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ネモの軌跡  作者: 桔梗
12/23

代理店初日

初出勤の日、なるべく目立たず、安くはないがノリだけは効いた服で向かう。

「おはよう、ございます」

「あら、早いですね。三十分も早いですよ」

「こんなものでは」


社長は少し困ったような顔をしながら穏やかに続けた。

「確かに、個人プレイが保険業界です。しかしせめて始業15分前からにしてください。あまり早く来られても困りますからね」


頭では理解しようとするが、胸の奥に小さな違和感がざわつく。

「意味が、分かりかねます」


苦笑いしながら社長は説明を続けた。

「早く来る人がいると、悪い意味で周りが巻き、困るようになります。よかれと思っていても周囲に押し付けるようになる。それだけならまだしも、その良かれが不平不満や不公平感に転嫁されるまでに大して時間は要らないのですよ」


鼓動が少し早まる。なるほど、と頭では納得するものの、体はまだ微かに緊張を解けないでいる。

「保険はお客様の人生と時間を金銭対価で守る仕事です。自分の時間を大切にしないとお客様の時間も大切に出来ませんよ。あなたには最低限の素養はあるのですから」


肩を叩かれ、思わず一歩踏み出す。納得の余韻とともに、まだ小さな不安が心の片隅で残る。

始業時間5分前前後、他の社員も出勤し始めた。軽く肩の力を抜きつつも、出勤する同僚となるで、あろうスタッフは門をくぐった瞬間戦闘態勢に入っている。彼らとの決定的な違いを認めるしかなかった。


簡単な自己紹介の後早速呼び出された

「今日の13時15分来客があるから同席すように」

「分かりました」

「それと、今からソフトの基本操作を教えるから、それを使って見積書と提案書を作ってみてください?」

「条件は?」

「さすがに理解しているね、じゃぁ条件について知りたいところは」

「年齢、職業、可能であれば年収、家族構成を仮にでも知っておきたいです。できるならば既往歴も」

目を細めながら頷かれた。

「やはり、社会人経験以上に最低限のセンスはあるみたいですね。」

そういうと個人情報だけが黒塗りの書類を渡された。

「今9時30分です。ソフトの説明に一時間、午前中は付ききりで教えるつもりです。万が一席を外していた場合は。わからないところを飛ばして進めてください。」

実際にソフトを使ってみたところ拍子抜けするくらい単純ではあった。

1時間程度の簡単な説明で大体の使い方は理解できた。

与えられたを見ているとお調子者の顔が浮かんできた。

「最初の客になってあげるよ」

言葉だけは浮かんできたが、それ以上に彼の人生を預かる覚悟を見積書と提案書に入れ込んでみた。

(少し月々の負担が大きいかもしれないな、しかし多分投資のような不確実性のあるものよりは大分ましだ)

そう思い、完成させ時間を見ると11時だった。

「できましたよ」

「ほう、どうでしたか」

能面のような笑顔でディスプレイをのぞき込む。

「悪くないですね、一般の積み立てを圧迫する可能性がありますが、なぜこのプランに?」

「積み立てや投資なんかは保証ができません、ならば生活への負担を最小限にしたこの計画ではないかと」

「素晴らしい、やはりあなたを採用してよかった。では黒塗りの個人情報の部分を渡しますので入力してプリントしておいてください。午前中に可能ですか?」

「大丈夫です」

そういって個人情報を確認すると例のお調子者だった。

とりあえず、個人情報を入力して誤字がないかを再三確認する。

(完全に手の打ちだな・・・)

少し苦笑いをしながら11時40分には確認した資料を再確認に回す。

なめまわすように確認をされた後に

「良いでしょう、では」

と担当社員の隣に判を押された。

「担当者はあなたです。お客様からはあなたでないと契約しないと念を押されています。それでは13時15分に応接室で契約に進みましょう。」

「わかりました、しかし契約成立までは気が抜けませんね」

「それでよいのですよ、では・・」

壁掛け時計に目を移して続ける

「丁度昼になりましたね、食事に行ってきたらいかがですか」

「行ってきます。」

そういうと、近くの公園に向かい持参したおにぎりとお茶で軽く昼食を済ませた。

そういえば、電話帳リストにまた挨拶をしていないことを思い出した。

お調子者の案件が終わったら相談してみよう。

そう思い、背伸びをして砂場で遊ぶ親子連れを眺め時間をつぶした。

少し前に事務所に戻るとどこかで見た影があった。

「どうですか?新しい環境は?」

いつもの明るいが含みのある声に振り向くと、お調子者が紙袋を持っていた。

「どうもこうも、知らない業界だからね。当面は学ぶことだらけじゃないかな?」

「人間いつまでも学ぶことを忘れてはいけませんな」

相変わらず馬鹿にした話しぶりだが、先週末にあった時よりもすこし老け込んでいた。

「大丈夫?ずいぶん疲れているみたいだけど」

「君ほどではないかな?まぁ資金装置に徹するなんて、カッコつけてもそこまで冷酷にはなれないからね」

自嘲義気に笑った。

時計を見ると12時59分だった。

「少し待っていて」

表を開けて準備をする。お茶と資料を用意した。

「いらっしゃいました」

と報告をする。

「まったくあいつは、いつも少し早いんだよね。まぁいいけど」

社長らしくない言葉を使いながら、それでもニヤニヤしている。

ぶつぶつと言いながらも応接室に入りが始まった。


「まぁ堅苦しい挨拶名無しにしましょう。」

いきなりお調子者の先制パンチが入った。

「お前さんはいつもそうだね」

社長ですらニヤリとしながらそう返している。

(相変わらず、そこが知れない不気味さがあるな)

そう感じながらも椅子に座った。

簡単に説明を終えると、

「わかったよ、で契約はどうやって進める?判もあるし、すぐ進めよう」

あっさり決まった。

「社長、少しよろしいですか?」

社長を制しつつ、商品のデメリット、メリットを伝える。

「あぁ分かっているよ。正直、一般投資なんて興味ないし。いままでどれだけ投資でチリ紙を量産してきたと思ってるの」

笑いながらお調子者が返してくる。

「何より、途中で死んでも途中で大病で入院しても私の価値、ただし、長生きしすぎると負ける。それだけでしょ?何より最悪勝負を途中で降りても無一文にならないプランだし」

「正直、その通りですが」

「大丈夫、あんたが務めたいる間は解約しないから」

お調子者の発言に社長は

「相変わらず、嫌味なほど理解してるね。さすがだね」

「ほめても。お茶しか出ないよ。はい、入社祝いの紅茶詰め合わせ」

と紙袋を渡してきた。

「ありがとう、じゃぁ早速契約の準備をするね」

そういって、契約手続きのタブレット操作の指導を受けながら契約を結んだ。

「あと、契約に条件があるんだけど」

「何?」

「簡単だよ、来年の試験、落ちたら容赦なくけなすこと」

「落ちるんかい!」

流石に突っ込みを隠せなかった。

同時に社長が

「あれは、落とすための試験だからね。わかった、落ちたら散々けなした挙句にほかの保険もうちに切り替えで」

「オッケーです」

そういうと、相も変わらない笑みで事務所を後にした。


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