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ネモの軌跡  作者: 桔梗
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宴の後

開票を目の当たりにした興奮のせいではない。

分かっていた。後には引けない歯車が、目に見えない速度で、しかし確実に回り始めていることを。


それを誤魔化すように、遅くまで酒をあおった。

嫌なことがあると酒に逃げる癖だけは、直さなければと思い続けている。


暖房を切った部屋は冷え切っていた。

手足の感覚が鈍くなるまで、グラスを傾け続ける。


時計は三時を指していた。


仮眠を取ろうと横になったが、眠りは浅い。

夜明けとともにベッドを出て、シャワーを浴び、始発のバスに乗った。


事務所近くの喫茶店。

新聞を広げ、紅茶をすする。


――やはり、昨夜の結果のままだ。

数字は変わらない。


さて、どうしたものか。


お調子者の言う“忘れ物”。

パンドラの中身。

おおよその見当はついている。だが確認したくない自分がいる。


普段なら七時間眠らなければ体調を崩す。

だが今日は、妙に頭が冴えていた。


いつもの時間に事務所へ入り、雑務を片付けていると、社長からメッセージが届いた。


――午後から来客を伴う打ち合わせがあります。昼食を兼ねて早めに出ましょう。


赤紙を受け取った兵の手記を、ふと思い出す。


……いよいよ来たか。

会議室で弁当を広げ、湯気の立つお茶をすする。


「悪いね、休憩中に」


「こちらこそ。珍しいなと」


入社以来、昼食や休日に立場として干渉しないことだけは暗黙の了解だった。

だからこそ、昼食と打ち合わせが同時に行われている意味は、十分に分かっていた。


会議室の隅に積まれた資料。

おにぎりを齧りながら、斜め読みで目を通す。


……やはりそうか。


結果から見れば不可解な部分は多い。

だが地方自治法、行政手続法、条例――どこを辿っても違法は見当たらない。

感心するほど、よく出来たスキームだ。


お調子者の言った「パンドラ」や「忘れ物」とは、このことか。

憶測に過ぎなかったものが、確信に変わる。


「社長、この件……」


お茶で流し込みながら、社長が応じる。


「そうなんだよね。いよいよ例の件かな」


「調査部の分社化……」


軽く頷き、アタッシュケースを机に置く。鍵を開け、ガゼット封筒を取り出す。顧問司法書士事務所の判が押されている。


「定款と発起設立関係の書類ですか?」


「そう。大枠は出来ている。あとは発起人の出資と、設立時取締役、代表の選任だ」


「……勘違いなら申し訳ないのですが、私が?」


「そのつもりです」


「出資金額はありませんよ」


珍しく、社長が大きく笑う。

もう一枚の書類を取り出す。


概算退職金計算書。

金額は八百万円。


「これとは別に、あなたには少し“ミス”をしてもらいたい」


「ミス?」


「単純で、大したことではない。ただ――」


声を落とす。


退職金は一時所得になる。課税対象だ。

設立初年度の費用と運転資金が厳しい翌年に、税負担が重なる。


ならば、単純な業務上のミスを過大に処理し、退職に追い込まれた形を作る。

それによる損害賠償金を、今年の年俸相当額として別途支払う。


退職金は設立費用へ。

賠償金は当面の生活費へ。


合理的ではある。


「その場合、税務上の問題が会社に生じます」


「そこは心配いらない。あなたが思う以上に、私はタヌキだ」


破格の条件だ。

倫理の角度を除けば。


「受けるつもりです。ただ、木曜までに家族に話をします。時間をいただけますか」


「もちろんだ」


それ以上は何も言わず、午後の来客に向けた書類確認を淡々と進めた。

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