ステーキ @ 鶴 書かない、書けない
ステーキ、という料理がある。
この愚かな筆者の矮小な脳に収められている薄っぺらい辞書を紐解けば、この国では主に明治時代から、当時は「ビフテキ」と呼ばれていたようだが、親しまれているようだ。今はポーク、チキン、などのステーキもあるし、「“ビフ”テキ」という呼称はふさわしくないのかもしれない。たぶんだけれど。
あの宮沢賢治が書いた名著『オツベルと象』の中で富豪のオツベルが食していることから、昔からステーキには高級なイメージがあったようだ。今もあまり変わらない気がする。あくまで私の主観だが。
ちなみに『オツベルと象』は「おっべるとぞう」と読む、という説もあるそうだ。非常にどうでもいい。
今回はステーキを作った。
材料は簡単。肉、塩、胡椒、バター。バターはマーガリンで代用できる。それ以外は代用不可だ。塩と砂糖を間違えるのは「ドジ」だと片付けられ、許されるというかむしろあざといというかありきたりすぎて面白みがないのだけれど、肉を代用したらただのアホである。さらに蜜柑ゼリーなどをいれようものなら、その人のあだ名はたちまち『姫路さん』になるだろう。
肉は牛にした。理由は簡単。ただ単に牛肉が食べたかったからだ。
近所の安いスーパーで肉を買ってくる。大して知識もなく、ましてや経験もない私が高い肉を買うことは宝の持ち腐れ、豚に真珠である。本当に安い肉でいい。別に筆者が豚みたいな体型をしていることを暗示しているわけではないので、留意するように。
調理方法も至ってシンプル。肉をパックから取り出して、両面に軽く塩胡椒を振り、下味をつける。
次に焼き加減についてだが、特に考える必要はない。焼き方には大まかにわけてレア、ミディアムレア、ウェルダンの三つがあるようだが、そんなものはすべて忘れてしまえ。ただ、己の空腹を癒やすことだけを考えるんだ。
フライパンを熱し、バターを溶かすわけだが、ここはあえて多めに溶かすべきだ。目安としては、溶かしきったときにフライパンの表面がすべて溶かしバターに覆われているぐらい、というところか。
昨今「ヘルシー思考」なるものが正義とされているが、そんなものはステーキの前には無力だ。そもそも肉を食うときに「ヘルシー」ということを考えるのが間違っている。第一、「ファッション」を「服装」と捉えている人間が多数いるこの世の中で横文字が氾濫しているこの現状がすでにどうかしている。片腹痛い。
話を戻そう。
まあこのまま、肉をフライパンにいれ、焼いていくわけだが、特にこだわりはない。片面が焼けたら、肉をひっくり返してもう片方の面を焼く。この時、ひっくり返す回数は最小限に抑えたほうがいいそうだ。つまり、推奨される回数は一回。
ここで重要になってくるのは「肉をひっくり返すタイミング」なのだが、私の母が昔すき焼き屋でアルバイトしていて、そこでそのタイミングを習得したらしい。曰く、「肉が『汗』をかいたら返せ」。
つまりはこういうことだ。肉を焼いてみるとわかるのだが、肉を焼いているうちに肉の表面には水なのか油なのかはわからないが、滴が浮かんでくる。その「滴」を「汗」に見立てているわけだ。要するに肉と焦らしプレイをしてることを想像すれば、わかりやすいかもしれない。リアルでしたことはない。……落ち込んでなんかいない。
そんなこんなで肉が焼けたわけだが、一番オススメな食べ方はステーキ丼。
丼に炊き立ての米をよそい、切ったニクを乗せる。とどめにわさび醤油をまわしかけるのだ。刻んだ大葉を散らせばなお旨いかもしれない。
贅沢品――今回作ったのはそこまで高価ではなかったりするが――を好き放題に食べる、という快感に包まれながら頬張るステーキは格別な味である。
脂っこさはわさびが打ち消し、所謂「おいしいとこどり」だ。
また食べたいものである。