第11話「騎士団長の副官が、本日付で故郷へ帰ります」
カイン・ロウェルが正式に辞表を出したのは、エルナが最初に翳りを見てから、ちょうど六週間後のことだった。
六ヶ月以内に辞める、という見立ては、だいぶ早まった。でも、それはよいことだとエルナは思った。心が決まったなら、早い方がいい。
送別の席は、詰所の食堂で、小さく行われた。団員たちが思い思いに言葉をかけ、カインは少し照れくさそうにしながら、それでも一人ひとりにきちんと頭を下げていた。
エルナも呼ばれていた。
席に着くと、カインが近づいてきた。
「来てくださったんですね」
「お声がけいただいたので」
「……クロヴィス団長から、呼んでほしいと言われました」
エルナは少し驚いた。
「クロヴィス様が?」
「はい。令嬢にも来てほしいと、珍しく自分から言いだして。団員たちが少し驚いていました」
カインがどこか楽しそうに言った。最初にエルナと廊下で話したときとは、顔つきが変わっていた。翳りは残っているが、もう決意の色だけだ。迷いがない。
「団長と、話しましたか」
「はい。令嬢と話した翌日に、声をかけました」
「どうでしたか」
「……二時間、付き合ってもらいました」
カインが苦笑した。
「母のことを全部話したら、団長は黙って聞いてくれて。最後に、『行ってこい』と言いました」
「行ってこい、と」
「それだけです。説得も引き止めもなかった。ただ、『行ってこい』と」
エルナは、その一言の重さを想像した。クロヴィスらしい言葉だ、と思った。余計なことを言わない。でも、必要なことだけは言う。
「よかったです」
「はい。……令嬢が背中を押してくれなければ、俺はずっと言えなかったと思います」
「私は何もしていません。カイン様が話したんです」
「令嬢がいたから話せました。それは本当のことです」
カインが、まっすぐエルナを見た。
「一つ、聞いていいですか」
「はい」
「あのとき令嬢は、俺の翳りが薄くなったと言っていましたが。今は、どう見えますか」
エルナはカインの輪郭を見た。
「……翳りは、もうほとんどありません」
「そうですか」
「決意の色だけが、あります。きれいな色です」
カインが少し目を細めた。
「きれいな色、か。……ありがとうございます」
「どうかお母様によろしく」
「はい。必ず」
食事が進むうち、席がざわざわと動いて、エルナの隣にいつの間にかクロヴィスが来ていた。
「来たか」
「呼んでくださったと聞きました」
「カインに言った」
「なぜ?」
クロヴィスが少し間を置いた。
「カインとお前は、何か話していただろう。だから、けじめに来てほしかった」
「けじめ」
「送り出す側に、いてほしかった」
エルナは少し黙った。
騎士団長が、令嬢に「送り出す側にいてほしかった」と言う。それがどういう意味を持つか、考え始めると少し胸が騒いだ。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ」
クロヴィスが前を向いた。
食堂の中央では、カインが若い団員たちに囲まれて、口々に声をかけられている。顔が少し赤いのは、酒のせいだろうか。それとも、照れているのか。
「カインが言っていた」
クロヴィスが静かに言った。
「令嬢と話してから、決意が固まったと」
「私はただ、クロヴィス様が向き合う気持ちのある方だとお伝えしただけです」
「それが、あいつには必要だったんだろう」
「……そうだったのかもしれません」
「お前は」
クロヴィスが少し声のトーンを落とした。
「人の背中を押すのが、うまいな」
「そうでしょうか」
「お前に話を聞いてもらうと、前に進める気がするんだろう。カインだけじゃない」
エルナは少し考えた。
「前世の仕事がそういうものだったので、癖になっているのかもしれません。人が次に進む手伝いをする、というのが」
「葬儀の」
「はい。終わりを整えることで、残された人が前に進めるように。そういう仕事でした」
「……なるほどな」
クロヴィスが静かに頷いた。
「お前の眼は、そういうところから来ているのかもしれない」
「どういう意味ですか」
「終わりと向き合い続けた人間だから、終わりが見える。そして、終わりを見るから、人を前に進めることができる」
エルナは少し驚いた。
自分でそう考えたことはなかった。でも、言われてみれば、そうかもしれない。
「……クロヴィス様は、たまにそういうことをおっしゃいますね」
「そういうこと、とは」
「私が考えていなかったことを、ずばりと」
「気に入らないか」
「いいえ」
エルナは正直に答えた。
「好きです、そういうところが」
言ってから、少しだけ口を噤んだ。
「好き」という言葉が、思ったより大きく空気に残った気がした。
クロヴィスが、エルナを見た。
何か言いかけて、止まる。
また言いかけて、また止まる。
「……覚えておく」
結局、そう言った。
エルナはそっと視線を食堂の中央に戻した。
カインが、団長に向かって深く頭を下げていた。クロヴィスが立ち上がり、カインの肩に一度だけ手を置いた。言葉は聞こえなかったが、カインの目が少し赤くなっていた。
ミラが隣でこっそり目を拭っていた。
エルナは、そういう景色を眺めながら、思った。
前世でも今世でも、人の終わりと向き合う場所にいる。
でも今日のこれは、終わりではない。
カインにとっても、この騎士団にとっても。
――そして、自分にとっても。
これはきっと、始まりの方に近い。




