魔王
教授に続いて繁華街を歩く。
明かりのある虚構を抜け、路地裏に入った。
虚構の明るさより、こちらの静けさと暗さのほうが誠実に思えた。
「ここです。」
扉を押して中に入る。
カウンターとピアノだけのずいぶん寂しい店だった。
「この近辺だと、実はここしかなくて」
そういうとカウンターに三人並んで座った。
「私はグラッパのハイボールで」
グラッパ・・ワインの搾りかすのブランデーということだけは知っていたが飲んだことはなかった。興味があり
「私も・・」
「いや君はダメだな、今日はブールヴァルディエで」
流石に聞いたことがなかったがバーテンダーは含みのある笑顔で
「それを、二つでよろしいですか?」
と返した。
「何か言いたそうだけど、今日のオーダーはこれしかないよ」
含みのある笑顔でお調子者に返された。
各々にグラスが届いたところで
「改めておめでとうございます。」
教授がグラスを差し出してきた。
グラスに口を近づけるとカンパリの甘い香りがして、しかしずいぶん苦い。
不思議な感覚に戸惑っていると教授が話し始めた。
「父の跡を継いでやってきましたが、なんだか空しいんです。」
「そうかな?私みたいにゼロからだと中々専業一本になるまで踏ん切りがつかないからベースはベースで羨ましいけど」
お調子者が不思議そうな顔で返す。
「分かりますよ。確かに私は恵まれています。スタートアップの地獄も、資金繰りも経験はしていない。これは感情論ではないのですが」
そういって一口飲むと続けた。
「たまにですが、自分自身の力で始めていく人たちを羨ましく、妬ましく思うのです。私はいつまでたっても父の亡霊に追われています。健在な頃によく言われました。いつまで書生の気分でいるんだ、とね」
そういって煙草を取り出すと火をつけた。
お調子者は煙に目をしかめながらも笑って聞いていた。
「たしかに、ほかの生き方をする選択肢はありました。しかし、父の生きた軌跡は遺していきたい、しかし父には染まりたくない。金には困らない、しかし何物にもなれない」
「ならなくてもいいんじゃないですか?」
口を挟んでいた。
恨みや殺意、それ以外にも喜びやら様々な感情はあったのは事実だ。しかし時間がたてばそれはだんだん溶けていく。虚構に過ぎないのではないのか?おそらく教授も父に対して、恨みや殺意、喜びまで、様々な感情があったのは事実なのだろう。あの好々爺に対して
いつの間にかBGMがジャズからオペラに変わっていた。
魔王・・・そうか、魔王。
そうか、教授にとって父親とは、そういう存在なのか。
「ならなくてもいい、ね」
グラスの氷が音を立てた
「ならなくてもいい、なれない、ならない選択肢をした、そのどれもが似ていて、違っているんですけどね」
優しく微笑む教授がそこにいた。
なるほど、グラッパを好むのはこういうことか、表面では成功者かもしれないが、自分自身が搾りかすと否定を続けた数年だったのか。その笑みの深さに何となく気が付いた。
「しかし、折角のご縁ですし、面白い再会です。今後は不動産、法律、保険で関係することも多いでしょう。近いうちに遊びに行きますよ」
静かに夜は更け、そして解散した。




