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ネモの軌跡  作者: 桔梗
13/23

契約、合格

「とりあえず、お疲れさまでした」

16時契約の処理が完了した事務所で社長から声を掛けられる。

「ありがとうございます、それとよろしいでしょうか?」

「何のこと?あのお調子者?」

「それもありますが・・・」

そう、いいながらフラッシュメモリを机の上に置く

「それは?」

「私の前職退職経緯はご存じでしょうが・・・・」

「知ってはいるけど、それがこれとどう関係があるの?」

退職に至り、当時使っていた携帯電話の電話番号、個人担当の顧客リストであることを説明した。

「使い方次第ですね・・・使いようによっては有益ですし、自爆装置にもなる」

「どうしましょう」

机の上のチョコレートを口に含みながら社長が目を閉じる。

「こうしましょう、当面の午前は私が面倒を見ます。午後からはあいさつを兼ねて訪問をしてきてください。あくまで転職のご挨拶として」

「わかりました」

翌日から用務のせわしなさが一気に進んだ。覚えること、あいさつ回り。

年が明け、梅が咲くころにはちらほらとかつての顧客から相談も増え始めてきた。



桜が咲く時期になってきた。新学期のための家の片づけを行っている年末に購入した行政書士試験の問題集と教科書が出てきた。

あのお調子者は元気だろうか?

ふとそのようなことを思いながら今を考える。

転職して数か月は慌ただしく、覚えることばかりだった。契約が取れない月はどうなるんだろう?などと不安に押しつぶされてきた。

しかし、いまはかつての顧客からの紹介で毎月何かしらの契約や更新が続いている。

特に最近多いのは賃貸物件を手放したい、相続に不動産を切り離したいといった相談が多くを占めるようになってきた。

現金は相続させたい、しかしいつか建て替えが必要で、ローンも残っている不動産といった負担はさせたくない。賃貸マンション建設に力を注いでいたかつての自分自身を否定する現実にずいぶん悩みもした。しかし、現実だけに目を向けると不動産は必ずしも財産とは言えないのではないか?ここで損切りをするほうが正しいのではないだろうか?

その様な自問と矛盾を切り離す手段としてお調子者を見習い受験を決意することにした。


「久しぶり、元気?」

「あぁ、元気ではあるけどやる気はないね。どうしたの?」

「行政書士、受けようと思って」

「もう、4月だよ。正直今年はきついんじゃない?」

「そうなのかな?」

「やってみたら?できないとは言えないけど、絶対できるとも言えない」

「わかった、やるだけやってみる。いつかの喫茶店で見かけたら声をかけてね。ところでそっちは?」

「試験のこと?」

「そう、」

「今はまだ行政法で躓いてる、来月から商法、会社法、一般知識。梅雨明けから総合学習になるよ」

「ごめん、ずいぶんなめてた」

「知らなきゃね、そうだよ。で何で受験しようと?」

最近の不動産相続回避についての疑問をぶつけてみた。お調子者は静かに聞きながら。

「君はすごいな。純粋に尊敬する」

「何を?」

「簡単な話、君自身が正義として進めてきたことを今は否定している。普通の人にはできない」

「普通じゃないってこと?」

「そうじゃない、自分自身の正義やらを否定することは一度死んでやり直さないとできないんだよ。それには膨大なエネルギーがいるからね」

なるほど、流石だな。そう感じ話を終えた。


やはり、時間が足りなかったのだろう。気が付けば11月、試験には落ちた。間違いない。自己採点でも結果は一目瞭然だった。それでも保険と過去の自分の否定を行いつつ翌年を目指した。


文化の日、久しぶりの休日を家族で買い物に出かけた。

子供の服もずいぶん大きくなっている。

ショッピングモールの喫茶コーナー、見た影がある。お調子者だ。

「久しぶり、そっちも家族で買い物?」

「一年間、家族サービスを放置してきたからね、流石に試験後は家族サービスの日々だよ」

「どうだったの?試験」

そう聞くとさすがに白髪が目立ち始めた髪を搔きながら答えた。

「超微妙・・・法令124点、一般知識44点・・あとは記述だけ。まぁ神のみが知るってとこかな?」

余裕そうな言い方にも焦りが隠せていなかった。

「で、君は?」

「私は法令116点 一般知識36点、足切りだよ」

「なるほどね、それにしても半年でそれなら十分だけど、ここからが怖いからね。続けるの?」

「続けるつもり、あんたは?」

「だめならあきらめるしかないかな?正直、試験後から一気に老眼が進んでね」

皮肉めいた笑みを浮かべる。

幸いまだ老眼ではないが、あのお調子者がそこまで悲観的になるのは相当、深刻なのだろう。

意思やモチベーションは維持できたとしても肉体の衰えだけはどうにもできない。

それだけは何となく感じていた。


正月早々、社長に呼び出された。

「悪いんだけど、うちも新規事業で調査部門を始めようと思うんだ。で君にやってもらいたいんだけど?」

「何でですか?成績だって悪いわけじゃない。それにベテランスタッフだっていますよ?」

理解できず思った通り返してしまった。

「しかし、内部を見ても超現実主義者は君以外いないんだよ。正直、事故案件も不動産の相続回避スキームの生命保険勧誘もバックオフィスが機能すると拡大できると思う。」

「やってみます。」

そうはいったもののかつてトカゲの尻尾として切り離された記憶が思い起こされるだけでしかなかった。

成人式も終わり、年始挨拶も一区切りついたところでお調子者から電話があった。

「今日、飲みに行くよ。おごりだ。」

「また急に?どうしたの?」

「まぁいいからさ。あとお宅の社長もつれてきて。場所はそうだな、お宅の会社の最寄り駅の中華料理屋で」

なんだか声が弾んでいる。いいことがあったことだけは理解できるが。一体何があったのだろう。

とりあえず、定時で切り上げ指定の中華料理店に向かう、社長は何かを知っているようだったが無言で会場に向かう。

店に入ると餃子と春巻きをつまみに紹興酒ですっかり出来上がっているお調子者がいた。

「来たな~、まぁちこうよれ~」

いつもの得体のしれない不気味さは一切ない、ただの上機嫌な中年の酔っぱらいだった。

「とりあえず、何か飲みましょう」

社長に顔を合わせてビールを瓶で注文する。

「乾杯」

グラスが当たる音が三人しか客がいない店に静かに響く。

「で、急に驕りで飲みに行こうなんて、どうしたの?」

質問に被せるように社長が口を開く

「ダメだったのか?」

ニヤリとしながら、しかしその答えが違うことを確信した話しぶりだった。

「そうそう」

そう言いながらお調子者はところどころ黒ずんで、セロテープで張りなおした葉書を机に置き、スマートフォンを開く、

・・・そうか、今日が合格発表だったか

そう思いながらディスプレイに食い入る。少なくとも私の番号はなかった。

・・・・やまりか、奇跡は起きなかったな。軽く落胆していると

「目に入らぬか~この番号だ~」

と葉書の番号と合格番号を復唱して見せた。そこには確かにお講師者の受験番号があった。

「やったよ、本当に」

酔いがさめたのかぽつぽつと語りだした。

「すべてを失う覚悟で受験してきたからね、来週登録の手続きを行ってくる。」

酔っていて呂律が回ってはいなかったがずいぶん喜んでいることはわかった。

「残念、保険の切り替えあてにしていたのにな?」

社長も嬉しそうに冗談を言っている。

それだけ厳しい戦いだったのだろう。

一年強にわたる戦いを三人で心から祝いつつ夜は更けていった。


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