しあわせのおと
毎日毎日、私が動いていい範囲は寝返りで180度。
ベッドから離れることはおろか、起き上がることをしてはいけない。
24時間点滴とつながり、トイレにもシャワーにも行けない。腕を上げ、足首を動かすのが関の山。
毎日行われる診察もベッドの上での排泄も、慣れることはない。
自分は本当は動けるのに、されるがままで世話をしてもらっているという状況で、屈辱だと感じてはいけないとさえ思いながら。
それは、まるで人形かペットにでもなったような感覚。ここに感情は人格は必要ないのだから。
毎日、毎食前、無事かどうか確認するためのモニターをつける。
とくとくとくとく、大人より子供より早い鼓動。中で蹴ってうねって混じる雑音。
それらを40分ほど聞きながらさわっている携帯の待ち受け、夫が満面の笑みで後ろから息子を抱き締めている瞬間のあたたかな画。
毎日はまだ続く、それでも私はがんばれる。君たちのために、君たちと笑いあえる未来の私のために。
思い新たにして、おなかに手を添えればとん、と蹴り返される優しい感触。
私は耳を傾け、焼きつける。生まれた後にはもう聞くことがない、しあわせの音を。