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冷やしラーメン @ 寺町朱穂

「ラーメンを作ろう」



 最初に言いだしたのは、どちらだっただろうか? 

 とにかく、私と父のどちらかが叫んだ。そして、前代未聞のラーメン作りが幕を開けたのだった。しかし、大して難しいことをしようとしているわけではない。市販の麺はあるし、付属のスープもある。ただ普通と違うのは、その麺もスープも、元々は「冷やし中華用」のパックに入っていたという一点だけだ。

 酸味が強い物を嫌う私は、当然の様に「冷やし中華」も嫌いだった。今でこそ、ゴマダレという強力な武器の助力を得ることで食べることが出来るが、当時はゴマダレも嫌いで、「冷やし中華は、食べる物ではない」という認識を抱いていた。

 

 しかしである。世の中は理不尽にできている。とある暑い夏の日、



「お昼ご飯に、これを作って食べなさい」



 と、母が用意して行った物は、冷やし中華のパックだったのだ。

 父は問題ない。父は酸味に強く、酢を好んで使う。弟も問題ない。彼も冷やし中華は嫌いだが、弁当持参で夏期講習に望んでいる。家にいないのだから、昼食に関して心配する必要はない。そう、問題は私である。



「ほ、他に何かないかな?」



 食べる物を物色してみたが、こういう時に限って何もない。いや、もし何かあったとしても、あの母のことである。冷やし中華を残し、別の物を食べてしまった場合



「なんで冷やし中華を食べなかったの!?食べなさいって言ったでしょ!」



 という雷が寺町家に落ちること、間違いない。

 せっかくの夏休みに、怒られたくない。先延ばしにしている宿題について、あれこれ言われるだけでも精神が削られるというのに、ただ「冷やし中華を食べなかった」という事だけで、更に精神を削りたくない。



 どうにかして、食べなくてはならない。

 しかし、冷やし中華の酸っぱさはどうしても苦手だ。そのまま食べる気にはなれない。

 冷やし中華を食べ終えた父と話し合った結果―――ついに、結論に至ったのである。



「ラーメンにしてしまおう」



と。

 冷やし中華も、ラーメンも、同じ麺食品である。パスタやマカロニとは異なり、両者とも中華麺っぽい。付属しているスープを使えば、ラーメンっぽくなるのではないか?ということになった。我ながらに「なんてとんでもない計画だ」呆れてしまうが、当時の私は目を輝かせて飛びついた。



「よし!えっと……具は、冷やし中華用のハムや卵を使えばいいし、キュウリは生で食べればいいよね?」

「あと、鍋が必要だな。ラーメンを作る時と同じ要領でやれば、出来るだろ」



 キュウリに噛り付きながら、私はラーメンの手順を思い出す。

 湯を沸騰させる。問題ない、しっかり沸騰させる。その間に、具の準備―――も、問題ない。冷やし中華用の具は、既に切り分けてあった。次は、麺を茹でる。全く問題ない。硬めの麺が好みなので、2分を目安に茹ではじめ―――はた、と気がついてしまった。



「そうだ……冷やし中華のスープって、酸っぱいんじゃなかったっけ?」



 私と父は、固まった。

 なんで当たり前のことに、私達は気がつかなかったのだろうか。冷やし中華は、麺が酸っぱいわけでも、具が酸っぱいわけでもない。酸っぱいのは、スープ以外考えられない。酸っぱいのが嫌でラーメンに逃げたというのに、その酸っぱいスープでラーメンのスープを作るという矛盾に、この時になるまで気がつかなかった。

 しかし、既に麺は煮え立った湯の中へ投入されている。残された時間――つまり、スープ作りの時間は、あまりない。父は冷蔵庫から「鶏がらスープの素」を取り出し、大匙何杯か投入してみるが、悲しきかな。ラーメンのスープというモノは、通常のスープより味が濃い。薄味の鶏がらスープにラーメンのスープの代わりを務めろとは、あまりにも酷な話だった。いくら溶かしても、濃くならない。スープの色は、コンソメスープよりも薄かった。スプーンで掬ってみたが、お湯を飲んでいるかと錯覚してしまうくらい味が無い。



「どうすればいいんだ」



 時間は、無慈悲に過ぎていく。カラータイマーは赤い点滅をし始め、そろそろ怪獣と決着をつけなくてはならない時間だ。私と父は、ある決断に達した。



「冷やし中華のスープを、使うしかない」



 これを使わなければ、スープは濃くならない。私は、酸っぱいのが嫌いだ。しかし、このままでは、湯に浸かった味のしない麺を食べる羽目になる。それをラーメンとは、認めたく無かった。私は覚悟を決め、少しずつ……本当に少しずつ、スープを鍋に投下する。コンソメスープよりも色の薄い湯は、見る見るうちに色の濃さを増していった。先程の苦労は、何処へ行ってしまったのだろう。胸の中に、季節外れの木枯らしが駆け抜ける。数秒の内に、普通のラーメンの顔をした何かが仕上がった。

 醤油と味噌の間のような色に、やや黄色い麺、細長いハムと卵焼きが載ったラーメンが完成した。これを「冷やしラーメン」と呼ぶ。



 さて、気になる味だが、決して美味しいとはいいがたい。

 スープは、予想通りと言うべきか酸味が強い。麺は大丈夫だと思っていたが、それは大きな間違いだったことにも気づく。麺にも、形容しがたい滑り気があった。ラーメンの麺とも蕎麦ともパスタとも違う、謎の滑りに箸が止まる。ハムと卵焼きにも酸っぱいスープが滲みこんでしまっていた。つまり、まともに食べることが出来たのは、調理中に口にしていたキュウリくらいである。

「自分で作ったものは、失敗してもおいしく感じる」という言葉が、嘘だと気付いた瞬間でもあった。自分で苦労して作ったとしても、愛情がこもっていたとしても、口に合わない料理は「不味い」のである。



「味噌を入れれば、良かったかもね」

「醤油を入れれば、美味くなったかもしれない」



 しかし、後悔ばかりでは意味がない。冷やしラーメンを啜りながら、父と今回の反省点を挙げていく。次回、こう言った時に活かせるように、次は美味しく冷やし中華の麺でラーメンを作れるように。

 だが、機会は二度と訪れなかった。冷やし中華自体、滅多に食卓に上がらなかったことも理由にあるだろうが、最大の理由は、帰宅早々、母が雷を落としたからだ。冷蔵庫を覗き、近所一体に響き渡る大声で



「鶏がらスープの素が、なんで空になってるの!?えっ、ラーメンを作った!?なんで冷やし中華を作らなかったのよ!?」



 と、母は叫ぶ。一応、弁明しようと口を開いたのだが――



「えっと……冷やし中華からラーメンを作ろうとして……」

「なんで言った通りのことが出来ないの!?冷やし中華、美味しいじゃない!!」

「……冷やし中華、苦手だって……」

「お母さん言ったよね、今日のお昼はコレを作って食べてねって?言ったよね?なんで言ったことが守れないの?そもそも、鶏がらスープの素でラーメンが作れるわけないじゃない。馬鹿じゃないの!?」

「……」



 と、このように母親の連続射撃に負けてしまい、次からは「命令通り」に、余計な物は作らなくなった。夏休みくらい、家で気苦労も無く、のんびりと過ごしたい。気苦労は宿題と勉強だけでいいのである。他に怒られる要因を作りたくない。そもそも、怒られたくなかったから冷やし中華をラーメンに作り替えたわけだが、何故怒られているのだろうか。どっちに転んでも怒られるのであれば、いっそのこと私も外出してしまえばよかった。

 不思議なことに、食べ物に関する記憶を思い出すたびに、母の怒鳴り声も脳裏に響き渡る。怒られないで済んだ食事も多いはずだが、記憶に残る食事には必ず母の怒り声があった。

 そして、大学3年生を迎えた今日も



「なんで昼間、レトルトカレー食べちゃったの!?春休み中に、こっちの焼きそば使い切らないと駄目でしょ!そんなことも分からないの!?」



 と、母親の怒鳴り声が飛ぶ。もちろん、私も黙って負けるわけにはいかず、反論を試みる。



「え……だって、野菜を勝手に使ったら怒られ……」

「こっちの野菜は良いの!!」

「……昨日はダメだって……」

「昨日は昨日!今日は今日!そのくらい、分かりなさい!!」



 しかし、母には敵わない。押し切られるように負けてしまい、精神が削られていく。たぶん、これからも私は食事の度に、母親に怒鳴られるのだろう。私が成長していないのか、母が変わらないのか。私は母の視界に入らぬよう、小さくため息をつくのだった。







 いらないと思いますが、「冷やしラーメン」の作り方を掲載します。



① 湯を沸騰させる。

② 冷やし中華の具(ハムと卵焼き)を用意する。

③ 冷やし中華の麺を3分間茹でる。

④ 冷やし中華のスープを投入し、よくかき混ぜる。

⑤ ラーメンの器に移し替える。→ 完成



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