第30話 6-10 「離陸」
20150127公開
6-10.『離陸』 西暦2005年10月25日(火) 午後5時27分
その日、日本政府はアメリカ政府との裏取引を終わらせた。
在日米軍と少数の調査隊の受け入れと引き換えに、他国からの干渉を回避する根回しをアメリカ側が行うという条件だった。
アメリカの動きは素早かった。
交渉成立1時間後には、沖縄に駐在している第31海兵遠征部隊から選抜された62名の海兵隊員が大阪湾に移動していた強襲揚陸艦から輸送用ヘリコプターで狭山池上空へ飛び立った。
更に、米軍が用意した学者12名も陸路で狭山池に到着したのは交渉成立から1時間半後だった。
そして、アメリカの派遣部隊が到着する前に、ある作戦が実行された。
「春香、無理しちゃ駄目よ。いくらあなたでも、消耗しているのは確実なんだから」
「うん、分かってるって」
「ハルちゃん、本当に無理しないでね」
熱中症から回復した佐々優梨子が半分涙目になりながら守春香の手を握った。
「もう、ユリネェは病み上がりなんだから、余計な心配をしないでもう寝た方がいいって」
「ハルちゃんが行った後でちゃんと寝るから・・・」
春香の服装は来た当時から早くも変わっていた。
いま彼女が着ているのは自衛隊から借りた迷彩服だった。
元々着ていた守家の会社の試作品が返り血で着られる状態でなくなった為に、急遽用意して貰ったのだ。
もっとも、春香の身長が1㍍50㌢と低い為にわざわざ、信太山駐屯地の女性自衛官から借りた為に、余計な時間が必要となったのだが、その時間を使って、夜間撮影に強いデジカメやムービーの用意も同時に終わっていた。
少し離れたところからはオートバイのエンジンの音が響いていた。
「うーん、どこから見ても民間人に見えないな」
「似合ってる? 似合ってるなら、全く問題無し」
兄の守貴志がぼそりと言った言葉に即座に反応した春香だったが、貴志の返しは容赦が無かった。
「ああ、似合ってるよ。コスプレ程度には」
「コスプレ言うな!」
オートバイのエンジン音が低いものに変った。暖機運転が終わった様だった。
「守君、こっちの準備は終わった。そっちは大丈夫か?」
今回の作戦の指揮を執っている陸自特殊作戦群の第2科長だった。
「ええ、こっちも問題ありません。すぐにも行けます」
「分かった。春香君、苦労を掛けるが、よろしく頼む」
「いえいえ、そんなあ」
頭を下げてくれた第2科長に慌ててお辞儀を返した春香だったが、その顔は照れたのか、ちょっと赤くなっていた。
元々、守春香という少女は一種浮世離れしている雰囲気を漂わせている影響で友達は少ない。
いや、正確に言うと対等に付き合える人物と言えるのは、家族以外では親友の宮野留美しか居なかった。
だから、意外と他人との交流が下手だった。
「私ごときで役に立つのなら、いくらでも使って下さい」
「いや、そこまで甘える訳には・・・」
却って苦笑してしまった第2科長だったが、目の前の少女を初めて見た時の驚きは今も残っている。
血だらけで、血で濡れた巨大な剣を指でつまんで持ち歩いていたのだ。
「春香、そろそろ移動しよう」
「うん」
春香たちはアイドリングをしながら待っているオートバイの所まで移動した。
一眼レフのデジカメやムービー、その他様々な機材を入れた背嚢を逆向きに、つまり胸の前に抱える。
その他、水筒や非常用の食料、トランシーバー(もっとも今回は使う予定は無かった。万が一不時着した時の為だけだった)など入れたポケットを身体中に取り付けた姿は、確かに少し普通では無かった。
そんな春香を派遣部隊本部関係者や学者たちが取り囲んだ。
「どうぞ、乗って下さい」
声を掛けて来たのは、本来は春香がこれからこなす任務をする筈だった第37普通科連隊情報小隊の自衛隊員だった。
彼らが使うホンダXLR250Rの運搬が遅れた為にこれまで活躍する場が無かったので、今回のアシストが初めての任務だった。
「あ、はい。よろしくお願いします」
身体のあちこちにポケットを付けた春香が慌ててお辞儀をした。
「春香?」
「うん」
貴志の問い掛けに短く返事をしながら、春香が「ギア」を入れた。
いきなり存在感が膨らんだ少女に周りがどよめく。主に学者たちだった。
バイクにまたがっている自衛隊員の肩を掴みながら彼女はオートバイの荷台に立ち上がった。
その状態で30秒程してから彼女は前に声を掛けた。
「いつでもどうぞ」
その声は先ほどとは声質が変わっていた。
バイクの速度が上がって行くにつれ、彼女の姿勢が変わって行く。
そして、遂に、ふわりという表現しか出来ない風にして手を放した。
しばらくして、バイクを追い越し、徐々に高度を上げて行った。
追加した装備品が重過ぎて、自身の推力だけでは飛び上れない為に取った方法だったが、上手く飛び立てた。
守春香が、その人生で一番怒りを覚える15分前の光景だった。
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