第3話「縁起が悪いと言うならそう呼んでください」
噂というのは、三日で形を変える。
婚約破棄から一週間も経たないうちに、エルナの耳には奇妙な話が届くようになっていた。
曰く、エルナ・アッシュフォードは婚約者の「死」を予言して別れを告げた。
曰く、彼女の目は人の「不幸」を見通す呪いの目だ。
曰く、近づくと災いが移る。
「……随分と豪快な話になっているのね」
エルナは侍女のミラから報告を聞きながら、静かに紅茶を口に運んだ。
「豪快どころじゃありません! エルナ様が呪いの令嬢だなんて、そんな馬鹿な話……」
「まあ、否定するのも面倒だし、放っておけばそのうち収まるわ」
「収まりません! 今週の茶会に呼ばれていないって、気づいていますか?」
エルナは少し考えた。
確かに、今週はどこからも招待状が届いていない。先週まではあれほどあったのに。
「……そういえば、そうね」
「そういえば、じゃないです!」
ミラが声を荒げた。十七歳の侍女はこういうとき、エルナより感情的になる。それがなんとなく、ありがたかった。自分の代わりに怒ってくれているような気がして。
「エルナ様は、悔しくないんですか」
「悔しい、というより……」
エルナは窓の外を見た。秋の庭園に、風が吹いている。
「こういう展開になることは、なんとなく見えていたから」
「見えていたなら、なぜ止めなかったんですか」
「噂の終わりも、見えているから」
ミラがぽかんとした顔をした。
「……どういう意味ですか」
「この噂は、長く続かない。二週間以内に、別の話題が出てきて、うやむやになる。そういう気配がするの」
「き……気配って」
「なんとなく、ね」
エルナは静かに微笑んだ。ミラはまだ納得していない顔をしていたが、それ以上は言えなかったらしく、むすっとしたまま下がっていった。
問題は、その翌日に起きた。
父に連れられて出席した小規模な茶会の席で、エルナは三人の令嬢に取り囲まれた。
「アッシュフォード様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
愛想よく挨拶を返したが、三人の顔に浮かんでいるのは友好ではなかった。好奇心と、それをほんの少し包んだ意地悪さ。エルナはその配合を、瞬時に読み取った。
「最近、妙な噂をお持ちだと聞きましたわ」
リーダー格らしい令嬢が、扇の陰でくすりと笑った。オルタン伯爵家の令嬢だ。社交界では愛想がいいことで知られているが、その愛想の裏側に何があるかは、エルナにはよくわかる。
「人の不幸を予言するとか、呪いの目をお持ちだとか」
「噂というのは面白いものですね。私が言ったのはそういうことではないのですが」
「では、何を言ったんですの?」
「婚約が終わりそうだと、三ヶ月前から察していた。それだけです」
「まあ」
令嬢たちがひそひそと顔を見合わせた。
「それって、やっぱり変わっていますわよね。普通の方は気づかないもの」
「そうですか? 人をよく観察していれば、わかることだと思いますが」
「じゃあ、今ここで何か当ててみせてくださいな」
オルタン令嬢が、挑発するように扇を傾けた。
「今この場にいる方で、もうすぐ何かが終わりそうな人がいるかどうか。当たったら信じてあげますわ」
場の空気が、静かに緊張した。周囲の視線が集まってくる。
エルナは少し間を置いた。
本当はあまりこういうことはしたくない。でも、ここで黙っていても状況は変わらない。
――ならば。
エルナはゆっくりと、三人の令嬢を順に見た。
「では、三つ申し上げます」
「まあ、やってみてくださいな」
「まず、オルタン様」
「……はい」
「今月中に、ご婚約のお話が一度白紙に戻ります。ただし、最終的にはまとまる方向ですので、ご心配は不要かと」
オルタン令嬢の顔から、笑みが消えた。
「次に、バルム様」
隣に立っていた令嬢が、びくりと肩を震わせた。
「来月、ご実家で揉め事があります。一週間で収まります」
「な……」
「最後に、ルティエ様」
三人目の令嬢が、きょとんとした顔でエルナを見た。
「あなたの愛用の扇、今朝から見当たらないのではないですか。捨てられたわけではありません。洗濯物に紛れて別の部屋に行っているだけですので、西の物置を確認されると出てくると思います」
沈黙が落ちた。
誰一人、声を出さない。
エルナはティーカップを手に取って、ほんの少し微笑んだ。
「三つとも外れていたら、縁起が悪いという噂は本物だということで、皆様にお好きに言っていただいて構いません。でも当たっていたなら」
一拍、置く。
「縁起が悪いのではなく、ただ少しよく見えているだけだと、わかっていただけますか」
令嬢たちは何も言えなかった。
オルタン令嬢の扇だけが、かすかに震えていた。
翌日、エルナのもとにミラが飛び込んできた。
「エルナ様! 昨日の三人の令嬢のこと、聞きましたか!」
「何かあったの」
「オルタン様のご婚約話が、突然先方から保留になったそうで! バルム様のご実家では昨日から何やら揉めているとかで! ルティエ様は昨夜、使用人の一人と長い話し合いをされたとか!」
ミラが興奮で頬を赤くしながら続けた。
「全部当たってます! 三つとも! しかもルティエ様の扇、本当に西の物置から出てきたそうで、それが一番騒ぎになってますよ!」
「そう」
「そうって……エルナ様、もっと驚いてください!」
「私が言ったことだから」
「それはそうですが!」
エルナは窓の外を見た。庭園に、今日も風が吹いている。
縁起が悪い、と言われることには慣れている。でも当たったとき、人はどう反応するのだろうといつも思う。怖がられるか、頼られるか。今回はどちらだろう。
「エルナ様、これで噂が変わりますよ! 縁起が悪いどころか、すごい力の持ち主だって」
「それはそれで面倒ね」
「もう!」
ミラが頬を膨らませた。
エルナはくすりと笑った。
「でも、ありがとう。心配してくれて」
ミラが少し驚いた顔をして、それから照れくさそうに目を逸らした。
「……当然です。私はエルナ様の侍女ですから」
窓の外、秋の光が庭に降り注いでいる。
縁起が悪いと言うなら、そう呼べばいい。
エルナはそう思っていた。ただ、少しだけ。
――クロヴィスが「役に立つ」と言ってくれたことを、思い出していた。
あの人はきっと、縁起が悪いとは言わない。
なぜかそれが、少しだけ嬉しかった。




