第12話「騎士団長が、私の屋敷の前に毎朝います」
最初は、偶然だと思っていた。
カインの送別から三日後の朝、エルナが窓から外を見ると、屋敷の門の前にクロヴィスが立っていた。制服姿で、馬を引いて、ただそこにいた。
「……なぜいるんだろう」
エルナが呟いたとき、ミラが覗き込んできた。
「あっ、騎士団長殿! なぜいらっしゃるんですか?」
「わからないから言っているの」
とりあえず玄関に出ると、クロヴィスが「詰所に向かう前に通りかかった」と言った。
「うちの屋敷は、詰所への道から外れていますが」
「少し遠回りした」
「なぜですか」
「……なんとなく」
エルナは少し考えた。
「そうですか」
それ以上聞くのはやめた。クロヴィスが「なんとなく」と言うときは、本人も理由を言葉にできていない場合が多いと、もうエルナには分かっていた。
その日はそれだけで、クロヴィスはすぐに詰所へ向かった。
翌日も、クロヴィスはいた。
「また通りかかったのですか」
「ああ」
「今日も遠回りですか」
「そうだ」
「……毎日遠回りするつもりですか」
クロヴィスが少し間を置いた。
「迷惑か」
エルナは正直に考えた。
迷惑か、と言われると、そうではない。むしろ、朝に門の前に立っているクロヴィスを見ると、なんとなく今日も始まる、という気持ちになる。
「迷惑では、ないですが」
「では、いい」
「よくない気もしますが」
「なぜだ」
「騎士団長が毎朝一般家庭の門前に立っていたら、近所の方が驚きます」
「もう驚いているか」
「昨日、向かいの家の奥様が三度見していました」
クロヴィスが少しだけ口の端を動かした。
「慣れる」
「慣れる問題ではないと思いますが」
それでもクロヴィスは翌日も来た。
四日目の朝、ミラが完全に騒ぎ出した。
「エルナ様、これはもう偶然じゃないですよ! 毎朝来てるんですよ! 騎士団長殿が! 毎朝!」
「わかってます」
「わかってるんですか!?」
「落ち着いて、ミラ」
「落ち着けません! これはどう考えても、エルナ様に会いに来てるんですよ! 護衛とかじゃなくて、ただ会いに来てるんです!」
エルナは窓の外を見た。今日も門前にクロヴィスがいる。馬の手綱を持って、空を見上げていた。
「……そうかもしれない」
「そうかもしれない、じゃなくて、絶対そうです! エルナ様、もう少し危機感を持ってください!」
「危機感?」
「好かれてるんです! 騎士団長に! もっと動揺してください!」
エルナは少し考えた。
動揺していないわけではなかった。クロヴィスが毎朝来るようになってから、朝が少し楽しみになっていた。それは確かだった。
「……ミラ」
「なんですか」
「クロヴィス様の輪郭、今日も鮮明だった」
「それがどうしたんですか」
「ずっと鮮明なの。翳りが一つもない。それって、どういうことだと思う?」
ミラがぽかんとした顔をした。
「……エルナ様が、大切だからじゃないですか?」
「そう思う?」
「思います。絶対そうです」
エルナは視線を窓の外に戻した。
クロヴィスが、ちょうどこちらを見上げた。目が合った。
クロヴィスが、ほんの少しだけ頷いた。
エルナも、小さく頷き返した。
「……エルナ様、顔が赤いです」
「気のせいよ」
「先週も同じこと言っていましたよね」
五日目の朝、エルナは玄関で待つのをやめた。
先に外に出て、門の前に立った。クロヴィスが馬を引いてやってくるのを、待った。
クロヴィスがエルナを見て、少し止まった。
「……今日は外にいるのか」
「せっかく来てくださるので、出てみました」
「そうか」
「コーヒーのかわりに、お茶しかありませんが、よかったら」
クロヴィスがまた少し止まった。
「……いただく」
即答だった。
応接室で向かい合ってお茶を飲みながら、エルナはクロヴィスに聞いた。
「毎朝来るのは、いつまで続きますか」
「お前が嫌だと言うまで」
「嫌ではないと言ったら?」
「では、続ける」
あっさりと言った。エルナは少し笑った。
「クロヴィス様は、時々ずるいですね」
「どこがだ」
「そういう言い方をするところが」
クロヴィスがカップを置いた。
「エルナ」
「はい」
「一つ、話したいことがある」
「……十話のときにも、そう言っていましたね」
「覚えているか」
「覚えています」
クロヴィスがエルナを見た。いつもより、少しだけ真剣な目だった。
「今日、言おうと思っていた。ただ」
「ただ?」
「もう少し、準備がいる」
エルナは少し首を傾げた。
「準備?」
「言葉の準備だ。俺は、こういうことを言い慣れていないので」
「こういうこと、とは」
クロヴィスが少し口ごもった。珍しかった。
「……大事なことを、人に伝えるのが、得意ではない」
エルナは少しだけ、胸が跳ねる感覚を覚えた。
「急がなくていいです」
「そうか」
「クロヴィス様のペースで構いません」
クロヴィスがエルナを見た。
「……待てるか」
「待てます」
「なぜ」
エルナは少し考えてから、正直に答えた。
「あなたの終わりが見えないから」
クロヴィスが、その言葉を受け取るように少し間を置いた。
「……そういう意味か」
「はい。終わりが見えない人を、急かす理由がありません」
クロヴィスが静かに頷いた。
それきり二人で、しばらく黙ってお茶を飲んだ。
沈黙が、少しも苦ではなかった。
窓から朝の光が差し込んでいる。庭の木が、風に揺れていた。
――この人の隣は、静かで、あたたかい。
エルナはそう思った。
そしてもう一つ。
終わりが見えない人の隣にいると、自分の終わりのことも、考えなくて済む気がした。




