第16話 4-4 「再会」
20141117公開
4.『再会』 西暦2005年10月23日(日) 午後3時42分
大阪府警第三機動隊第二中隊第一小隊小隊長の岸部警部補は、これまでの人生で一番濃密で危険な時間を過ごしていた。
彼が指揮する小隊16名の前後では、陸上自衛隊の隊員たちが小銃(自分たちが装備している拳銃S&W M37エアウェイトとは段違いの殺傷力を持っていた)を軽く肩に付けながら、全方位を警戒しながら警護してくれている・・・・・
関西国際空港開設に伴う諸問題に対応する為に設立された大阪府警第三機動隊は、本来ではこの様な作戦に投入される部隊では無かった。
だが、近畿地方の機動隊をかき集めて実施された鎮圧作戦の失敗により傷ついた組織としての面子を保つ為に、敢えて立案された『救出作戦』に彼らの小隊が抜擢されていた。
岸部が生まれた時から警察に奉職するまでに過ごして来た地元の大阪狭山市は、今では戦場だった。
自衛隊が死守している亀の甲交差点に至る府道34号線にはおびただしい数の巨人の死体が放置されていた。
作戦開始前に思わずその光景をじっと見ていた岸部警部補は、掛けられた声にとっさに反応出来なかった。
「命令により、貴隊の警護を仰せつかった陸上自衛隊第37普通科連隊第一中隊第一小銃小隊小隊長の秋山です」
目を向けると、そこには迷彩服を着た自衛官が居た。
迷彩服の数カ所に、明らかに以前にはプリントされていなかった赤黒く変色している部分が有るのが分かった。
「大阪府警第三機動隊第二中隊第一小隊小隊長の岸部です。よろしくお願い致します」
2人とも敬礼を交わした後に自衛官がポツリと言った。
「正直なところ、無事に任務を済ませるのは難しいと思って下さい。奴らを完全に抑え込んだとは言えません」
警護してくれる自衛隊の小隊長の声色は、その弱気とも取れるセリフとは全く別のモノを含んでいた。
事実・・・
そう、今起こっている大阪狭山市での事態を正確に伝えようとしているのだった。
「自衛隊さんでも奴らを抑え込むのが難しいのですか?」
「あの巨体で、あの機動力を発揮する脅威は実際に味わないと理解出来ないでしょうね。野戦ならばやりようは幾らでも有るのですが、市街地戦ではかなり厄介です」
「というと?」
「普通は小銃弾を被弾すれば、その時点で戦力としては離脱するでしょう、我々の常識ならば・・・。ですが、奴らは更に5歩も10歩も迫って来る。しかも速力を落とす事無くです」
一旦、陸上自衛隊の小隊長は言葉を切って、岸部の反応を見た。
「奴らの100㍍走のタイムは多分12秒台前半でしょう。あの武装した巨体でそんな速度で肉薄されたら、至近距離で遭遇した場合に対処できる時間は感覚的には一瞬です。判断が遅れたり反応が遅れたりすれば、もう目の前に居ると思った方がいい。この段階で命中弾を与えても懐に入られてしまう訳です。現に我々の被害は想定を遥かに超えています」
岸部は淡々と語る自衛隊の小隊長の言葉を聞きながら、自分の表情が動かない様にするので必死だった。
「今回の『救出作戦』が警察さんにもたらす世論への効果は分かっているつもりです。命令と言う事も有りますが、実際に救助を待っている夫婦とその赤ちゃんを助けたいと言う気持ちも持っています」
秋山と名乗った自衛隊の小隊長の表情は変わらない。
「ですが、覚悟だけは固めておいて下さい」
秋山は腕時計を見た後、告げた。
「あと2分後に状況を開始します」
そう言うと、秋山は敬礼をして、自分の部下たちの方に踵を返した。
千人を遥かに超える機動隊を一蹴した巨人たちの戦力は自衛隊でさえも手を焼くほどという事実を教えられた岸部だったが、それでも彼に逃げると言う選択肢は無かった。
「第一小隊、集合! 今更、クドクドと注意事項は言わん。全力で任務を遂行する! ただそれだけに集中するぞ!」
それは、東京のテレビ局が放送していた特別番組に、奇跡的に繋がった大阪狭山市の男性市民からの1本の電話から始まった。
「視聴者からのSOS」というテロップが付けられた中、彼は番組の総合司会のアナウンサーの質問に何とか名前や住所を伝えた後、遂に感情を抑えられなくなったのか、切羽詰った訴えに出た。
『助けて下さい! 妻が苦しんでいるんです! お腹の赤ちゃんが・・・ もう、生まれるかもしれないんです! 今すぐに助けに来て下さい! もう、待てな・・・・・・』
無情にも、回線が再びパンクした為に、ここで途切れた電話は現地の状況を伝えるには十二分なインパクトを視聴者に与えた。
通常であれば、掛かり付けの産婦人科に駆け込むであろう状況でありながら、大阪狭山市の現状は外出する事さえも許されない状況という事を思い知らされる電話であった。
視聴者からの反応は爆発的な数の応援ファックスに現れた。当然ながら非難の矛先は鎮圧に失敗した警察に向けられたが、再編成中の機動隊を再度出動させる事は不可能・・・ というよりは、鎮圧作戦を展開している自衛隊に任せるしかないというのが現実だった。
だが、官邸に対する影響力と言う点では、防衛庁を圧倒する政治力を持つ警察庁はささやかな成果を得た。
その『成果』たる大阪府警第三機動隊第二中隊第一小隊は、その様な経過を経て、大阪狭山市池之原3丁目に居た。
幅が3㍍も無い小道の左右は農地が広がっていた。
15㍍先で小道は突き当りとなり、Tの字の左右に在る角の家が邪魔で視界が遮られていた。
特に左側の角の豪邸の真新しい塀が高くて、完全に視界を遮っていた。
『避難してくれていたらいいんだが・・・』
その真新しい塀で囲われた大きな家は、岸部が近くの交番で勤務をしていた時に、頻繁に会った少女の自宅だった。
毎日の様に隣町まで捨て猫や捨て犬が居ないかを調べては岸部に報告に来ていた少女・・・
不思議な雰囲気を纏った少女の笑顔を(泣き出しそうな顔も)一瞬だけ思い出した岸部は、心の中で祈った。
警護してくれている自衛隊の行進は慎重そのものだった。
一歩づつ、いや、半歩づつゆっくりと歩を進めていた。
前衛の10名の自衛隊員が、それぞれ決められた方位に小銃を向けて死角を作らない様にしていた。それはさながらハリネズミの様であった。
更に自衛隊側の指揮官の秋山を含む14名の自衛隊員が前衛のバックアップと岸部たちの警護として続いている。
岸部たちの後方に続く殿《しんがり》の10名は主に後方を警戒しながら続いていた。
T字路手前5㍍で最前列の部隊が右側の家の塀に寄った。すぐに岸部たちの前を進んでいた部隊が左側の家の塀沿いに進み、同時にT字路に到達した。
左側に寄った部隊の全員が知らない間に小銃の銃床を左肩に付けている事に気付いた岸部は素直に感嘆した。
『なるほど、左右の視界と射界を同時に確保する為か。かなり訓練を積んだ練度が高い部隊なんだろうな』
実際は岸部の想像とは違って、警護の部隊はこのような訓練はそれほどしていなかった。
全ては、少しだけ受けた教育を基に、生き残る為に会得した知恵だった。
お互いの先頭を務める隊員が頷き合い、両部隊は一斉にT字路に滑る様に進入して左右の安全を確保した。
目的の一軒家までは、左に曲がって30㍍足らずだった。
5分後、無事に妊婦を担架に乗せた時だった。いきなり拍手の様な音が複数回、後方から響いたのは・・・
その音、すなわち射撃音はたちまち連続した音になった。
「秋山二尉、こっちは準備OKだ!」
岸部が自衛隊の指揮官に声を掛けたが、その指揮官は岸辺に答える前に視線を固定したまま、部下に命令を下した。
「三井二曹、第三班に機動隊の警護を任せる。我々はここで時間を稼ぐ。伝えてくれ。復唱はいらん。小林一士は状況を中隊本部に報告」
更に、自衛隊の指揮官は腰を落とした射撃姿勢になりながら岸部に声を掛けた。
「岸部警部補、こっちにも巨人が来る。命令の遂行を祈ります!」
秋山二尉は家電量販店の地下駐車場に繋がるスロープに目をやったまま、部下に命令を下した。
「北谷士長の班は北側を警戒! 残りは目標を視認次第即時射撃!」
『救出作戦』部隊は挟撃を受けようとしていた。
部下が夫婦に励ます言葉を掛けているのを、後ろに聞きながら岸部は自衛隊指揮官に声を掛けた。
「秋山二尉、武運を祈る! 第一小隊、下がるぞ!」
その時には、南側の部隊から破綻が始まっていた。
巨人たちがおぞましい手に出て来たからだった。
彼らは、自分たちよりも先に接近しようとして射殺された仲間の死体を積み重ねて遮蔽物にした。
当然ながら、自衛隊側の射撃出来る時間は短縮を余儀なくされた。
更に、その“土嚢”後方に弓兵の展開も始まった事が視認された。こんな遮蔽物の無い路上で弓の一斉射撃を受けた場合、阻止線が崩壊するのも時間の問題だった。
その頃には、北側の部隊も本格的に射撃を開始していた為、岸部に残された選択肢は一つだった。
「みんな、死ぬ気で走るぞ! 担架班は絶対に妊婦を落とすな! 日下部と兵頭は左右から落ちない様に担架を掴め! よし、行・・く・・」
岸部の命令は、この場にふさわしく無い電子音によって中断された。
より正確には、開き始めた観音扉の隙間から見え始めた少女の言葉によってだった。
「お巡りさん、お久しぶりです」
その少女は微笑んでいた。
戦場の真っ只中にも拘らず、微笑んでいた。
その笑顔は、昔、岸部に向けられたものでは無かったが、それでも記憶に有る笑顔だった・・・・・・
お読み頂き、誠に有難う御座います m(_ _)m




