第2話 1-2 「留美」
20140929公開の第2話を一部改訂しました。
20150630改訂
西暦2005年10月23日(日) 午前8時38分
宮野留美はティッシュを軽く唇で挟んで離した。鏡で口紅のノリを確認する。その後で、お気に入りの伊達メガネを掛ける。
『完璧。私の化粧も結構いけるかも』
少し自信を深めた彼女だったが、すぐに不安になる。
『でも、化粧が濃くないかな? もう少し自然ぽく見える色の方がいいかな?』
満足と不安と期待の感情に揺れ動きながら、留美は腕時計を見た。
本人は気付いていないが、起きてから26回目の時間の確認だった。
彼女の感情や行動が不安定な訳は単純な理由だった。高校2年生にして初めてのデートがあと20分後に控えているのだ。これで不安定にならない方がおかしい。
『あ、もう、こんな時間! 行かなきゃ』
慌てて愛用のリュックサックを左手で掴む。薄くて、スケッチブックも入って、しかも色が可愛いオレンジ色だったので、店頭で見付けたときに飛び付いた一品だ。
中には新品に近いスケッチブックやデジカメ、ネタ帳などの筆記用具が入っている。ネタになりそうな物を見たり、閃いたりした時に記録できるかは重要な事だった。彼女にとっては。
階段を降りて、玄関で靴を履いていると、母親の幸代がダイニングから顔を出した。
「あら、どこかに行くの?」
「うん。ほら、狭山池の水が無くなったでしょ? 友達と一緒に見に行くの」
「あら、そう。春香ちゃんと?」
『ばれてる。絶対、ばれてる』
ニヤニヤとしか言い様の無い母親の笑顔と空気を見て、留美は確信した。
母親が言った『春香ちゃん』とは、3軒隣の豪邸に住んでいる幼馴染の名前だ。幼稚園から高校まで、ほとんど同じクラスで過ごして来た腐れ縁だ。
そんな大親友と一緒に行くにしては、オシャレをし過ぎなのは母親には分かる筈。ある意味、母娘を越えた繋がりを持つ相手だ。なんせ、留美に同人誌を作る様に唆して、自分は編集者に納まったくらいのつわものだ。
「ううん。ハルっちは、貴ニィの用事とかで家に居るそうなの。別のクラスメートだよ。吉井さんって覚えてない? ほら、吉井真里菜さん・・・」
思わず、最後に『本当だよ』と付け加えそうになったが、辛うじて止める。
「そう。頑張ってね。そうそう、雨が降ってくるからね。チャンス、チャンス」
幸代は最後まで、娘を冷やかしてダイニングに引っ込んだ。
『もう・・・。何が、頑張ってね、よ。自分にも少女時代が有ったんだったら、もう少し温かく見守ってくれていいじゃない? こっちは初めてのデートなのに』
まあ、デートと言っても、最近出来た男女混合グループが集団デートをするだけなのだが・・・。
27回目の時間の確認をした留美は慌てて自宅を出た。待ち合わせ場所の金剛駅までは歩いて行くから、20分は掛かる。普通に歩いたら遅刻だった。朝降った雨でできた水溜りの泥の跳ねを気にしながらも、思わず小走りになる。
そんな努力のせいか、9時ちょうどに到着した。
今日は日曜日とはいえ、かなりの人間が改札から出て来ていた。
もしかしたら、全員が狭山池を見に来ているのかも知れなかった。
どうやら皆は来ていない様だ。
だが、後ろから肩を叩かれた事で、そんな儚い希望は消え去った。
後ろを振り向けば、皆が集まっていた。
「ええーい、一番近い留美が最後って、どういう事? ケータイにも出ないし」
「ごめんなさい! 家を出る時に母親に捕まってしまって・・・。え、ケータイ? あ、忘れてきちゃった。あー、もう! いや、でも、ほんとーにごめんなさい!」
最初に抗議の声を上げたのは、母親に名前を出した吉井真里菜だった。気さくな性格と面倒見の良さで、男子にも女子にも人気が高い。初めて同じクラスになったが、すぐに打ち解けた。
まさに『ナイスガイ』(最初に彼女と話した時に浮かんだ言葉だ。彼女を表すのにぴったりな名詞だ。長身な点もその印象に輪を掛けていた)だった。もっとも、その性格故に、2年に進級してすぐに前の彼氏と別れたのは皮肉だったが。
以前から男の子は女の子を見る目が無いと思っていたが、真里菜をふるなんて、本当に分かっていない。
まぁ、吊りあう男の子も少ないだろうけど。
「だけど、ま、時間ちょうどだったから許す」
そう言って、真里菜は残りのメンバーを見渡した。
口々に『しゃあないな』とか、『いいよ』とか言いながら許してくれた仲間一人一人に手を合わせながら、留美は心の中で真里菜に感謝していた。その一方で、クリエーター特有の分析もしていた。
『ああ、やっぱりナイスガイだわ。文句を言いながらも、あっさりと許して、皆がもう文句を言えなくするなんて、上手いや』
「さあて、全員集まったことだし、行こうか? 案内は留美がしてよ?」
「うん、もちろん。歩いて15分くらいよ」
少し混雑している改札前から、西出口に向かう。ロータリー北側の歩道を歩きながらバス乗り場を見ると、結構な数の人が待っていた。それに気付いたのか、真里菜が留美に尋ねて来た。
「いつもこんなに多いの?」
「ううん、今日は多いみたい。歩いても15分くらいなのにね」
「ふーん。ま、こっちは地元民が居るから、迷子の心配も無いし、ゆっくり行きましょ」
「任せて。でも、あまり見るものも無いよ」
その時、大きな声を上げた男子が居た。
「あ、回転寿司店がある! 昼飯はあそこで食べようよ」
橋本翼だった。鍛えても筋肉が付きにくい体質と身長が低く、しかも童顔のせいで見た感じは弱そうに見える。だが、何を隠そう剣道部の主力選手だ。一度、剣道部の練習を見学した事が有るが、別人の様な気迫だった。見学をした理由が同人誌を書く参考にしようとしていたなんて、留美ならではだが。元々は春香が剣術の稽古をしている姿を見て、その方面のネタを考えたのだが、作品に広がりが持たせられないから諦めてしまった。
実は見学をして以来、ずっと気になってきた男の子だった。可愛いと言ってよい顔と剣道をしている時のギャップが乙女心をくすぐる。それに、『翼』という名のイメージがぴったりフィットしていた(あくまで留美の中での事だが。他の女子は『なんとかの助の方がいいんじゃない?』と言っていた)。問題は乙女心を分かりそうに無い点だった。
「そうね、そうしようか?」
反対意見が出ない様に、留美は真っ先に賛同した。
「いいよ。あそこのチェーン店はおいしいし」
援護射撃をしてくれたのは、高木良雄だった。
翼と中学の時からのクラスメートで、対照的に背が高い。180cmは軽く超えている。おっとりとした性格ながら、翼がボケ役をする事が多いせいか、よく突っ込みを入れる。惜しいのは、それを翼以外の人間にしない事だった。結構、留美のセンスに近いのに勿体無い。
それともう一つ、最近気付いた事が有った。留美と同じ匂いがする。留美の様に自分で作品を作る事は無さそうだったが、絶対になんらかのオタクだ。これは断言できる!
「私もお寿司、食べたいな」
おっと、更に援護射撃が!? グループで一番おとなしい河内唯だった。
真里菜がお姉さんタイプの大関だとしたら、どこをどう取っても妹タイプの横綱だった。初めて会った時に思わず抱締めたくなったほどだ。可愛さだけなら幼馴染の春香もかなりのものだが(特に『白ハル』の時なんて卑怯なくらいだ)、彼女は人として少し超越した所があるので、抱締めたくはなれない。特に『黒ハル』の時は絶対にならない。
「なら、俺も」
次に声を上げたのは、上代賢太郎だ。
遅い・・・。何事も積極的に行動しない性格は中学の時からだ。
だが、何故か彼はいつも、どのグループに居ても一目を置かれる。それに何故かもてる。そのくせに、付き合っているという噂が出て来ない。
更に不思議な点は、あの春香に対する態度だ。仲がいいという訳ではないが、ひょっとして好きなんじゃないかと勘違いしそうなほど、気が付けば春香を見ている事が多い。
一度、春香に訊いたら、『知ってるよ。まぁ、害は無いから気にしてないけどね』とあっさりと言ってのけた。そう言えば、雰囲気が『黒ハル』に似ている。親戚じゃ無いそうだが、いつか確認したい点だった。
「じゃ、全員一致ね。狭山池の後に防災訓練と博物館を見て、それから昼食にしましょう」
真里菜が全員の締めをした。まあ、それだけ歩けばお腹もすくだろう。
彼らがその日の昼食を食べる未来は訪れなかった・・・・・・
お読み頂き、誠に有難う御座います m(_ _)m