第7話 2-3 「古文書」
20141011公開
3.『古文書』 西暦2005年10月23日(日) 午前9時33分
守春香は宮野留美が電話に出ないので、上代賢太郎にダイヤルした。彼はすぐに出た。
「賢太郎、留美は一緒? もう逃げ始めている? 最悪の事態になったから、とにかく離れる事。留美を最優先で皆の安全を確保する事。最後に、電話はそのままで切らない事。頼むわよ」
春香はケイタイを耳に押し付けながら、兄の守貴志に声を掛けた。
「貴ニィ、何を言いたいか、分かるよね?」
貴志もケイタイでどこかと連絡を取っていた。マイクを覆って、返事を返した。
「駄目だ」
「どうして? 私なら何とかなるかも」
「絶対に駄目だ」
姉の真理が春香を後ろから抱締めながら囁いた。
「春香、許して。相手の情報が少なすぎるし、今行ったら、色々な意味で貴女を失う可能性が高すぎるの。本当は分かっているのでしょう?」
「真理ネェまでそう言うなら、今は我慢する。でも、今回だけ」
喘ぐように言った春香はケイタイから聞こえる音声に集中した。今はこれだけが、留美の状況を知る唯一の方法だった。
ケイタイからは賢太郎がなんとか逃走ルートを作ろうと、押し合いへし合いになっているのだろう、文句を言われたり、文句を言ったりしている声が聞こえていた。留美の声が微かに聞こえた。更にケータイを耳に押し付けた。
『・・んない。でも、賢太・・・言う通りにし・・・・絶対にいいって事だ・・分か・よ。だか・・・はここから離れよ・・・・・』
春香は、途切れ途切れに聞こえてきた留美のセリフに思わず心の中で叫んだ。
『ああ、留美、貴女ってやっぱりいい』
第二の変化をしてからも、一族以外で変化に気付きながらも自分を受け入れてくれた留美は、春香に取っては何者にも替えがたい存在だった。
もし、留美が居なかったらと考えるだけで普段の自分を保てなくなる程だった。中学3年生になって、やっと発作のような『前頭葉の暴走』が自分でコントロール出来る様になった頃には、もう離れる事は出来ない存在になっていた。
もちろん、いつかは離れて生きていく事になる事は分かっている。
でも、もうしばらく一緒に居たくて、わざと志望校のレベルを落とした。兄も姉も卒業した高校だったが、彼女がその気になって受験すれば、日本国内の高校ならどんな高校でも絶対に合格する自信は有った。
賢太郎の荒い息が続いたが、終わりは唐突に訪れた。布擦れの音と共に、嫌な衝突音がした。すぐに破壊音がして、その後は不通を知らせるツーツーという音だけが響いた。
春香はケータイの電源を静かに切って、視線をテレビ画面に向けた。他のメンバーに掛けても、きっと今は出られないし、むしろ逃避行の邪魔になるだけと判断していた。彼女の頭は自分が取れる行動を次々とピックアップしては、却下していた。
最終的に即時に取れる行動は無いと確認すると、今後に向けての準備を採用した。
「貴ニィ、パチンコ玉はまだ317発残っているよね? いざとなったら使うよ」
「50発だけだ。その代わり、中に残すな。1200以上が条件だ。それと、試作のジャケットを羽織って行け」
「うん、そうする」
二人が、パチンコ玉を『個』ではなく、『発』で数えている異様さに気付いていない人物は母親だけであった。父親は勿論、姉も祖母も春香と貴志の特技を知っていた。その特技ゆえに守家の会社は特許を取り、高機能繊維の分野で確固たる地位を確立しつつあるからだった。
テレビ画面をしばらく凝視した後で、彼女は囁くように言った。
「ありがとう」
もし、この場に留美を例外として、一族以外の者が居たとしたら、あまりの圧迫感で一言も発する事は出来なかっただろう。
この部屋で4人もの能力者が同時に『ギア入れ』をしているのだ。下手をすれば、呼吸不全に陥ってもおかしくない。その中で一番大きな圧迫感を発しているのは春香だった。兄の貴志が命名した『前頭葉の暴走』レベルだった。
守春香は、一種の先祖返りだった。
庭にある土蔵自体は江戸時代に建てられた物だったが、その中に保管されていた、一族では単に『古文書』と呼んでいる物に彼女の様な症状が現れる人々の記述が有った。
『古文書』自体の存在は土蔵の目録に記されていた事もあり、一族の間では知られていたが、保存を優先してきた為に写本を作った時以降は解読されることも無く、大切に保管されてきた。現代までほぼ原形を留めて来られた理由としては、材質も有るが、一族代々が陰干しや空気の循環などの手入れを怠らなかった事も有った。
ただ、いつの時代から在るのかは、つい最近まで不明だった。
その書物にはいくつもの問題が有った。
第一の問題は書かれている文字が知られているものではなく、明らかに未発見のものだった事だ。
唯一の写本を作った人物は江戸時代中期の人物で、漢詩と和歌では名が知れた人物だったらしい。それが理由なのだろうが、彼は『後世に伝える事が一族の存在意義』と申し送られてきた文書を読み解こうと、人生の三分の一を捧げた。どうやら、当時流行していた神代文字と思っていた節があった。
だが、解読は出来なかった。解読は叶わなかったが、とてつもなく貴重なものという実感が人生の終わりに近付くにつれて募り、土蔵を建てて保存する事になる。その時に、屋敷に残されていた古物の目録を作り、必ず後世に伝える事を自分の子や孫たちに命じた後、安らかな眠りについた。
文書が解読されたのは、それから280年以上経った時だった。断絶の危機に直面していた分家に養子に入っていた、春香の祖母妙の実弟が突破口を見出した。彼は義父の跡を継いで、江戸時代から続く剣術道場の師範を務めていたが、大学院でインダス文字を専門に研究していた元言語学者という変った経歴の持ち主だった。
ある事で困り果てた妙の依頼で、彼は実家に残るすべて文書の解読を道場経営の傍ら始めた。妙が依頼した理由は自分だけで無く、孫達も苦しめる奇病の原因がもし遺伝であれば、そこに解決法が書かれているのではないかと考えたからだった。他人に頼むのもはばかられた為に身内の彼に頼んだが、それは正解だった。
彼は自分の孫同様に可愛がっている実姉の孫達(全員が門下生だったし、特に春香の才能に惚れ込んでいた)が苦しんだ事は知っていたので、すぐに了承した。
彼は片端から目を通し始めた。日本語は専門外だが、趣味として漢文と和歌の両方を嗜んでいた事も有り、思いのほか順調に解読を進めた。その過程で大昔から守家には幻視に苦しめられる者が隔世遺伝の様に発生する事が分かった。治療法は無く、世間には隠し通すように書かれていた。
ただ、現在の様に兄弟全てで発症する例は初めての様だった。妙もそれを受け入れる他なかった。
目的を果たした後もなお、彼は研究を進める事になる。蔵の奥から、おかしなものが4点も出てきたからだ。例の古文書並びにその写本、それと漢文で書かれた荒唐無稽な文書。最後は錆びた鉄剣だった。そう言えば、小さい頃に陰干しの手伝いをした時に見た覚えがあった。
彼は変な文書を後回しにして、古文書の解読を開始した。
だが、たちまち壁に突き当たった。それからの彼はむきになったかの様に研究に没頭した。半分諦めかけた時に、気分転換で変な文書をもう一度読む事にした。目録では伝来不明となっている。
漢文で書かれた文書は簡単に読めるのだが、そこに記載されていた内容は荒唐無稽なものだった。
まず、序文の内容から第39代天皇の弘文天皇(在位西暦672年1月9日~同年8月21日)の時代に記された事になってしまう。これでは、現存する日本最古の歴史書の『古事記』よりも40年も前に書かれていた事になる。
更に、この地方の豪族だった守家に言い伝わる伝承を書き残すというくだりや、本文の内容そのものが、古事記の影響を受けている様に思えてしまい、偽書以外の何物でも無いと判断せざるを得ない。
だが、心引かれる魅力もあった。ものは試しとその内容を古文書の解読の参考にしたところ、当てはまる箇所がおぼろげながら見えてきた。
最終的に、古文書の解読には5年の月日が掛かった。漢文で書かれた文書は『新文書』と呼ぶ事にした。
彼はその解読結果を姉の妙だけに伝えた。その後、貴志達にも伝わった様で、彼らは書かれている文字も知りたがった。少人数とはいえ、自分の研究成果を披露出来る喜びでついつい真剣になったが、彼らは最上級の生徒だった。驚くほど短時間で覚えてしまった(言い出した貴志は才能が無いのか一番成績が悪く、春香の覚えが一番早かった)。
特に春香の才能は凄まじく、次々と未確定の部分を埋めたり、新しい解釈を導いたりした。やはり我が身に起こっている事に関連するから真剣だったせいもあるのだろう。とても中学生になったばかりとは思えない程だった。
古文書の書き出しは以下の文だった。
『神よ(もしくは太陽か太陽神)、我らに新しい土地をお恵み(意味的には導きでも可)下さった事に感謝申し上げます。ただ、神も、妹神(月を表すと思われる)も、天使(?)もおられないこの土地で生きて行く事を考えますと、身が無くなる(信仰を持たない者に対する罰の意味も有る。よほど恐れていたと言う傍証)程の恐れを抱きます』
この文書を書いた人物(一種の宗教的指導者と思われる)と集団は驚くほど博識だった。農耕の知識だけでなく、法律の概念、製鉄、地学、果ては天文学などの知識も持っていた様だ。
20年間に及ぶ記録(夏至や冬至などに合わせて年に4回記入していた。その記入内容でとんでもない事が解るのだが)は、当時の日本の貴重な記録だった。
古文書の原本に挟まっていたしおり代わりの木の葉を数種類の放射年代測定に掛けた結果を信じるとすれば、これだけ詳しくて生々しい弥生時代後期の描写は他ではあり得なかった。
妙とその孫達を悩ましている発熱は第二世代から発生していた。彼らも初めての症状だったらしく、色々と手を打ったが、根本的な解決は出来なかった様だ。幻視に関しては第一世代から受け継いだ能力だった。彼らは俗に言う『オーラ』というものが見えていたようだ。何度も繰り返し、それを示す言葉が繰り返し出てくる。その事が宗教観を形作っていた。
また、その施策や決定に至る過程を見れば、宗教観が入り混じっているが、知能は異常に高い集団だったらしい。
そして、第一世代が第二世代を描写している内容は春香の状態と驚くほど似ていた。あまりのオーラと気性の荒さから恐れられていた事も分かった。
その世代の暴走を恐れるあまり、彼らは自らの力を封印して(錆びた鉄剣は残された1本だった)弥生時代の日本に同化する道を選んだようだった。
たった127人しか居なかったとはいえ、もし逆の判断をしていたら日本史は大幅に変っていただろう。青銅器も無く、石器を主な武器としていた時代に、高度な鉄器を武器としている集団を止める勢力は居なかった(弥生人の事を『小人』と呼んでいた事からも戦闘力は格段の差が有っただろう)。
そのような集団が何故、どのようにして日本に来たのかも書かれていた。彼らは母星(明らかに地球ではない。弥生時代の1年が330日で無い限り)の生存競争に敗れていた。
勝者の事は三種類の呼び方をしていた。
『巨大な者』、『遅れた者』、そして『神の敵』だった。
よほど恐れていた様で、彼らが通った道は徹底的に通れないように塞いでいた。新文書ではその場所を伝えていた。色々調べた結果は、発掘出来ない場所を示していた。
狭山池の底だった。
そして、今現在。その狭山池の底から巨人が出現している。
第一世代がその能力と狂暴さを恐れた第二世代以上の力を秘めた人物が耐えていた。
後に、『鬼』、『悪夢』、『ターミネーター』、『天使』、『双剣士』、『歩く近代兵器』などと様々な二つ名で呼ばれる事になる少女にとって、失う事をもっとも恐れている親友が、巨人が起こした混乱の渦中に居る。辛うじて自制しているが、開放された後にどうなるのかは彼女にも分からなかった。
勿論、この事件自体がどの様になるかを予想できた者は誰一人居なかった。
お読み頂き、誠に有難う御座います m(_ _)m