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紫色のホットケーキ @ 中田良太

 僕がその料理を食べたのは、小学生の頃母方の実家を訪れていたときだった。

 母の両親つまり僕の祖父母は、典型的な孫に優しいおじいちゃんとおばちゃんで、僕が遊びに行くといつも遊んでくれて美味しいものも一杯食べさせてくれた。

 その中で一番思い出に残っているのが、祖父が焼いてくれた紫色のホットケーキだ。


 その日、普段はあまり台所に立たない祖父が朝から台所に籠もって何かをしていた。

 たまに「よっ」とか「ほいっ」みたいな声が聞こえてきたけど、その日の昼に家に帰ることになっていた僕は荷造りをしていてあまり気にしていなかった。

 今から思い返してみると、あれはホットケーキをひっくり返しているときの声だったのだろう。


 しばらくして荷造りを終えた僕が台所に行くと、得意顔の祖父が待ちかまえていた。

 祖父の横には鉄製の蓋がかぶせられた大きなフライパンが置いてあった。

 廊下から一歩台所に入ると、何とも甘くて言い香りが僕の鼻孔を刺激した。

「なに?これ」

 訊ねると、祖父はにこっと笑ってフライパンの蓋を取った。

 そこには、フライパンからはみ出んばかりの巨大なホットケーキが一枚湯気を立てて鎮座していた。

 直径は多分30cmではきかないと思う。

 僕の顔が二つくらいすっぽりと収まりそうな、そんな巨大なホットケーキだった。

 僕はまず、その大きさに驚いた。

「これじいが作ったの?すっごいでかい!」

 僕のリアクションが嬉しかったのか、じいちゃんがまた笑う。

「おやつにええか思うての。きっちゃるけ待っとり」

 そう言って、じいちゃんは巨大ホットケーキを切り分けて持ってきてくれた。

 僕は目を閉じて甘い香りを嗅ぎながら待っていた僕は、フォークを握りしめホットケーキにかぶりつこうとした。

 ……だが、出来なかった。

 巨大ホットケーキの断面を目にした瞬間、僕の動きはピタッと止まったのだ。

 なぜならそれが、紫色をしていたからだ。

 表面が黄色で中が紫色。それもかなり鮮やかな。

 そんなホットケーキを見たことがない小学生の頃の僕は思った。


 このホットケーキは腐っている


 この時の衝撃を言葉にするのは難しい。

 例えるなら、バラエティー番組でよく見る先住民族の村に泊まろうみたいな企画で、芸人がまるまると太った芋虫を食べさせられているのを見た時の衝撃を10倍にした感じだろうか。

 周りの人間はおいしいおいしいと食べているけど、どうしてもその見た目からそれを食べ物と認識することができない。そんな感覚だ。

 実際その時、僕以外の祖父母と両親はおいしそうにホットケーキを食べていた。

 だが僕は結局、そのホットケーキを食べることはできなかった。

 匂いは文句なしにいいのだけど、どうしてもそのビジュアルを僕の脳が受け入れなかったのだ。

 突然紫のホットケーキを目にしたショックは、当時小学生だった僕にはかなり大きく、その後祖父ともあまり話すことなく帰宅の途についた。

 折角焼いてもらったホットケーキを食べずに帰ってしまったことを祖父に謝りたかったけど、それもできないまま。





 さて、この話にはまだ続きがある。

 当然だ。ここで終わってしまっては、ただの苦い思いで話になってしまう。

 僕にとっての本当の思いでは、むしろこれからの出来事だ。





 祖父母の家を後にして、僕は父親の運転する車で自宅に向かっていた。

 だが、丁度その時期はUターンラッシュの真っ最中で、当然のごとく僕らの車も渋滞に巻き込まれた。

 その渋滞は、どうやら事故渋滞だったらしく、一時間経ってもほとんど前に進まなかった。

 退屈と空腹に我慢の限界が来た小学生の僕は、「お腹空いたー何か食べたいー!」と車内で暴れ回った。

 それを見かねた母が鞄をゴソゴソとあさり何かを取り出した。

「それじゃこれでも食べなさい」

 そう言って手渡されたのは、銀紙に包まれた三角形の物体。

 何だろうと思いゆっくりと開くと、そこにはあの祖父の巨大紫ホットケーキがあった。

 僕は一瞬、ギョッとして目を逸らせた。

 でも、さめても香るその甘い匂いが空っぽの胃を刺激した。

 舌の付け根のあたりから、涎があるれてきた。

 僕は口一杯にあふれた涎をゴクっと飲むと、ギュッと目をつむった。

(見さえしなければ)

 僕は思い切って三角に切られたホットケーキの先を一口食べた。


 驚いた。


 そのホットケーキはとても甘かった。でもそれは、砂糖やガムシロップのような乱暴な甘さではなく、素材そのものが出す優しい甘さだった。

 僕はその甘さの正体を確かめるためもう一口口に含んだ。

 ホットケーキの回りの少し焦げた香ばしさ。生地のふわっとした食感。そして、ホットケーキの甘さを殺さない優しい味をしたあん

 絶妙な風味が、僕の幼い舌を満たした。

「なんで、こんなにおいしいの?

 お母さん!これなんなの?!」

 僕は思わず叫んでいた。

 この、一見毒でも入っているかのような少しグロテスクな見た目。それとは裏腹な何とも優しくて甘い風味。

 一体これは何なんだ?僕の頭の中はその疑問で一杯だった。

「なにって、おじいちゃんに聞かなかったの?

 それには、紫芋を潰した餡が入ってるのよ」

 紫芋……そう言えば今年から新しいサツマイモを作っているって言ってたな。

 と、言うことはこれは、この紫はサツマイモなのか?

 僕はまた驚いてホットケーキの紫の部分をじっとみた。

 よく見てみると、確かに色こそ違うが匂いや質感、潰しきれていない繊維などは確かにサツマイモそのものだった。


 得体の知れない食べ物が、よく知る食べ物の仲間だとわかった瞬間、僕のお腹はギューッと鳴った。



 家についたらじいちゃんに電話しよう。

 それで、ごめんなさいとありがとうを言おう。

 ごめんなさいは、折角作ってくれたホットケーキを食べなくてごめんなさい。

 ありがとうは、とってもおいしいホットケーキをありがとう。


 僕はそんな事を考えながら、二切れ目のホットケーキに手を伸ばしていた。




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