第一章29 蛇闘編『ヨルアスの決心』
メリアは、母と父と自分と姉が写った写真を眺めていた。その写真の中の皆は、笑っている。
メリアは台所にいる母を見た。
目は虚ろで、目の下にはクマができていた。昨日から一睡もしていないのだろう。
姉はあの日から一度も部屋から出ていなかった。
メリアは眠ろうとしても眠れなかった。父の死を聞かされた後、父の無惨な遺体を見てしまったからだ。
その記憶が脳裏で反復し、忘れようとしても思い出されてしまう。
「そういえば……第一騎士団は誰かに襲撃されたって言ってたっけ。ははっ……そうだよ……そうだ。お父さんをあんな目に合わせた人も同じ目に合わせてやらないと……そうすれば、私は……」
メリアは机の上に置かれたクマのぬいぐるみを見た。
「クマさん……ヨルアスがくれたもの……私、何考えてるんだろう……前向かなきゃ……私らしくないよね……」
メリアはベッドに腰かけ、そのまま横になり、目を閉じた。眠れるように――と。
◇◇◇◇◇
ヨルアスは窓から星々を眺め、今日のことを思い返して後悔した。メリアにとって必要な言葉を言えなかった自分に対して。
「俺は何を……しているんだよ……」
ヨルアスはベッドに寝そべった。
「俺が彼女に対して、できることは何だ」
思考を巡らせても答えは出ない。解決にならない。
「今日は……いい。明日考えよう。疲れた」
瞼を閉じ、数十分が過ぎた。ふと目を開ける。
「眠れねぇ……少し暗いけど、散歩するか」
ヨルアスは、時々眠れない夜に周りを散歩することで心を落ち着けていた。これは彼が眠るための一種の対策だ。
玄関で靴を履き、ドアを開けると、庭のコスモスの匂いがふんわり鼻をついた。
(足が重く感じる……)
普段より足がやけに重く感じた。
「少し寒いな……」
周囲に明かりはなく、代わりに空の星々の光が街を静かに照らしている。ヨルアスは星を見上げ、囁いた。
「綺麗だな」
そのとき、胸の中で何か決意が固まった。
「俺は……メリアが好きだ。好きな人の心が壊れそうなとき、慰めたり憐れんだりするだけじゃダメだ……支えるんだ。俺が支えるんだ。俺がメリアにもらった笑顔の分、今度は俺がメリアを笑顔にしないと――」
先ほどより足取りは軽く、家路についた。その軽やかな足取りが、ヨルアスの覚悟の大きさを表していた。メリアを支えるのだ、という覚悟を――
◇◇◇◇◇
王都地下水路にて、グレイヴェンと白髪の男が会合していた。
「グレイヴェン様の尽力により、目標人数に後少しで届きます。ありがとうございます」
「痛ってテ……」
グレイヴェンは右腕を押さえながら呟いた。右腕からは少量の血が滲んでいる。
「グレイヴェン様……! 今、治癒魔術を――」
白髪の男は治癒魔術を詠唱しようと試みるが、それをグレイヴェンは制止した。
「いやいヤ……大丈夫、大丈夫サ。自分で治せるから、君がわざわざ、私のために魔力を消費しようとする必要はないヨ」
グレイヴェンはそう言うと、自らに無詠唱で治癒魔術を掛け、グレイヴェンの右腕の傷は瞬く間に完治した。グレイヴェンは右腕の具合を確認した後、突然、右腕を勢いよく振り回した。
「グレイヴェン……様?」
「気にしないでくレ……これは私の癖みたいなものサ。で、後少しらしいじゃないカ。どうだイ? 計画の調子ハ」
「はい。後十名程度で儀式の準備の前段階が整います」
「良いネ」
「グレイヴェン様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか……?」
白髪の男はグレイヴェンに恐る恐る問うた。
「なんだイ?」
「先程の傷、あなた様とあろうお方が傷を負うとは……それほどの強敵が第一騎士団に……?」
「まぁ、手強いやつが一人いたネ。薄紫色の髪をした男だっタ。娘が二人いるんだ。だから、帰らなければならないとか話していたけど、鬱陶しかったから殺したヨ。さっきのはそのときに貰った傷サ」
「なるほど……」
「とりあえず君らは、計画の遂行を引き続き頼むヨ」
白髪の男は頷くとその場を離れ、その後、グレイヴェンは周囲を見渡して呟いた。
「誰だイ」
グレイヴェンのその声には薄気味悪さが含まれている。その声に反応し、物陰から薄紫の髪に藍色の瞳をした少女が姿を現す。
その少女はアロメだった。
「お前が、殺した……ワタシの父を――」
「お嬢ちゃン。迷子かイ……? まぁ、茶番は置いといて、父……! あぁ、君はあの男の娘かナ? そういえば、何て言ってたっけナ……えーっと……あ、そうそう、最後死ぬときにアロメ、メリア……ごめんなぁって言ってたナ。君はアロメ、メリアどちらかナ?」
グレイヴェンはアロメに対し、小馬鹿にするような表情を向けた。
「……クズが……!」
アロメは怒りを露わにし、攻撃を仕掛けた。
「かのものに風の渦を――」
「渦風」
グレイヴェンの周囲に渦状の風が生まれ、その風はグレイヴェンに近づけば近づくほど威力を増していく。
グレイヴェンは食らう寸前、防御魔術を展開した。アロメの風の魔術は防御魔術に阻まれ、グレイヴェンに一切の攻撃を与えることができない。
「チッ……無詠唱魔術かっ!」
「御名答……終わりだヨ」
やがて、風の渦は霧散して消え、その刹那、グレイヴェンはアロメとの間合いを一瞬で縮め、アロメに魔力を込めた渾身の拳を打ち込んだ。
その一撃はアロメの内臓に多大なダメージを与え、アロメはその場に倒れ込み、吐血した。
「かヒュっ……」
「君、実力的には上級魔術師程度はあるだろうけど、相手が悪かったネ。私は王級魔術師……それくらいの実力を持っているんダ。それくらいって言うのは、私がまぁ影の存在だから、正確な称号というものを持っていないからだヨ」
「何をっ! ペラペラとぉ゛……! ぐっ……!」
グレイヴェンはアロメの頭を踏み付け言い放つ。
「愚かだネ。少しゾクゾクしてきたヨ。一つ聞こうかナ。どうやってここを突き止めたんだイ? 外部に情報が漏れないように徹底的に管理していたはずダ。答えないならここで君の頭を踏み潰すヨ」
グレイヴェンは冷酷に、そして、冷静に聞く。それにメリアは嘲笑うかのように答える。
「徹底的に……? ははっ……笑わせないでよ。ワタシはただ、黒ローブのやつの後ろをついてきただけよ。何も特殊なことはしてないわ。気の毒ねっ、ワタシ程度の人間に後をつかれる部下を持ったこと……本当に気の毒だわ」
「はぁ……そうだネ。やはり過度に動きすぎたカ。一応聞くけど……外の人間に君は言ったのかナ?」
「ははははっ……! ばぁーかっ……! もう伝えたわ」
「面倒なことヲ……はぁ、君には死の罰だけじゃ甘すぎル」
グレイヴェンの影から、グレイヴェンは合図を送った。数秒後、影から鹿の頭蓋骨を模した頭部、黒い霧に渦巻く胴体を持つモノが現れた。
「蛇黒、こいつを連れて行ケ。あぁもちろんだけど、生け贄どもがいる牢屋じゃない別の牢屋だからネ」
蛇黒はアロメを浮かせ、霧のように消えていった。グレイヴェンはその様子を見届けるとその場を去り、残されたのは魔術の痕跡だけだった。




