第34話 6-14 「決断」
20150210公開
6-14.『決断』 西暦2005年10月26日(水) 午前6時32分
『この子はどこでこんな分析力と判断力、更には交渉力を手に入れたのだろう・・・・・』
西山勉教授は、隣の席で表情を浮かべる事無く、会議参加者の反応を見ている守貴志の顔をちらりと見た。
西山教授も貴志と同じ様にみんなの表情を見渡した。先ほどの『全滅する』という予測がもたらした衝撃の影響はかなり後退していた。
プロジェクターの画面は砦周辺の状況を映し出していた。
そこに映っていた光景は辺り一面の麦畑の様だった。
かなり広い。
しかも刈り入れ途中なのか1列に並んだ人影が作業をしていて、彼らの進んだ後には刈られたばかりの麦らしき穀物が無造作に横たわっていた。
映写が終わった後、貴志が立ち上がる気配がした。
ほんのしばらくの間を開けて、彼は更なる爆弾発言をした。
「我々が生き残る為には、あの砦を奪うしかありません」
反応は一瞬後にもたらされた。
「守君、それは流石に無理だ。我々に下されている命令のどこをどう捻っても『侵略していい』という解釈に辿り着けない」
発言者は、自衛隊側で情報を司る担当幹部(昔風に言うなら情報将校になるのだろうか?)だった。
「まあ、当然でしょう。政府がその様な命令を下せる筈がありませんから。ですが、命令には『拉致された被害者の救助』と『管理下に置いた後の保護』の項目が有りませんでしたか?」
情報担当幹部が清水孝義司令の方を見た。
重要な秘密と言う訳では無いが、民間人も居る中で現在進行形の命令に関する情報を漏らす事は軽々しくは出来ない。故に司令の判断を仰いだのだろう。
「確かに守君の言う項目は命令に含まれている」
清水司令の返答を聞いた後で、貴志は更に畳み掛けた。
「事態の推移が早過ぎて、政府が宣言もしくは承認をしていない事が有ります。まあ、放っておいてもすぐに問題が表面に出て来ていたでしょうが・・・ この地は日本国内と見做すのか、それとも日本国外と見做すのか? です。物理的に考えれば、ここは異星なのですから日本国外ですが、我々が送られたという自体が日本国内と見做しているとも考えられます。いや、“見做していた”という方が正しいでしょう」
貴志は一瞬の間を置いた。
「強引な解釈ですが、日本国内と見做した場合、砦を奪っても侵略には当たりません。そして、命令に明記されているであろう『拉致された被害者の救助』と『管理下に置いた後の保護』の項目を達成する為には、あの砦の防御力と周辺の麦畑と思われる畑からの収穫は必須です」
もう一度、貴志は間を開けた。
この恐るべき大学生は、この展開にする為に最初に三内丸山遺跡の事を持ち出したのだ。
もちろん、自由に現代の技術を揮える環境下で、補給も継続されるのであれば問題は無い。
だが、現実は孤立してしまった。
狩猟に関しては乱獲も可能な程の銃弾が有るから一時的には何とかなるだろうが、すぐに近辺の獲物は狩り尽くされる。
当然、得物を求めて遠方に進出する事態になるだろう。
だが、あの砦に巨人の軍が居る限りそれもすぐに限界になる。
飲料水に関しても確保が難しい環境だった。
更に言うならば、住居の問題も深刻だった。
現実の所、住居を作るにもチェーンソーも無く、のこぎりを必要数持って来てるかさえも怪しい。
なんとか木材を切り出したとしても、それを乾燥させるには月単位、年単位の時間が掛かる。
その間の居住をどうする? 救出した民間人は自衛隊のテントを使うとして、あぶれた自衛隊員は露営となるだろう。精神的なものも合わせれば、あっという間に疲労が蓄積していくのは目に見えている。
「衣食住」という言葉が有るが、救出に来た人員や我々学者は下着などの替えを持って来ているが、拉致された人間は着の身着のままだ。
集団で虐殺された被害者の遺体が裸で放置されていたという事だから、その分を計算に加えてもいいのだが、この地の環境を考えるとそれらを合わせても数カ月から1年でダメになるだろう。
1年後にはボロボロの衣服の残骸を身に纏う文明人のなれの果ての出来上がりだ。
そう、この場所に固執している限り、我々に待っているのは全滅しかない。
この会議の前に、学者5人と自衛隊に小銃を納入している企業から派遣されていた技術者2名と守君を加えた8人が集まって今後の方針を話し合ったが、事態の深刻さを守君に教えられた我々の結論は、彼に全面的に任せる事にするというものだった。
もちろん、時間を与えられれば、我々も守君と同じ結論に到達するであろうが、その頃には自衛隊が搬入した食糧さえも満足に残っていない状況に追い込まれていてもおかしく無かった。
彼が非凡なのは、分析の速さと正確さだけでは無かった。その深さも非凡だった。
彼が早期の砦奪取に拘る理由の一つに、その自衛隊が持ち込んだ食料の有効利用を計算に入れていた事が有った。
確実に我々は風邪などの病気に掛かり易くなる。衛生環境が日本に居た頃に比べて極度に悪化するからだ。
自衛隊もその分野の部隊を送っていたが、持ち込まれた医薬品は600人を超える人数をまかなうには余りにも少ない。種類も負傷対処用に限定されている。
病気になった時に取れる手段は、『栄養を摂って安静する』しか残されていない。
いざ病気になった時に、その栄養を自衛隊の食料でまかなう為にも、可能な限り温存する事を優先する・・・
更には、保存可能な期日が1年ほどしか無いので、折りを見て支給する事も彼は考えていた。
例えばだが、結婚式や出産などの祝い事が発生した場合に支給する事だった。
砦と麦畑の穀物を奪取して稼いだ1年間で、完全に自給が可能な体制に持って行くというのが、彼が考えた生き残る為の筋書きだった。
本当に、この子はどこでこんな分析力と判断力、更には交渉力を手に入れたのだろう・・・・・
「皆さまも気付いているかも知れませんが、この付近は最近開かれた形跡が有ります。伐採された木材の断面を見る限り、斧に類する道具が使用されていました。また、先ほど見て頂いた映像の中で、砦内に煙突が他よりも大きな建物が有りました。砦の映像を出せますか?」
再度映像が流されたが、確かに大きな建物が並んでいる場所とは離れて大きな建物があり、大き目の煙突も映っていた。
「推測ですが、これは鍛冶をする為の建物と思われます。そうであるなら、あの砦を手に入れるメリットは更に一段階上がります」
こうして、気が付けば、会議は一大学生の主導により方向性が定められた。
自衛隊とアメリカ海兵隊による『拉致被害者救出作戦(その実態は『砦奪取作戦』だったが)』の策定作業は、「狭山池特異点」が消失してから2時間23分後には完了した。
お読み頂き、誠に有難う御座います m(_ _)m