きつねうどんと御狐様 @ 扶桑狐
京が伏見の稲荷神社。
無数の神々を祀り幾多の仏閣を吸収してきた社は縦横無尽の隘路と社の咲き乱れる神々の園。
なるほど、他の神社とは一線を画すわけだ。
そう青年は感じた。
総てを無節操に吸収し、拡大し続けたその姿は煩雑でありながらも、どこか神々の息吹を感じさせる佇まいをこの伏見の山に成立させている。
「しかし、この段差は反則だろう」
所々に見受けられる休憩所の軒先では、老人や外国人達が死屍累々という有様で座り込んでいる。紅白ソフトクリームを舐め倒しているカップルに死ねっっ!という念を送りながらヒィヒィと階段を登る。控えめにみて地獄である。
「お、おっちゃん、もうあかんわぁ」
見た目は子供、頭脳はオッサンな青年は近くの売店の軒先に所在無さげに佇む長椅子へと腰を下ろす。そして、些か草臥れた風体の椅子の軋みを耳に一つ。
「お、おおぅ・・・・・・けつねうろんかぁ」
ふと、店先の草臥れたポスターに写るきつねうどんを見て昼飯だったと思い出す。お揚げが小さい気がするが、小さくてカワユイという文化のある京都だからこそだろう。断じてケチなわけではない。
「おばちゃ〜ん、きつねうどん一つ〜」
正直なところ「きつねうどん」か「けつねうろん」か良く分からないが、後者を実際に聞いたことはないので、前者で注文してみる。そう言えば、京都には油揚げを使った丼「きつね丼」なるものがあるらしく機会があるなら是非、食べてみたいものだ。
「ワンコインとはお得な」
500円という値段に青年は「ふむぅ」と唸る。店先にいるのは結構なおばあちゃんなのだが、食材はどうして運んでくるのか気になるところである。噂の雀の焼き鳥を麓で食べる積りであったが、狐と言われれば食べない訳にはいかない。
歩き続けた為に疲れ切った足を引き摺り、青年は席に腰を下ろす。煮込みうどんも気になるが、狐とあえるんじゃないのかと期待してきた以上、狐に敬意を払わねばならない。既に御守りや御札だけで一万円以上使っているが大したことではないのだ。蔵王キツネ村での散財に比べれば大したものではない。
よれよれの御婆さんが運んでくる姿に危なげなものを感じつつ、青年はきつねうどんを食べれば狐の一匹にでも遭遇できるかもしれないと益体もない事を考える。
福島県の隣の宮城県、蔵王キツネ村では放射能など知った事かとあの事故直後に全力で観光に行った。狐を見に。四カ月ほどの長期出張の最中に四回行ったのだ。一月に一回行ったことになる。栃木県からの新幹線代だけでも笑えない金額である。狐にも五回噛まれて服に穴が開いたが良い思い出である。いや、彼らの歓心を買いたいならば魚肉ソーセージのほうが有効かもしれない。三〇匹ほどに群がられたのは良い思い出であった。
という回想をしている間に用意されたきつねうどん。
やはり油揚げが小さい。これはお稲荷さんも御怒りです
もっとも実際の狐は油揚げを食べないが。
鞄から黒七味を取り出しつつ、狐に出逢えないものかと思案する。滋賀では野犬の跳梁で罠を仕掛けてもワンコロしか引っ掛からないのだ。狂犬病なので始末に負えない。
世の中は儘ならんと文句を垂れながら、鞄から取り出した黒七味をきつねうどんに掛ける。彼の有名な祇園の黒七味である。汁物との相性が抜群なのだ。
少々、黒七味で赤黒くなった油揚げに喰らいつく。
小さいが、美味い。
かなり甘めの味付けがなされているのか、そこらへんのきつねうどんの油揚げとは違う。みりんや砂糖などで作った液に長く漬けているのか、染み出す甘み成分が心地良い。これなら狐の食事としても使えるかも知れない。
実は油揚げをお稲荷様に備える文化は、殺生が禁じられている仏教徒が鼠に見立てた油揚げを用意した事が始まりである。実際にキツネ村で試したが、食べはしたもののあまり好評ではなかった。
続いて麺を啜る。
コシのある麺だが、それに絡み付くスープに山椒の風味が効いた黒七味のアクセントが複雑な味を演出している。ケシカラン。
ケシカラン、けしからんと言いながら麺を啜り続ける。
うどんは喉越しである。喉に焼け付くような七味の辛さと、鼻に抜ける山椒の薫りが食欲をそそる。四時間半歩き回って喪われた食欲が戻ってくる。
実に良い。
薄めの味付けであったが、昼飯はこれくらいでいいのだ。金銭的にも優しく、腹にも優しい。何より夜に備えて軽めで留めておくのは休日の基本である。
さぁ、京都な日々を続けよう。
青年は立ち上がると机に5百円硬貨を置いて、ロングコートを羽織る。
稲荷様に願った後は酒である。
購入した御神酒を嗜みながら京の町を散策するとしよう。
狐とは自由なのだ。
「おばちゃん、美味かった~」
翻したロングコートにロシア帽を被り青年は幾本もの鳥居が続く参道を下る。
何気ない日々。
ただ狐の様に自由に彷徨い、食べたいものを食べ、休みたいときに休むのだ。
狐の信仰者は何よりも自由で自堕落なのであった。