第14話「私には、あなたの終わりが見えません」
翌朝、クロヴィスは約束通り来た。
ただし、今日は馬を引いていなかった。手ぶらで、制服でもなく、珍しく私服姿だった。濃紺の上着に、シンプルな襟元。騎士団長の威圧感が少し薄れて、ただの男の人に見えた。
エルナが玄関に出ると、クロヴィスが「話せるか」と言った。
「はい」
「外を歩きながら、でもいいか」
「ミラを連れてもいいですか」
「構わない。ただ、少し離れていてもらえるか」
ミラが「絶対聞きますけど!」と心の中で言っているのが、表情でわかった。それでも「わかりました」と頷いたのは、ミラなりの気遣いだろう。
三人で屋敷の庭に出た。秋も深まって、庭の木々が赤や黄に色づいていた。ミラは少し後ろで、一生懸命聞こえないふりをしながら歩いている。
クロヴィスは少しの間、黙って歩いた。
エルナも黙って歩いた。
急かすつもりはなかった。クロヴィスが言葉を選んでいるのが、隣を歩いているだけでわかった。
「エルナ」
庭の中ほどまで来たとき、クロヴィスが口を開いた。
「はい」
「お前に、ずっと聞きたかったことがある」
「聞いてください」
「お前の眼は、終わりが近いものを見る」
「はい」
「そして、俺の終わりだけは、最初から一度も見えていない」
「そうです」
クロヴィスが立ち止まった。エルナも止まった。
紅葉した木の下に、二人で立っている。風が吹いて、赤い葉が一枚、ゆっくりと落ちていった。
「それがどういう意味か、お前はわかっているか」
エルナは少し間を置いた。
わかっている。
ずっと前から、うっすらと気づいていた。でも、言葉にするのが怖かった。言葉にしてしまうと、もう引き返せない気がして。
「……わかっていると思います」
「言えるか」
「クロヴィス様が、先に言ってください」
「なぜだ」
「私が言い間違えると、恥ずかしいので」
クロヴィスが少し目を細めた。
「……お前が恥ずかしがることがあるとは思わなかった」
「あります。たまに」
「そうか」
クロヴィスが前を向いた。
庭の向こうに、屋敷の白い壁が見えている。空は高く、澄んでいた。
「俺は」
クロヴィスが、ゆっくりと言い始めた。
「騎士団長という立場で、ずっと誰かの終わりと向き合ってきた。団員の限界も、任務の危険も、時には仲間の死も。終わりを見続けることが、仕事だった」
「はい」
「そのせいかもしれないが、俺は人の始まりというものが、よくわからなかった。何かが始まる気配を、うまく受け取れない」
エルナは静かに聞いていた。
「お前と話すようになって、変わった」
「……どう変わりましたか」
「朝が来るのを、待つようになった」
エルナの胸の中で、何かが静かに動いた。
「詰所に向かう前に、遠回りをするようになった。夜会でお前の声が聞こえると、そちらへ向かっていた。お前が笑うと、目が離せなくなった」
一つひとつ、クロヴィスは言葉を置くように言った。
「お前の終わりが見えないということは」
「はい」
「お前が俺にとって、終わりではないということだ」
エルナは息を止めた。
「終わりではないということは」
クロヴィスがエルナを見た。
「始まりだ」
静寂が落ちた。
風が吹いて、また一枚、葉が落ちた。
エルナは、クロヴィスの輪郭を見た。
今日も、くっきりと鮮明だ。翳りの一片もない。そこだけ光が当たっているような、鮮明さだ。
「エルナ」
「はい」
「俺と、始まってほしい」
真っ直ぐな言葉だった。飾りがなく、回り道もなく、ただそのままの言葉だった。
エルナは少しだけ、目の奥が熱くなった。
泣くつもりはなかった。でも、こんなに真っ直ぐ言葉をもらったのは、前世も今世も、初めてだった。
「私も」
声が、少し震えた。
「私にも、クロヴィス様の終わりが見えません」
「ああ」
「最初から、ずっと見えなかった」
「知っている」
「それが不思議で、気になって、気がついたら……」
エルナは少し口を噤んだ。
言葉を続けようとしたら、目の端に涙が滲んだ。
「……前世でも、こんな人に会えなかった」
思わず口から出た言葉に、エルナ自身が驚いた。
クロヴィスが少し目を見開いた。
「前世でも」
「……はい」
「それはどういう意味だ」
「葬儀の仕事をしていた前世でも、人の終わりをずっと見てきました。それでも、自分の終わりがどこにあるのかは、わからなかった。終わりを見る人間は、自分の終わりだけは見えないので」
「そうか」
「でも今は」
エルナはクロヴィスをまっすぐ見た。
「あなたの隣にいると、終わりのことを考えなくて済みます。それが今世で初めてのことで、だから……」
言葉が続かなかった。
クロヴィスが一歩、近づいた。
「泣いているのか」
「……泣いていません」
「目が赤い」
「気のせいです」
「気のせいではない」
クロヴィスが、エルナの頬に手を添えた。大きくて、少し硬い手だった。でも、その温度が、じんわりとした。
「エルナ」
「はい」
「俺はお前の終わりも、ちゃんと見ていてやる」
「……それは、縁起でもないことを言わないでください」
「そうか? 俺はそう思っているが」
「言い方というものがあります」
クロヴィスが、小さく笑った。
初めて見た笑顔だった。唇の端が少し上がるだけの、静かな笑顔。でも確かに、笑っていた。
「……笑えるんですね」
「笑わないわけではない」
「あまり見せてくださらないので」
「お前の前だと、出てしまうらしい」
エルナは少し面映ゆかった。
「そうですか」
「ああ」
クロヴィスの手が、エルナの頬から離れた。
でも今度は、エルナの手を取った。指と指が絡まるように、しっかりと。
「改めて聞く」
「はい」
「俺と、始まってくれるか」
エルナは、クロヴィスの輪郭をもう一度見た。
くっきりと、鮮明だ。翳りの一片もない。
「……はい」
「返事が小さい」
「は、はい」
「もう一度」
「……意地悪ですね、クロヴィス様は」
「そうか?」
「そうです」
「だが、聞こえなかった」
エルナは少し笑った。
「……はい。喜んで」
クロヴィスが、繋いだ手に少しだけ力を込めた。
それだけだった。
言葉はそれ以上なかったが、それで十分だった。
庭に風が吹いて、紅葉が舞った。
少し離れたところで、ミラが両手で口を押さえてしゃがみ込んでいるのが見えた。
エルナはそちらを見ないようにした。
今だけは、この手の温かさだけを、感じていたかった。




