#6
「なにか、解ったんですか?」
俺はもう一度、声をかける。すると若林はゆっくりと俺の方に蒼白となった顔を向ける。
「……まさか、犯人は警察内部の人間なのか?」
若林の言葉に、今度は俺と里見が愕然とすることとなった。思いもよらない展開に頭の中が混乱する。
「でも、あそこに自由に出入りできる人間は今ここに全員揃っているわ。本部の出入口は完全に封鎖されているし、逃げることもできないのよ」
「……道連れにするつもりか?」
顎に手を当て、低い声で若林が呟くように言った。
「それとも爆弾はダミーで他に目的が?いや、この状況では自由に身動きすることはできないはず。では、保管庫のモノをこの世から抹消するつもりだとしたら?押収した薬物の横流し、もしくは証拠品の改ざん、紛失、そういった不祥事を誤魔化すために保管庫が吹き飛ぶほどの威力の爆弾を仕掛けてあるとか?いや、そんなことすればすぐに内部の人間の犯行だとバレてしまう」
若林が自問自答する中、俺は別のことを考えていた。
さっきの里見の言葉。あの時、俺は里見に何を言おうとしたのか。それが思い出せない。一瞬だが、何か見えた気がしたのだが。若林の内部犯行説に衝撃を受け、すべてが頭から吹き飛んでしまった。
内部犯行説、か。若林には申し訳ないが、俺は懐疑的だった。
仮に若林のいう不祥事があったとしても、ここまで大がかりなことをせずとも秘密裡に処理することはできたはずだ。
今回の騒動で本部の逆鱗に触れたのは必至。今後、本部は総力を挙げて犯人検挙に乗り出すことになるだろう。犯人が内部の人間ならば、それがどれほど危険な行為なのかは想像に難くないはず。自殺行為に他ならない。
「犯人に操られているというのは?弱みを握られて脅されているとか?」
里見の声が耳に届いた。なるほど、そういう考えもあるか。
「だが、命を捨ててまで何を守るっていうんだ?」
若林がすぐさま反論する。確かに。命を捨ててまで守らなくてはいけないものなど、俺には思いつかない。たったひとつしかない命よりも大切なものなど――
「あっ!」
思わず声を上げる俺に、若林と里見が同時に振り向く。俺は興奮しながら「拾得物ですよ!」と若林たちに早口で捲し立てた。
「犯人が、拾ったものだと警察に爆弾を入れた箱を届けていたとしたら?!拾得物なら、モノを持ち込んでも怪しまれないし、中もそこまで細かく確認したりしない。もちろん、番号もふられる。爆弾の入った箱を届けてから、暗号文を作成したんじゃないですか?」
頭の中でごちゃごちゃに絡まっていた糸が一気に解けていく感覚に、鳥肌が立った。
「この暗号文を短時間で作ることなんてできるか?」
若林が言った。
「大本はできてたんじゃないですか?『煩悩を刻み込まれた棺桶』の部分だけ、あ……」
言葉を失う俺に、「気づいたか」と今まで手紙を凝視していた田村が声を発した。ここに来て初めての発言だった。
「さっき自分で『目覚め待つ空箱』は爆弾を示していないと気づいたのに、言葉に囚われ過ぎて前と同じ失敗を繰り返していることに」
そう言いながら、田村は俺の方に顔を向ける。
「聞いてたのか、俺たちの会話」
俺の中で解けきったと思った糸が、前以上にひどい絡まり方で俺の前に転がっている。さっき味わった高揚感も、いつの間にか跡形もなく消え去っていた。
「聞こえただけだ」
しれっと田村が答えた。コイツは人を怒らせる天才かもしれない。
「だったら無視してないで入ってこいや。ていうか、気づいてたなら言え!バカがっ!」
「解読が先だろ、どあほぅが」
負けじと田村が言い返してきた。相変わらずムカツク顔だ。なんでいつもそんなに偉そうなんだよ。
「おっまえ、ほんと腹立つなー!若さんもなんか言ってやったらどうです?コイツ、失礼過ぎるでしょ」
何も言わない若林に俺は不満をぶつけた。すると若林は苦笑し、「聞く耳があれば言ってるさ」と言った。
「なるほど」
大きく頷く俺を田村が睨んだ。本当のことだろうが。
「よし、頭切り替えて次いこう!」
両肩を回しながら気合を入れる俺に、「前向きなヤツだなぁ、お前」と若林が笑った。
「自覚してます。今日の自分を責めるのは、すべてが終わってからです。いやっちゅうほどビール煽って、酔い潰れるつもりですよ」
「いいねぇ、お前。気に入った。俺も付き合ってやるよ」
「私も」
里見の「私も」が俺のことを気に入ったことなのか、それとも飲みに付き合うということなのか気にはなったが、まずは目の前に立ちはだかる難問が先だ。俺は丁寧な文字で書かれた暗号文に意識を集中させる。
本部に来て日の浅い俺は、思いつく場所を思い浮かべる。
「シンプルに考えると108の番号をふられた場所に爆弾があるってことですよね。そんな場所ありましたっけ?」
暗号など解読しなくても、その場所を見つけられればすべては解決するのだ。
無意識に口走る俺に、「すぐに答えられたらこんなところで頭寄せ合う必要ないだろ」と向かいに立つ田村が冷たく言い放った。
確かに。田村の切れ味のよすぎる正論に、俺は項垂れた。つい今しがた失敗したばかりなのに何やってるんだ、俺は。
「俺、もう少し考えてから発言することにするわ」
「お前にできるのか?」
田村の容赦ない攻撃。落ち込んでる人間を追い詰めるようなことを言うなよ。せめて、メモから顔を上げて言ってくれ。
俺は心に若干の傷を負いながら、メモに視線を戻す。
「若さん。コレが解決したら、慰めてくださいね」
メモに集中しながら、俺は左隣りの若林に声をかけた。目の端から数センチ横にある若林の端整な横顔が確認できる。自分でも近いと思うが、右隣りには里見がいる。ここの距離は、ある程度保ちたかった。小さいな、俺。
「俺、女の子しか慰めないって決めてるんだよね。ごめん」
即答された。みんな、ひどいな。
「信じてたのに。……ああ、上司に似たんすね」
そういえば、澱む世界ってなんだろう。
「失礼な」
若林に頭突きされた。
「どっちがひどいんすか。もう、どいつもこいつも」
篠原は警察組織を指していると解釈した。
「先輩だぞ、俺」
若林の言葉に機械的に「そうっすね」と答える。意識はすでに内へと向かっていた。
犯人にとって、警察という組織は澱んだ世界に見えているということだろうか。そして、それをすぐさま解読した篠原もそう思っているのだろうか。怖くて口にはできない。
「慰めて欲しいの?望月くん」
「え?」
思わず顔を上げると、里見が覗き込むように俺を見ていた。彼女の大きな黒い瞳に吸い込まれそうになる。
「あの、里見さん」
「ちょっと意外。望月くんってそんなタイプには見えなかったから」
里見が微笑んだ。
その笑顔を見た途端、いきなり思い出した。あの時、里見に何を言おうとしたのかを――
「でも、目を覚ます、動き出すっていう捉え方もできますよ」
俺は呟いた。あの時、俺はそう言おうとしたのだ。思い出してみれば、大した内容ではなかった。けど、なんだろう。答えがぼんやりとだが目の前に姿を現したように思えた。
「望月くん?」
視線だけを里見に向けると、彼女だけでなく若林と田村も訝しむように俺を見ていた。掴みかけた答えが逃げ出してしまいそうで俺は三人に少し待つように手を上げ、意識を集中させる。
――目覚め待つ空箱は、煩悩を刻み込まれた棺桶で眠る。
「ということは、いくつもの棺桶がそこにあるということだ。100以上の棺桶が置かれた部屋。そこに目覚め待つ空箱が眠っている。その空箱も入れ物だ。……もしかして、その空箱もいくつもあるのか?」
「棺桶の数だけか?」
田村の声が聞こえた。
「ああ、そうだ。棺桶の中に目覚め待つ空箱があるんだ。そのひとつに、爆弾はある。しかもその空箱は動く。機械か何かだろうか?まだ足りない。――じゃあ、次に気になるのは」
「澱む世界に住みしものたち」
若林が答えた。
「ええ。これって俺たち警官のことではなく、この棺桶のことを言ってるんじゃないですかね」
「確かにそうだな。俺たちに呼びかけているのだとしたら、『住みしものたちよ』とか漢字で『者たち』って書くよな。これも暗号のひとつだったのか」
「澱む世界。なんか息苦しい感じがするわね。水や空気がうまく流れないで濁ってるというか汚れている感じ?」
里見が低く呟いた。その言葉に、靄がかって見えなかったものがいきなり目の前に現れた。今度こそ、本物だ。
「あそこか!」
俺と田村が同時に叫んだ。そして駆け出す。目指すところは同じはず。俺と同じ景色が、コイツにも見えたのだ。
「望月!分かったのか?!」
後ろから若林の声が聞こえた。
「警部に連絡して下さい!――地下駐車場です!」
俺はありったけの力を込めて叫んだ。
判ってみれば、あっけないほど簡単な答え。どうしてもっと早く気づかなかったのか。暗号という言葉のまやかしに、完全に俺たちは振り回されていた。
あれほど訳の判らなかった暗号文が、解けてみればもうソレしか意味していないように見える。頭を抱えて考え込んでいたことが嘘のように、爆弾の場所を表す詩的な文章となっていた。
――爆弾は、108の番号がふられた駐車スペースに止められている車に隠されている。
俺たちは階段を駆け下り、駐車場へ通じる扉を勢いよく押し開けた。その風圧で細かな砂埃が舞い上がった。
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