第七章 完結篇(十一月十日発)
私はテレビで、洪水の被災者の様子を伝える番組を見ていました。
避難所となっているテント村で、レポーターが被災者にマイクを向けて問いかけました。
「ここに避難してきて、なにか楽しかったことはありますか?」
私は、一瞬自分の耳を疑いました。
え、今、なんて言った? 聞き違いか?
ところが、インタビューを受けている被災者は、全く動じることなく、ニコニコ顔で答えました。
「みんなで共同作業をやって、一体感が生まれました」
レポーターが、今度は別の人にマイクを向けました。
「ここに来て、楽しかったことはありますか?」
彼もまた、うれしそうに微笑んで答えました。
「友達がいっぱいできました」
レポーターの質問がおかしい!
変?
そもそもここにいる人たちは、みんな悲惨なはず。家はダメになるし、いつ帰れるかわからない。そして、不自由な避難所生活を強いられている。
日本であれば、「なにか困っていることはありませんか?」とか、「不足している物はありませんか?」といった風に聞くのが普通だろう。それを「楽しかったことは?」などと聞かれたら、被災者は怒ってしまうに違いない。
聞く方も聞く方だけど、答える方も答える方だ。しかも笑顔で……。
悲惨な状況の中でも、気丈に振舞っていて、日本人とは全く違う。
いったいどこまでポジティブシンキングなんだよ、タイ人は!
例によって私は、あきれるやら感心するやら……。
三日には、とうとう恐れていた事件が起こりました。二十九才の男性がワニに噛まれ、百針も縫うケガをしたのです。
タイでは見世物だけでなく、革製品を作るためにワニを養殖しています。養殖のワニなら、ワシントン条約の規制を受けないからです。逃げ出したワニの数が異常に多いのはそのせいです。
実はタイでは、十年程前にも洪水でワニが逃げ出したことがあり、その時には住民が一人食い殺されたので、ワニの恐怖はかなり切迫しています。
オマケに、今回人が襲われたのは、バンコクに近い場所でした。民家に入ろうとしている巨大なワニとか、家の玄関でひなたぼっこをしているワニといった衝撃の写真も撮られていて、住民のワニの恐怖は最高潮に達しています。
そのため、ワニを捜索する番組がたくさん放送されました。その内の一つは、だいたいこんな内容でした……。
ワニは夜行性だからと、ワニが目撃された場所にわざわざ夜中に出向いて、レポーターが「恐いですね、恐いですね」とつぶやきながら、現場を捜索します。
ガサガサと音がすると、「あっちだ!」とか叫んで、スタッフがいっせいに走り出し、同行した猟師が、暗闇に向けていきなり銃をぶっ放しました。
危ない! そこはジャングルではありません、洪水に襲われた住宅街です。人に当たったらどうする気だ! 見ていてハラハラしました。
結局、ワニが本当にそこにいたのかどうかも、わからずじまいでした。
さらにテレビ番組関係では、スターのお宅訪問が増えました。
これは、バンコク市内に住んでいるスターの豪邸を訪問して、どんな洪水対策をしているかレポートする特集です。
どの豪邸も土嚢を積み上げ、窓は木で塞いだ上にシリコンで目張りして、防水対策はバッチリでした。脱出用の舟も、二艘ぐらい用意してありました。
テレビを見ていると、頻繁に政府の広報CMが流れるので、もう耳について離れなくなってしまいました。
以前にも書いた、洪水の応援ソングが流れて、直訳すると、『タイ人はタイ人を見捨てない』というようなナレーションが入る。要するに、みんな助け合いましょうということを言っている。
そのCMが、定期的に繰り返し、繰り返し流れるので、ああ、またかとうんざりします。
日本でも、震災の時に似たようなCMがあったそうですね。
四日には、我が家から十キロほど離れた場所にある、友人の家が冠水しました。
彼とは、前日の夜に電話で「本当に来るのかなー」とか、「もう来ないんじゃないの」とか、他人事のようにのんきに話していたのですが、その日の彼は、興奮状態で電話をかけてきました。
「つ、続さん、まいりました! もうめちゃくちゃですよ!」
足元に水が来て、尻に火がついたのです。
彼は日本人で、日系企業に勤めています。彼の話では、彼のアパートも、勤め先も冠水してしまったそうで、会社は急遽パタヤに移転することになり、彼は丸一日、引越し作業に追われたということでした。
彼の部屋はアパートの三階にあるので、実質的な被害はないけれど、やはり建物が冠水すると不便で、とても生活できる状態ではないそうです。幸いネットでパタヤのホテルを予約することができたので、彼もパタヤに避難することになりました。
「いやー、疲れました……」
彼は、げんなりした調子でぼやきました。
私も彼の話を聞いて、他人事ではないとぞっとしました。
パタヤ(バンコク近くのリゾート)は例年十一月からオンシーズンとなり、ただでさえ値段が上がるのですが、今年はそれに洪水による便乗値上げが加わり、物価がとんでもないことになっているそうです。
バンコクで干された風俗嬢もパタヤに移動し、歓楽街はかなり賑わっているようです。
ところで、我が家の洪水被害についてですが、うちの近所にはまだ来ていません。というか、ほぼ来る可能性がなくなりました。政府の排水作業と、土嚢を積んだ洪水対策がうまく機能したようです。
犬も猫も、今月早々に戻ってきました。
オープンカフェに行ったら、いつものように灰色猫が挨拶に現れました。「お前、今までどこに行ってたんだよ?」
お菓子の棚はまだスカスカですが、水や生鮮食品は戻ってきて、食堂の野菜も復活しました。
読者のみなさんには申し訳ないけれど、私にとっては大団円です。
結局、今、困っているのは、床屋に行けないことぐらいです。
先日床屋に行ったら満員で、待合席に人があふれていたのでびっくりしました。その床屋があんなに込んでいるのを見たのは初めてです。
店長に「ごめん、あした来てよ」と言われ、翌日行ったらまた満員で、結局散髪はあきらめました。
洪水は、バンコク中心街には来なかったけれど、周りはすっぽり水に囲まれ、まるで孤島のようになっています。そのため、残されたわずかな陸地を求めて、人が殺到してきたのです。
デパートにはいつも以上に人があふれ、道路に大渋滞が戻ってきました。
今月の初め頃は、街から車と人が消え、空気が素晴らしく澄んで、タクシーで信じられない速さで都内を移動できたことが夢のようです。
床屋の店長は、特需だと喜んでいました。
トンブリから逃げて来た日本人の知人と話しましたが、彼は悲惨な目に遭っていました。持ち家の自宅が冠水して、今は避難所暮らし。その日は用事があって、バンコクに出てきたそうです。
タイ人の奥さんが、猫を十匹ぐらい飼っていたのが、洪水で散り散りになってしまったそうで、自分はけっこうな年なのに、不便な避難所暮らしでは体調管理もできない。この辺は水がなくて、天国だねーとしみじみ語っていました。
それを聞いて、改めて自分は恵まれているなと実感した次第です。
本日、十一月十日は、ロイクラトーン、タイの灯篭流しのお祭りの日です。
私も、タイ人のガールフレンドと流しに行ってきました。
タイの灯篭流しは、盛大で、とても幻想的なんですよ。特に恋人たちにとっては、大切なイベントです。
でも、今年は洪水のため、川や運河で流すことは禁止されました。増水して危険だし、ゴミを増やすことになるからです。しかし公園の池などで流すのは、例年通り許可されました。
私も、今年は近所の公園の池で流しました。
タイの灯篭は、ハスの花を模した美しい形をしていて、基本的にバナナの幹から作られます。周囲に色々な飾りをつけ、大きさは大小様々、縁起物で、ちょうど日本で熊手を買うような感覚です。
普通の大きさで五十バーツ(約百五十円)。大きいものになると、数千バーツもして、流してしまうのがもったいないくらいりっぱで見事です。これは主に、会社や商店などが購入して流します。
夕暮れになってから、みんなで灯篭を持ち寄って、蝋燭に火を灯して流します。川や池に、無数の灯篭が漂う様は幻想的で、よくタイの観光ガイドの表紙にも使われます。
灯篭を流すのは、水の神に感謝を捧げるためで、日本の灯篭流しとは意味が違います。
またカップルが二人で流した場合、その灯篭が見えなくなるまで沈まないで流れて行くと、その恋は成就すると言われています。実際の話、たいてい沈んでしまうんですけれどね……。
川に流す灯篭の他に、熱気球の原理で空に飛ばす灯篭もあります。
油を浸した布のボールに火をつけ、袋状の灯篭の中に入れて飛ばす物で、これが一度に何十個もバーッと飛んで行く様は、流し灯篭よりもさらに幻想的できれいです。
ここで、みなさんは疑問に思うかも知れません。火のついた灯篭を打ち上げて、危なくないのだろうかと?
ご心配には及びません。見えなくなるまで飛んで行った灯篭は、じょじょに浮力をなくし、運悪く木造家屋に着地すれば着火します。こうして毎年、ロイクラトーン恒例の火事が起こるのです。
こんな物を都市部であげること自体が間違っています。さすがに政府も、公園などであげることを禁止しましたが、違反者は後をたちません。
そもそも王宮前の広場で、毎年大々的にあげているのですから、禁止しても意味がありません。
公園からの帰り道、チャオプラヤー川に人が大勢集まっているという噂を聞きました。危険だから、川には絶対近づかないようにと、政府から警告が出ていたはず。
私たちは、川がいったいどうなっているのかという好奇心にかられ、自己責任覚悟で、行ってみることにしました。
川は、いつもの穏やかでまったりした表情とは、全く別の顔を見せていました。あふれんばかりに増水して、渦を巻いて流れていました。
警告が出ているにもかかわらず、川岸には例年と同じくらい大勢の人が押しかけていました。やっぱり灯篭は川に流さなくちゃという、こだわり派が多いのでしょう。
毎年ロイクラトーンには、お金を払うと川に灯篭を流してくれる流し屋が現れます。わざわざ岸から離れたところまで泳いで行って、灯篭を流してくれるのですが、さすがに今年は泳いでいる流し屋は一人もいませんでした。
その代わり、橋の上や桟橋からザルで吊り下げて流していました。でも、ただでさえ沈みやすい灯篭を激流に浮かべれば、どんな結果になるか、みなさん容易に想像がつくでしょう。それでも流す人が引きも切らずで、意地でも川に流したいというこだわり派の多さにちょっとあきれました。
川岸では、盛んに花火を打ちあげていました。しかし、私は水面に映る花火の美しさを心から楽しむことはできませんでした。間近で聞く破裂音が銃声に聞こえて、トラウマのように、あの赤シャツ騒動のことを思い出してしまったからです。
タイの闇の部分を語る上で、私には忘れられないテレビニュースの記憶があります。
実は近年、政権が不安定なタイでは、クーデター騒動は日常茶飯事で、三年に一度ぐらいの頻度で起こってきました。
十年ほど前に起きたクーデター騒ぎの時には、反政府側の人々が七百人も行方不明になり、政府に拉致されて全員虐殺されたんじゃないかと噂になりました。しかし真相は藪の中、結局行方はわからずじまいでした。
それが数年前、海底からコンテナが浮き上がり、大騒動が起こりました。コンテナは重しを付けて沈めてあったのが、大嵐の影響で浮き上がったらしいという話でした。
コンテナの中には、人間の白骨がゴロゴロ入っていたという噂が流れました。その数、約七百体だとか……。
クーデターの行方不明者の遺族が、これについて徹底的に追及すると発表すると、突然翌日、時の首相アビシットが緊急記者会見を開き、白い珊瑚を持ってテレビに登場しました。彼の弁では、白骨だと噂が流れているが、すべて珊瑚だったと言うのです。
それっきりこのニュースは黙殺され、全く語られることはありません。私はこの一連の報道を見て、タイの闇の深さを垣間見ました。そして私自身が、その闇に呑み込まれる状況に陥ったのです。
私が現実に体験した出来事を、実際に見聞きしたことを、何らかの形で残しておきたいと思い続けてきたので、このエッセイとは別に、新たに『チャオプラヤー川の夕日』というタイトルで連載を始めることにしました。
今度は文体や雰囲気もガラっと変えて、タイ情報や文化、国民性についても、よりディープに書いてみようと考えています。
赤シャツの乱は過去の事件ですが、同時に現在進行形の出来事でもあります。タイの現在の首相インラックは、赤シャツの主役、タクシンの妹です。
つまり、いまだに火種がくすぶっていて、いつ再燃するかわからない状況が続いているのです。もしそうなったら私は、今度は迷うことなくタイを脱出します。もう二度と、あんな体験をしたくありませんから!
どうかみなさん、本作で懲りずに、ぜひチャオプラヤー川の夕日もお付き合いください。
……チャオプラヤー川の夕日に続く。