。ゾンビたちは部屋に籠るヤツとトイレに行く頻度がやたらと多くなるヤツと二極化し、前に担当になったときは田村が前者で俺は後者だった。
――長時間座りっぱなしな上、眠気覚ましのコーヒーをガブ飲みしていればトイレが近くなるのは当然ではないか。決してサボタージュしているわけではない。田村はきっと汗とか別の体液として体から放出しているのだと思う。きっとそうに違いない。
他の捜査員たちは……慣れだ、慣れ。コントロールできるようになっただけだ。田村もそう。今度こそ、本当にそうに違いない。
話をもとに戻そう。
ベテランの捜査員になると、爆弾を仕掛けられた会社や学校の職員、および退職者、取引先などあらゆる関係者の洗い出しなどを行う捜査が割り振られることが多かった。犯人に繋がる証拠を手に入れやすいからだ。だが、こちらも決して楽な仕事ではない。
春や秋ならば気候も穏やかだからいいが、夏や冬の聞き込みは最悪だ。熱中症で倒れた刑事もいるというし、可哀相なのが、凍結した道で転んで両足骨折したという刑事。彼は今、とある所轄署の会計課にいると聞く。
『警察に恨みがあるのなら真冬か真夏に事件を起こすといいかもな』
警察学校で同じクラスだったヤツがふざけて言った言葉。クラスメイトからかなりひんしゅくを買っていたが、実際に刑事になってみると犯人に対し、わざとこんな過酷な時期を狙って事件起こしたんじゃないだろな、と腹立だしく思うことが多々あった。
正解だ、高峰。お前の言ったことは正しかったよ。総務課なんかに収まりやがって。お前もこの苦労を味わえ。
そんな靴底に穴が開くような地道な捜査を続ける捜査員たちを嘲笑うかのように、犯人は三つ目の爆弾を爆発させた。爆弾が仕掛けられていたのは中区にある中嶋建設本社ビルのエントランスホール。人の出入りの多い時間帯を狙うように爆弾は爆発し、死傷者十数名を出した。
そう、ここで初めて死者を出してしまった。失態はそれだけではない。この三件目の爆発で、初めて犯人からの〈第一の電話〉の存在が明らかになったのだ。
これまで一件目の銀行も、二件目の大学も、悪戯電話のことを警察に報告していなかった。電話を受けたどちらの社員も、爆弾騒ぎで頭からきれいさっぱり電話のことなど消え去っていたのだ。
けれど、それを責めることは誰もできまい。仮に報告を受けていたとしても、あの時点でデスクが悪戯電話を事件と関連づけることができたかどうかはなはだ怪しい。……少なくとも、俺には彼らを責めることはできない。
それは三件目の事件直後のことだった。
現場検証の最中、ひとりの若い女性社員が捜査員に白い封筒を差し出した。落ち着かない様子の女性社員。何か言いかけ、恥ずかしそうに口を閉ざす彼女に捜査員は狼狽えた。そして白い封筒を受け取ると、そそくさと背広の内ポケットに忍ばせた。
今度は女性社員が慌てる番だった。一部始終を見ていた別の捜査員の話では、彼女は近くにいた何人かの捜査員たちに無実を訴える被疑者――例え方に問題はあるが、どの説明よりも解りやすいと思うのは職業病だろうか――のように「違います、拾ったんですっ」と必死に訴えたそうだ。
その女性社員、飯沼妙子の話によると、エントランスホールに飾られていた絵画の裏から白い紙が滑り落ちるのを偶然見たのだという。何だろう、と近づいていくと宛先も何も書かれていない白い封筒が床に落ちている。手に取ってみると封はされていない。中を確認すると、意味の解らない文章が書かれていた。
普段から刑事ドラマをよく観ていた妙子は思ったそうだ。
――今回の事件に関係があるかもしれない。
暗号文を見つめながら、彼女はふと数時間前のあの腹立だしい悪戯電話のことを思い出した。そう、電話を取ったのも受付業務をしている彼女だったのだ。
――あれも、もしかしたら事件に関係があるかもしれない。
妙子は意を決して近くにいた捜査員に封筒を差し出した。そして口を開きかけた時、自分の推論がもし間違っていたら、という考えがふいに頭を過った。手紙がただの悪戯だったら。電話も何の関係もなかったら。捜査の邪魔をするなと怒られるかもしれない。笑われるかもしれない。下手をしたら疑われるかもしれない。
そう思うと、怖くなって何も言えなくなってしまったらしい。
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