今もっとも足りない味 @ 仮面
大したことのない昔話をしよう。
俺、佐野浩介は10も歳がいかなかった頃韓国で暮らしていたことがある。
当時、【リトルトウキョウ】と呼ばれていた、日本人が多く住む町に。
親以外頼れる者もいなくて、言葉も通じない人たちばかりで、同じ町に暮らしていた日本人の子供たちの輪に入るために積極的に声をかけていた記憶がある。
時にリーダーを振る舞ったり、時に空回りして喧嘩したり、時にいじめられたりで様々な経験をしたものだった。
正直言うと、あの町は当時の自分にとってあまり好きではなかった。街を気軽に出歩くことなどできず、出かける際は親が必ず一緒でないといけなかったから。
子供ながらに自由がほしくてムズムズしてたのだろう。
それに加えて物の少なさがあった。
当時の日本の流行なんてわからない。
すべてあちらにあるものが時々流行った……ただそれだけで、あまり娯楽というほどの娯楽もなかった。それゆえに読んでいた本も親から貰った少しだけむずかしめなものばかりだったもので、夜に暗い中必死に読んでいたこともあった。
そんなあの町で外を出歩いたときに、毎度毎度必ず楽しみにしているものがあった。
【トッポッキ】、俺は今でもこう呼んでいる。
正確な名称は違うようだがそんなことはどうだっていい。
毎晩帰りの時に特定の道を通ると決まってこのトッポッキを売っている屋台があった。甘辛く赤いタレに細長い円筒型の餅をぶっこんで煮たおやつみたいなものだ。どこか違う気もするけれどだいたいあってる。そんな気がしている。
まぁそれはともかく。
毎度毎度見かけるたびに親にねだり、親が苦笑交じりに多めに買っていたことはいまだにはっきりと記憶に残っている。小食で拒食気味だった俺が唯一多く食べられた料理……というわけでもなく。
甘くはあっても結局辛かった、そんなトッポギを当時の俺の舌ではすべて食べきるのは不可能に近く、半分も食べずに親にすべて渡していた困った子供だった。
しかしそれでも懲りずに買う。そして食べる。そして残して親にあげる。
そんな思い出が三年もあった。
しかしそんな生活は親の転勤という形で突如終わる。引っ越した先は日本ではあったが、韓国、そしてその前の外国での料理や、そして学校では弁当持参という環境にほとんど慣れてしまっていた自分にとっては学校の給食がひどく嫌いであった。
キムチチャーハンという名称だったものが出たとき、俺は真っ先にこう叫んだことがある。
『こんなのキムチじゃない!』と。
それから何年も何年も経って、俺は今、子供だった頃の舌で味わった料理の数々が懐かしくて韓国料理店に足を運んでいたりしている。
しかし物足りないのだ。
特に物足りなかったのは……
夜に小腹が減った時の帰り道に親にねだって買ってもらったトッポッキ……。
もう数えるのも面倒なくらいの月が過ぎてもいまだに覚えているあの甘辛くて笑顔になった味。
あの味がもう感じられないのかと思うと寂しくて、泣きたくなってくる。この味がまだ心に残ってるうちに、記憶にあの思い出があるうちに……
その思いが今は募っていく。
思いが想いとなり、爆発したその時……俺は飛び出すようにあの屋台を探しに行くのだろう。大事な大事な、家族の思い出をもう一度強くするために……。