深夜の退職
タイムカードを押してすぐに漫画喫茶に行った。
まずは退職金の確認だ。
やはり、不正が横行する会社らしい。思ったよりも少ない。
メールの文面には
「一般的にはノルマ連続達成のインセンティブとして上乗せする可能性もありますが、今回は期待しないでください」
と赤字で書いてあった。
いつも眠そうな顔をしているがさすがに頭が回る人間は仕事が早い。
共済退職金と合わせても不動産会社を設立するには足りない。そもそも、住宅ローンの繰り上げ返済をしてもローン残高は随分残る焼け石に水だ。
しかし、このまま疑いをかけられて懲戒免職となれば失業保険どころか退職金すら出ない。
そして、何も残らない。
ならば悔しいが、完全に容疑が確定する前に自主退職しかない。
確定というより容疑が既成事実となる前にだ。
一緒に送られてきた退職届の書式に記入し押印をした。
なぜ、私がこのような形を迎えるのか。口惜しさと怒りで何度破ろうと思ったか。
しかし、家庭と子供のためにも今は生きるだけ。
(まだ生きています)
好々爺に線香をあげながら思ったことが繰り返された。
悔しいながらそのまま会社に戻る。
総務、経理部は締め日の関係かまだ残業をしている。
日中のスタッフと目が合い小声で声をかけてくる。
「昼間の件ですか?」
「そうなんだけど、最短で処理できるかな?」
「私の一存では」
と後ろの総務部長に目をやる。丁度目が合う、顎で応接室に通される。
応接室は空調が切れていたせいかずいぶん寒かった。しかし企業の顔の応接室だけはある。無駄に金をかけている。
「待たせたね」
総務部長と日中のスタッフが一緒に入ってくる。
「すまん、事情は知っている。しかし、君を守れん。」
「知ってますよ、別にトップを狙っていたわけでもない、自分自身が誇れるように、壊れないように業務を行ってきただけです」
「本当にすまん、で私にできることは社内規定を法律に適応させてすぐに退職受理をすすめるだけだ。しかし、自主退職届だけでは少し弱い。ちょっと待っててくれないか」
そういうとスマートフォンを取り出しどこかに電話をかけだした。
「お世話になっております。ご無沙汰です。早速ですが例の件お願いできますか。・・・・はい、・・・・・そうです。致し方ないので、・・・・・・グレーなのは重々、はい、お願いします。」
電話を切ると、部長は財布を出して数枚の一万円札を机に置いた。
「足りないかもしれんからもっていけ、でもおつりは返してね。それと領収書も」
そしてもう一人に目配せをしてメモを受け取った。
「すまん、事情は把握している。ここに行って私の名前を出せば話は通る。それと今回は有給の残日数を特例で買取として処分する。私に出来ることはここまでだ。そして遅くなっても待っているから必ず今日中に戻ってこい」
そういうと応接室を出て行った。
「また今日も遅いの?」
子供が電話口で拗ねている、本当に申し訳ない。しかし、今日中に処理しないといけない。
詳しいことは話せない。
渡されたメモを開くと精神科の所在と電話番号、担当医師の名前、そして総務部長の名前が書かれていた。
精神科というにはずいぶん洒落た建物で、かつての閉鎖病棟の印象とはずいぶん違った。
もう、営業は終了していたようだが入口に一人立っている。
「遅くなり申し訳ございません。ここで合っていますか」
メモを立っている人に見せる
「意外に早かったね。じゃぁ早速始めよう。マイナンバーカード出して、」
事務スタッフにマイナンバーカードを渡す。
診察室に入るなり。簡単な質問を二つ三つ形式上投げかけられる。
「はい、これが診断書ね」
「はい?診断書って?」
「まぁ、気にしなさんな、お宅の部長とは学生時代からの悪友でね。あんなのでもなんだかんだ部下思いなんだよ」
意味が分からないまま清算をした、初めての精神科の診療報酬がこんなにも高いとは、手持ちでは全く足りなかった。
とりあえずATMに駆け込み不足分を引き出し、預かった金額に過不足がないようにして会社に戻った。
もうすっかり暗くなっている。事務所も完全に暗い、しかし部長の机だけはスタンドライトがついている。
裏口からノックをする
「お帰り、じぁあ診断書と、お釣りは?」
診断書の封筒と個人的に預かった金額をそのまま渡す。
「いいのか?私にできるせめてもの罪滅ぼしの金だったんだけど」
「いや、この件で部長個人が痛みを感じる必要はありません。何より有給の買取と即時退職の手続きだけでありがたいですし。でもこの診断書って何ですか?」
安心したのか自然と質問をしていた。
部長が言うにはこうだった。
法的には期限のない雇用契約は被用者の一方的な要求でいつでも解約できる。しかし、世の大半の企業は内部基準を優先適応して、内部基準だから退職一か月前でないと認めないなんてこともある。だから精神科の診断書を用意して職務に堪えない客観的理由を示すことで早急に退職手続きが可能になる。これは法律が優先される典型だよ。
考えてみたらいつも社章以外のバッチをつけている。せっかくなので
「そのバッチは何なんです?」
と聞いてみた
「社会保険労務士の徽章だよ。社会保険、労働関係のスペシャリストだよ。私もはみ出し者だけど、資格で今の地位にいるだけだ」
少し寂しそうな尚で説明した。
「それと、今のうちに君の机にあった個人的資料がこっち、会社のスマホに入っていたアドレスのデータがこのフラッシュメモリ。あとは明日以降に会社から貸与されている物は返しに来てね。君の場合は・・・・保険証だけか、事務所やデスクに個人の私物は?」
「特にありませんね、余計な裏工作もしていませんし」
今まで申し訳なさそうな部長が大きな声で笑った。
「それはいい、だからこそ君には期待していたけど、組織がこうではどうにもできん。本当に悪い」
いつもは眉間にしわを寄せてはいるが、一度個人的に飲みに行きたかったな。そう思いながらも深夜の事務所を後にした。
相変わらず月の光は強かったが今日は雲に隠れていた。




