第6話 2-2 「泥」
20141009公開
2.『泥』 西暦2005年10月23日(日) 午前9時19分
宮野留美たちのグループは南側から狭山池の周遊路に入った。
狭山池の周囲には、1周約2850mの周遊路が整備されている。平日でも気候が穏やかな時間帯の朝夕はジョギングやウォーキングを楽しむ人々が沢山訪れていた。今日はその周遊路にいつも以上の人が居た。ジョギングの邪魔になるほどだった。
「うわ、すごい人! いつもこんなに居るの?」
吉井真里菜が驚いた声を上げた。
「こんなに居るなんて初めて見たわ。いつもはもっと少ないのに」
留美も驚いた声で答えた。ついでに心の中で突っ込む。
『ちょっと、あんた達、デートの邪魔。水が抜けた池がそんなに珍しいんですかぁ?』
更に突っ込む。
『って、それは私達もやー!』
そんな留美の心の中とは関係なく、橋本翼が提案した。
「ここからじゃ見にくいから、移動しようぜ」
まあ、彼の身長では人込みで池が見にくいだろう。ここは府道202号森屋狭山線に接している為に、特に混んでいた。
「だったら、あっちの方が良いよ。防災訓練もあっちでやっているし」
留美は前方やや右手寄りの方向を指差した。その方向にも沢山の人が居たが、ここよりはまだましな様だった。
10分後、彼らはなんとか『さやか公園』の少し手前に空いた場所を見つけて、妙に緊張して調査をしている職員達を眺めていた。
その間もどんどんと野次馬が流れて来て(特に留美達が来た南方面からの流れが多かった)、かなり窮屈になってきた。
周りの人達の会話によると、調査員二人が穴に入ったまま出てこない様だ。
その会話を聞いた上代賢太郎が身体を震わした。それまで、あまり言葉を発していなかった賢太郎の雰囲気が変った。留美しか分からない程度の変化だったが、確かに変った。
留美はびっくりしながら賢太郎を見詰めた。
これは『黒ハル』の一種なのだろうか? 春香ほどの強烈さは無いが、もしオーラという物が他人に見えるとすれば、きっと賢太郎の周りには密度の濃いオーラが発生しているのが見える筈だ。
賢太郎は初めて見せる焦りを浮かべて、皆に言った。特に留美を気にしている様だった。
「ここを離れた方がいい。嫌な流れになっている」
「どういう事?」
「どうもこうも無い。すぐにここから離れるぞ」
吉井真里菜の質問に荒く答えながら、賢太郎は留美の手を掴んだ。びっくりする皆を(一番驚いたのは留美だったが)無視して、一旦南に行こうとしたが、人の流れが邪魔な為に北方面に向かった。数歩進んだ時だった。周りがどよめいた。
「くそ、間に合わないか」と呟いた賢太郎はなんとか流れの隙間を見つけて、さやか公園に向かった。どよめきが大きくなった。その声に反応した群集が更に狭山池の方に向かって来た。
その途端に彼のケータイが鳴った。慌てて(彼が慌てるところを留美は初めて見た)取り出すと、早口で喋った。
「うん、一緒にいる。うん、池の東側から離れようとしているけど、なかなか進めていない。うん、うん、分かった」
賢太郎は通話が終わると、ケータイを切らずに胸ポケットに放り込んだ。彼は後ろを振り向いて真剣な顔で皆に叫んだ。
「頼むから、一緒に来てくれ。お願いだ」
5人はその様子から只ならぬものを感じたので、おとなしく従う事にした。周囲の人々は6人とは正反対の反応だった。興味深そうに池の方を見ながら、口々に感想を喋っていた。
『なんだ、あれは?』 『映画かなんかの撮影か?』 『どっかでテレビカメラが回っているんじゃないか? しばらくしたら、ど○きりカメラって書いたプラカードを持った芸人が出て来るぜ』 『それにしてもデケー』
6人は人の波を掻き分けて、よろよろと狭山池から遠ざかった。
はぐれない様に集中していたから、後方から最初の悲鳴が上がった事に、留美はすぐに気付かなかった。
最前列の賢太郎と最後尾の翼を除いて、全員が前と後ろの人間の手を握っている。こうでもしないと、簡単にはぐれてしまう。
だが、一斉に上がった悲鳴や怒号には、いやがうえにも気付いた。
後ろを振り向いたら、河内唯が泣きそうな顔で付いて来ていた。震える声で唯が訊いて来た。
「ねえ、留美ちゃん、何が起きているの? 私、怖い」
いつまでも後ろを振り向いていられなかったので、前に向き直りながら、留美は叫んだ。
「私にも分かんない。でも、賢太郎の言う通りにした方が、絶対にいいって事だけは分かるよ。だから、今はここから離れよう」
唯からの返事は手首を握った手から返ってきた。精一杯の力で握り締めてきたのだ。
またしても悲鳴が上がり、人の流れが乱れた。後方からの圧力が加わったのだ。益々もみくちゃにされながらも、留美は先頭を行く賢太郎の肩だけを見ていた。
その賢太郎が罵り声を上げたのは2分程過ぎた頃だった。その頃には歩く速度くらいにはなっていた。罵り声の直後に、留美は何か固い物を踏んだ感触を足の裏で感じた。
「くそ、ケータイを落とした」
「ごめん、踏んだ気がする! 弁償するから、許して!」
「構わん! 無事に帰れたら、学食の素ソバを奢ってくれたらいい!」
留美が通う高校の食堂では、弁当と一緒に素ソバを食べる男子が結構な人数で居た。手頃な値段で、弁当だけでは満たされない『若さゆえの食欲』を満足させるにはもってこいだったからだ。
もっとも、その麺はラーメンと共通で、ソバの香りがする筈も無かったが、不満を漏らす学生は少なかった。
賢太郎が何故、こんなに緊迫している状況で軽口をたたいのかを考えて、留美がクスっと笑った時だった。
後方からの圧力がそれまでに無く強まった。あっと言う間だった。
留美の左手首を握り締めていた唯が耐え切れずに手を離してしまった。その後の行動は半ば本能的な反応だった。自ら右手を離すと、強引に身体を回した。
目に飛び込んできた光景は、留美の想像を超えたものだった。
それまで唯が居た筈の空間に焦げた様な色の木の樽が有った。樽には赤い液体が点々と付いていた。見た事のない変った空気を纏っている。そこまで認識した所で、信じられない力で横に飛ばされる感覚を味わった。辛うじて倒れずに踏ん張れたが、目の前を丸太が生えた樽が前方に向けて強引に通り過ぎるのを呆然と見詰めるしかなかった。
次から次へと樽が通り過ぎて行く。現実とは思えない光景だった。その樽の集団の最後が通り過ぎる時にやっと理解出来た。樽に見えたのは、人間の胴体を覆った木製の鎧だ。丸太と思ったのは手だ。至近距離だった事と、巨大過ぎて人間とは判らなかっただけだ。後姿からすると、身長は2メーターを軽く越えている。留美の目の高さが丁度お腹辺りだったのだ。
どう見ても、彼女の記憶に無い空気だ。
だが、おかしなもので、相手が人間だと判ったら、そいつらの体臭がきつい事に気付いた。
そこで、やっと現実に戻ると、留美はもう一度後方に目をやった。
『探さなきゃ、唯ちゃんを探さなきゃ。探さなきゃ』
非現実的な物を見た後で、自分に出来る事に集中する事で精神の平衡を保つ事が有る。この時の留美がそうだった。不幸中の幸いと言えるのかも知れないが、唯たちはすぐに見付かった。全員が呆然としていた。
「唯ちゃん、無事だった? どこも怪我していない?」
留美の問い掛けに、唯が反応したのは同じ言葉を3回掛けてからだった。目の焦点が巨人から留美に移る。10秒ほど掛けて、自分が今見ているモノが普通の人間だと認識して、更に5秒掛けて知り合いだと気付いた。留美だと気付いたのはそれから10秒後だった。
「留美ちゃん、夢じゃ無いよね? 私、私・・・」
留美は咄嗟に唯を抱締めた。後で、何故抱締めたのかに気付いた時に少し自己嫌悪に陥ったが、結果的にはその行動が一番正しい選択だった。
留美の周りの群集は今では立ち止まっていた。歩くという行動さえ出来ないほどの衝撃を受けたのだ。
巨人達は群集の前方まで行くと、くるりと身体を回して、通せん坊の様に両手を広げた。
前の人の頭が邪魔な筈なのに、巨人の行動が見えるほどの身長差が信じられない。
そして、5人の巨人達が右手に持っている長い槍は手元まで血にまみれていた。
留美と唯の周りにグループの皆が集まってきた。
最初に言葉を発したのは賢太郎だった。その声には励ましの意味も有ったのか、温かみさえ感じる程だった。
「下手に逆らわないほうが良さそうだ。どうやら、俺たちをすぐに、どうこうする気は無い様だ」
声が届く範囲の人々は、そこで初めて呼吸が出来ると言う事に気づいたかのように、止めていた呼吸を再開した。
そして、後方では、逃げようとして殺される人々の悲鳴が上がっていた。
自分達が着ていた上着で上半身を拘束された後で、連れて来られたのはさやか公園だった。そこには先に捕まった人達と、ピクリとも動かない人々に分けられていた。
思わず留美は目を背けた。こういった時に自分の能力が嫌になる。一瞬だけしか見なかったが、殺された人達は防災訓練に参加していた市役所や消防署などの人達が多い様に感じた。
生きている集団に合流させられた後は、見張りの巨人達に囲まれた形ながら、座る事は可能な様だった。6人は出来るだけひとかたまりになって、中の方に向かった。少しでも巨人から遠ざかりたい心理からだった。隙間を見付けて、座り込む時には体中の力が抜けた様になっていた。
巨人達の数はどんどん増えている様だった。
目立たないように回りを見渡していた賢太郎が皆を見ながら、囁いた。
「簡単にケータイを出せるやつは居ないか?」
翼が同じように囁いた。
「右のお尻ポケットに入れているけど、簡単に出せるかは分からない。試してみるか?」
「いや、下手に動かない方が良い。河内さん、出せるかやってみて」
賢太郎は、一番不自然に思われない位置に居た唯に指示した。
「うん、やってみる」
なんとか5分掛かりでケータイを出したが、結局のところ、無駄だった。最後に賢太郎が囁いた。
「基地局がパンクしているな。仕方ない、救援が来るのを待とう」
留美も落胆したが、どうしても気になっている事を尋ねる事にした。
「ねえ、健太郎、いくつか質問が有るけど、訊いてもいい?」
「答えられる事なら」
留美は単刀直入に訊いた。
「最初から、こうなる事が分かっていたの? そうとしか思えないけど」
「いや、最初から分かっていたら、ここでこんな事にはならないよ。ただ、可能性の問題で、最悪の事態を想定していただけだ」
「狭山池が干上がると、良くない事が起こると考える根拠は?」
「悪い、俺もよく分かっていないんだ。ただ、万が一の時は皆を連れて逃げてくれと頼まれたのでね」
「頼んだのは、私もよく知っている子ね」
「ああ、そうだ。彼女自身も本当は信じていなかったと思う。だが、知っての通り、彼女は時々信じられない事を言い出して、その通りになる事が有るだろ?」
「それはそうだけど・・・。 電話を掛けてきたのは春香ね。いや、質問じゃないわ。あー、ちょっと、色々と考えないと、こんがりがりそう」
留美は自分の考えに浸る事にした。その間に皆が賢太郎に質問をしていたが、新しい事実は明かされなかった。
「分かったわ。あなたの言葉を信じるわ。春香が知っていて、私を危険な目に合わせる筈が無いもの」
留美は賢太郎の言葉を疑うことを止めた。心の中で付け加える。
『あなたに頼んだのは、春香が自分で動けない状況で、可能性のほとんど無い最悪の状況になった時の為に最善の策を打ったって事だわ。そして、春香が唯一、言う事を聞くのは貴ニィか真理ネェの兄姉だけ。だとすれば、辻褄が合う。とは言え、これからどうすればいいのかだけど・・・』
もう一度、自分の考えに浸ったが、一つの答え以外が出る筈も無かった。待つしかない。本当は賢太郎にもっと質問をしたかったが、ここで訊くにはデリケート過ぎる問題だった。勿論、賢太郎と春香の関係だ。
留美の親友の守春香は、明らかに他人とは違っていた。
初めて会った時の記憶は定かではないが、幼稚園から小学校低学年頃までの彼女は、本当に可愛い普通の女の子といった印象だった。性格も優しくて、いつも留美の事を大好きと言っていた。お人形のような風貌の子に、大好きと正面向かって言われ続けた経験が無いと分からないかも知れないが、その影響は留美の中に洗脳の様に刻み込まれている。
そんな春香が第一の変化をしたのは、小学3年生になった頃だった。発熱を繰り返して、学校をよく休んだ時期だ。初めてお見舞いに行った時の事はよく覚えている。彼女の兄と姉がベッドサイドに居た。その時の二人が纏う空気が初めて見るものだっただけに怖くなってしまって、しばらくはお見舞いに行けなかったからだ。
次に行ったのは1週間後だった。その時の事もよく覚えている。久し振りに会った春香はお人形から、天使になっていた。別に羽が生えているとか、宙に浮いているとかではないが、同じ人間という空気には見えなかったのだ。明らかに普通の人とは別の空気だった。初めてお見舞いに行った時の兄姉と同じ種類の空気だった。
それと、外見上も一つ変っていた。目が黒くなっていた。黒目の部分全てが瞳孔の様だった。その事を言ったら、すぐに治ると言われているから、心配しないでと答えた。確かに、1週間後に学校に来た時には元の茶色い目に戻っていた。しかし、後で分かった事だが、カラーコンタクトレンズを使って、茶色く見せていただけだった。
それからの春香の行動は変った。涙もろくなり、動物や人間を見ては泣き出したり、捨てられている子猫や仔犬を隣町まで探しに行ったりと、少し常軌を失した行動が増えた。それが2年間続いたが、拾いに行かなくなったきっかけは春香の祖父の死だった。
第二の変化はその2年後の中学1年生の秋にやって来た。小学3年生の時と同じ様に、半月ほど熱を出す様になった。それも高熱だったようで、何回か体温が42度を超えたそうだった。ただ、本人の話では、ちょっと変った発熱の仕方だったそうで、お医者さんが首を捻っていたそうだけど。
第一の変化の時と同じく、それからの春香の空気は変った。留美にしか分からない位の変化だった様で、クラスメートでさえ気付かないほどだった。どの様な変化かを言葉にするのは難しいが、簡単に言えば天使ではなくなった。むしろ謎めいた雰囲気が漂う様になった。そして、ごく偶に冷酷な空気になる時があった。
ただ、時々昔の春香になる事が有って、その時の彼女を『白ハル』、冷酷な時の彼女を『黒ハル』と呼ぶ様になった。本人も判っている様で、『ごめん、今日は黒ハルだから先に帰るね』と言って、さっさと帰る事が有った。
その『黒ハル』の空気に似ている賢太郎が春香と何らかの糸で繋がっている。
しかも、留美にさえ話していない。多分、貴ニィか真理ネェが絡んでいると思うが、この状況から脱したら絶対に問い詰める事にしよう。その前に、賢太郎に罠を仕掛けて、どのレベルの関係かを確認しておく必要が有りそうだ。
意識を現実に戻すと、高木良雄が巨人の武装について解説していた。
「剣と槍と弓しかない。防具も木の鎧が一番多い。日本で言うと鉄砲が伝来する前の戦国時代が一番近いかもね。だけど、あの身体で突撃したら、下手な騎馬隊よりも強いかも知れないな。だって、馬と違って、自分の意思で突っ込むんだから、小回りが利くからね」
その説明を聞いて、翼が良雄に訊いた。
「まるで兵隊じゃないか。そんなのに警察が勝てると思うか?」
「多分、大丈夫と思うけど、やってみないと判らないかも。最悪、自衛隊が本気を出せば勝てるはずなんだけど、僕達が捕まっているから、無理かも」
「くそ、何とか逃げられないかな」
「止めた方がいいと思うよ。男子だけでも危ないのに、女子も居るからね。それに、見たでしょ? あの密集している人込みを片手で押しのけた力と、逃げようとした人達を追いかけた時の素早い動きを。僕らよりも早く走れても不思議じゃないよ。きっと、すぐに追い付かれる」
「ああ、そうだな。助けてもらうのを待つしかないか」
だが、救助はなかなか開始されなかった。
むしろ、捕まってさやか公園に連れられて来る市民の行進が延々と続いた。一時、公園内は巨人たちと市民(殺された市民も含めて)で埋まったが、今では池に近い市民から池の方に連行されていた。
ただ、その進行は遅かった。いざ連れて行かれるとなったら、抵抗したり、わざとゆっくりと連れて行かれたりして、少しでも時間を稼ごうとしたからだった。
留美たちのグループは最初のほうに連れて来られたせいで、しばらくは順番が来ないが、いつかは連れられて行ってしまう事は確実だった。
「どうするの、上代君? いちかばちかで逃げる?」
真里菜が賢太郎に問い掛けた。賢太郎は上空を見てから、すぐには答えずに良雄に質問をした。
「高木、ヘリコプターに詳しいか? 俺はよく知らない」
「何? ある程度なら知っているよ」
「今飛んでるヘリコプターはどこのか分かるか? 警察とか自衛隊とか?」
良雄は上空のヘリコプターを見詰めながら、一つ一つ説明した。
「家電店の方向に居るのは自衛隊のヘリコプターだね。ああ、細いからOH-1と言う国産の観測ヘリコプターだよ。博物館の方を飛んでるのも自衛隊のヘリコプターだけど、こっちはUH‐1Jだと思うよ。確か映像を送る事が出来た筈だよ。この真上を飛んでいるのは知らないけど、多分警察のヘリだと思う。色が青っぽいから。さっきまで、消防の赤いヘリコプターが居たけど、見えなくなったね。あと1機は分かんない」
賢太郎は真里菜の方を向き、やっと質問に答えた。
「多分、救助は来ると思う。その為に情報を集めているんじゃ無いかな?」
「でも、間に合うの? このままなら、連れて行かれるまで、あと数時間も掛からないわよ」
「間に合うかどうかは分からない。でも、逃げた場合と連れられて行った場合と、どちらが助かる率が高いかははっきりしている」
「そうね。みんな、腹をくくりましょう。危険にならない程度に時間を稼ぐのはいいけど、おとなしく従いましょう。唯、いい?」
「うん。分かった」
連れて行かれる時に、6人の中で一番脆い唯を中央にする為にどうやって立ち上がるかを打ち合わせた後は、しばらく会話が無かった。驚いた事に、15分後に寝息が聞こえてきた。翼が唯にもたれ掛かる様に寝ていた。唯も人の体温が嬉しいのか、先程よりも落ち着いてきていた。
「いや、こりゃ、大物だわ。さすがに私は寝れないよ」
真里菜が呆れた顔で呟いた。やっと、皆に少しは余裕が出て来た様だった。
唐突に賢太郎が留美に声を掛けた。
「えらくおとなしいな。何を考えている?」
「うーん、色々。無事に帰ったら、何をしようか? とか、春香がなんて言うかな? とか、ね」
「まあ、下手にヒステリーになられるよりもましだが。そう言えば、メガネはどうした?」
「え、あ、ほんとだ。捕まった時かな? まあ、あの時はリュックサックをどうやって取られないようにしたらいいかで、必死だったから気付かなかったかも」
「メガネが無くてもいいのか?」
「ああ、あれ、伊達メガネだから。ほら、春香があの通り目立つでしょう? 私なりに考えて、対抗するにはメガネ属性を付けないと、と思って掛けていたの。結構似合っていた筈なんだけど、仕方ないわね」
何故か良雄が会話に入って来た。
「やっぱり、そうだったんだ。笹尾が言っていたよ。『このクラスで一番メガネが似合うのは宮野さんだ』って。でも、宮野さんはあまり目が悪いようには見えなかったけど、やっとこれで疑問が解決したよ」
「留美でいいよ。ま、頑張っても天然モノには勝てないけどね」
「守さんのこと? ちょっと訊いてもいいかな?」
真里菜が会話に加わった。黙っていると心配が募るからだろう。それでも、声を抑えて、注意を引かない様にしている辺りはさすがだ。
「うん、いいよ、教えて上げられる事なら」
「えーと、訊きにくいけど、あの子って何者? 中学の時の同級生には分かんないかもしれないけど、初めて会った時に怖かったのよ。でも、普段はおとなしいし、自分からは話し掛けないけど、妙に存在感が有るし。今までに会った事の無いタイプだわ」
「あー、それは、説明が難しいな。あれでも、中学の頃の一時期に比べたらましになったんだけどね。簡単に言えば、天使のような悪魔かな? やっている事は天使と一緒だけど、中身は悪魔と言う感じ? でも逆に言えば、やっている事が天使と一緒なら、天使以外の何者でもないでしょ?」
「分かったような、分からなかったような。でも、そんなひどい事を言っていいの? あなた達、滅茶苦茶仲が良さそうだけど?」
「ああ、それは構わないの。私、本人にも直接言うから。伊達に幼稚園から一緒じゃないし。それに、私がずけずけと言わないと、却って怒るの。あ、さっきの訂正。悪魔じゃなくて、魔女にしよう。そして、マゾなの」
やばかった。留美の言葉を聞いた皆は必死になって、噴き出すのを堪えた。下手に笑えば、巨人に何をされるか分からない。『一生懸命に』という意味はよく使うが、『必ず死んでしまう』方の『必死』を初めて味わった。
「いや、あんたも大物だわ。この状況で、ギャグをかますなんて」
「まあ、仕方ないわよ。春香の近くに居たら、変な事なんて日常茶飯事だもん」
「あ、セスナが飛んで来た」
不自然なタイミングで賢太郎が声を上げた。あっさりと留美の罠に掛かったようだ。春香の周りの変な事なんて、他人に言える筈が無い。ちゃんと皆が納得する、教えても構わない別の事を考えてある。わざと口を滑らしたように見せ掛けて、賢太郎がどれだけ春香に近いかを確認したのだ。
『ありゃ、これはかなり近いわね。となると、貴ニィ絡みかな?』
賢太郎が言ったセスナ機からスピーカーで拡声した声が流れてきた。日本語の他に、英語やフランス語、後はよく分からないいくつかの言葉で繰り返していた。
『こちらは大阪府警察だ。狭山池周辺を不法占拠している武装犯に告げる。直ちに武装を解除し、人質を解放しなさい。繰り返す。こちらは大阪府警察だ。狭山池周辺を不法占拠している武装犯に告げる。直ちに武装を解除し、人質を解放しなさい。This is Osaka Prefectural Police Department・・・』
慌てて作ったのか、録音されている声も調子もまちまちだが、留美たちが初めて知った警察の動きだった。
巨人達が慌しく動き始めた。生き残っている市民全員が公園の西側に追い立てられた。空気を見なくても判るほど、殺気立っている。抵抗出来る様な雰囲気では無かった。
留美は賢太郎に向かって言った。
「これだけは言っておくね。あなたは頑張ったわ。ありがとう」
留美には分かっていた。諦めはしないが、認めざるを得なかった。この巨人達に警察が勝てるはずが無い。
彼女は巨人達に、生まれて初めて『純粋な戦意』を見ていたからだ。
お読み頂き、誠に有難う御座います m(_ _)m