霧中
山を歩いていると霧に惑わされる。
だが本当に危険なのは、一時的に晴れた霧を「安全」だと誤認することなのだろう。
そのときは霧が少し晴れたという事実しか理解していなかった。
「おはようございます。昨夜はご馳走様でした。」
残務を片付けて落ち着いたタイミングで社長に声をかけた。
「少し、心配しましたがね。たまには深酒で休んでもよいかな?とは思っていたのですが」
「今はスッキリしていますよ。ありがとうございます。」
「そうですか?しかし霧が晴れたときほど慎重に」
「わかりました」
このところの調査案件では妙な案件が増えてはいる。
高齢者が所有不動産を売却してからの生命保険加入、珍しくはない話ではある。
だが、資料を閉じても指先にざらつきが残るような、妙な感触があった。
「よろしいでしょうか?」
外回りから戻りコーヒーを飲んでいる社長に声をかけた。
「この資料なのですが」
ここ数ヶ月の調査部門ファイルの一角を指差す。
「どうかしました?」
「実は、担当者は別々なのですが、契約内容は同じなのですよ」
「不思議ではないですよね。あなたが得意としていた不動産相続を回避するスキームでは?」
「おっしゃる通りなのですが」
「気持ちが悪い、と?」
「申し訳ありません、言葉にはできないのですが気持ち悪いのですよ」
「なるほどね」
そう言うと社長は何処かに電話をかけた。
「ご無沙汰しています。最近の査定案件で分かる範囲で、、、はい、、、分かりました。では向かわせますね」
電話を切ると少し眉間にしわを寄せた顔をして指示を出した。
「悪いけど暫く残業になるかもしれない、早速例のお調子者の先生の所に行ってきてくれないかな?」
20時バスを乗り継ぎ分譲住宅地に到着する。相変わらず事務所の面影が一切ない事務所ではあったが、それ以上に今日はまた一段と乱雑だった。
「狭くて汚くて悪いね」
否定のしようがないほど書籍が山積みになっていた。
ブルーマップ、公示情報、業界紙のスクラップブック
副業行政書士だからこそ、あまり物をため込まないはずだ。
そのお調子者にしては、明らかに様子が違っていた。
「社長から聞いていたけど、君も気がついたのか?少し遅い気もしたけど」
「あんたはいつから気がついていたの?」
「怪しいと思ったのは3カ月前かな?」
「きっかけは?」
「同じ、君は保険契約に先立って調査をするでしょ?私は更に前の段階で軽い相談を受けることがある」
「つまり、遺言サポート?」
「少し違うかな?自筆遺言や秘密遺言なんてトラブルにしかならない、私は公正証書を勧めてる、その段階で事前財産調査が必要になる」
「事前財産調査だと何があるの?」
「相続の3カ月ルールは知っているよね?」
確かに相談は知った日から3カ月を熟慮期間としてそれまでに放棄か限定承認をしないと問答無用で通常の相続になってしまう。
「今日来たのは、、、」
「多分同じ違和感だよね。同じ地域に集中してやたら農地の放棄の相談に対して間を置かず、買い手が簡単に見つかる」
「そうなんだよ、しかも」
「承継耕作者にやたらと同一の姓や法人がからんでる?」
「あたり」
「やっぱりね」
そう言うと公共工事の測量予定公告と書かれたスクラップブックを引きずり出した。同時に山積みされたスポーツ新聞が倒れた。 忌々しそうに舌打ちをしながらお調子者はスクラップブックを開いた。
「開発計画はないし、完璧な農業推進地区、しかしインフラ整備を目的とした測量と推察されるものだけは公告予定に入っている」
確かに、公共工事関係を把握していればすぐに分かる内容だ。
「確かに不可解だよね」
「承継耕作者の姓が同じ、同一法人が耕作者になる。不思議ではない、しかし」
そう言うと登記簿ファイルを引きずり出した。
「この法人は隣の市が本社だ」
「それが?」
登記簿ファイルを開くと名前と番地が黒塗りのファイルが出てきた。
「不思議じゃないかな?この会社、近隣に住んでいる従業員がいない、正社員はいないんだよ。しかし業務委託やアルバイトについては一年前から募集を出していた」
違和感そのものと何かがあることは漠然とは感じていた。しかしその確信だけは見えては消えていく。
「不信感や違和感は分かる。しかし少なくとも違法性もないからね」
崩れたスポーツ新聞を片付けながらお調子者は笑った。
、、、リーグに必要なアリーナの条件
新聞一面下の解説に目が止まった。
「あのさ、対象周辺の地図ないかな?」
「あるけど、どうした?」
引きずり出された地図と不可解な地番を照らし合わせる。
「悪いけど、面積合計だけ計算してもらえないかな?」
お調子者も何かを感じたようで黙って頷き、すぐに集計を始めた。
電卓を叩く音だけが部屋に残る。
紙と紙が擦れる音、遠くで救急車のサイレンだけはかすかに聞こえる
しばらくして。
「……ほぼ一致するな」
「何が?」
「基準面積だよ。観客動線込みで最低限必要とされる数字」
そういうと数式と計算の書かれた紙を見せながら続けた。
「笑えるだろ。農地法、都市計画法、どれも単体じゃ何も起きてない。
でも全部を重ねると……」
「確かに、条件自体は気味が悪いくらい近い数字になっている。」
お互いそうは言ったもののアリーナ事業の計画地と今回の地点が公表情報と違うことからこれ以上は何も言えないことは十分理解していた。
静かな部屋の中でまた積み上げていた資料が崩れる音で現実に戻された。
「お互い、情報があったら都度共有しよう」
それだけ言うと帰路についた。




