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第一章27 蛇闘編『禁書』


 ヨルアスは魔術訓練場での練習を終えると、そのまま訓練校に併設された図書館へと足を運んだ。朝に図書館へ立ち寄るのは彼の日課になっていた。

 理由は明白だ。この図書館には禁忌とされる魔術を書き残した魔導書があると噂されている。そんな噂を知れば、ヨルアスが放っておくはずがなかった。


 図書館はいつも人が少ない。広い室内は静まり返り、壁沿いにずらりと本棚が並ぶ。木の机は十二台、椅子は四十八脚――一つの机に四脚が割り当てられていた。ところどころの机には本が山積みになり、古い紙の匂いと埃の香りが薄く漂っている。


 そのうちの一台を覗くと、見慣れた顔があるように見えた。


「ん……! メリア?」


 思わず声をあげたヨルアス。

 だが、そこにいるのはメリアではなかった。髪色も顔立ちもメリアに酷似しているが、瞳の色と髪型が違う。どことなく大人びた雰囲気が漂っている。 ヨルアスがどれだけ考えても答えは出なかった。


「とりあえず、話しかけてみるか」


 声をかけても最初は反応がなく、ページをめくる手だけが淡々と動く。二度三度声を掛け、向かい合って同じ机に座ると、ようやく彼女はページを止めて顔を上げた。


「アナタ……誰?」


 不愉快そうに言い放たれ、ヨルアスは慌てて謝る。


「あ、ああ……ごめん。読書の邪魔だったかな」


 表情は少し和らいだ。やはり顔立ちはメリアに似ている。


「いや、構わないわ。アナタ、名前は?」


「ヨルアスだよ。ヨルアス・ゼン・フルガ。君は?」


「ワタシはアロメ、アロメ・カルロメア」


 アロメの姓を聞いて、ヨルアスの胸にどこかで聞いた断片がひっかかる。


「君、メリアの知り合いか何か? よく似てるから気になって」


「あのコを知ってるわ。ワタシはあのコの姉よ」


(姉がいたのか……一人っ子だと思ってた)


「どうかした?」


「いや、なんでもないよ」


「そう……もういい? ワタシ、あまり無駄な時間は増やしたくないの」


「ああ、分かった」


 アロメは本へ視線を戻した。ヨルアスがその本の題名を覗くと、そこには『第二勇者ヒイス・レミィの英雄譚』と綴られている。

 ――ヒイス・レミィは世界に名の知れた勇者の一人で、逸話の多くが面白おかしく着色されている。目の前の本は『比較的原話に近い』とされる一冊だが、それでも随所に誇張が混じっていた。


「ああ……アナタも知ってるのね。読んだことある?」


「まあね。でも、噂話じみた記述も多くて、途中で読むのをやめたよ」


「確かに。竜種を討ったとか、魔王軍を一喝して追い払ったとか……それ、本当にあるの? 勇者ならもっと堂々とやればいいのに」


 アロメの愚痴は止まらない。ヨルアスは適当に相槌を打ち、やがて口実を作って席を立った。


「変な奴には関わらないのが一番だな……放課後、もう一度探してみるか。にしても本当にメリアの姉なのか、性格が全然違う」


 放課後、ヨルアスは改めて噂の魔導書を探した。これまで何度も来て手がかりが得られなかったが、その夜はなぜか見つかる気がしていた。


 探し始めて二十分ほど経った頃、ある本棚の一角に一冊だけ異彩を放つ本があった。周囲の背表紙は茶や黒の落ち着いた色合いだが、その中に一冊だけ牡丹色の表紙が混じっている。


「これか?」


 手に取ると表題は『予見の書』だった。


「予見の書か……未来が見えたりしてな。禁忌だって噂もあるけど、まずは慎重に開くか」


 恐る恐る頁を開くと、多くのページが破られ、ところどころ黒く塗り潰されている。ただ一箇所だけ見開きが妙にきれいで、そこに魔術の詠唱文が残っていた。読み下すと、詠唱のための句が並んでいる。


 思春期の好奇心は強い。ヨルアスは『予見の書』を持ち帰る決心をした。


◇◇◇◇◇


 陽は沈み、闇が濃くなっていた。部屋の灯りを落とし、ヨルアスは静かに『予見の書』を開く。

 窓の外から夜風が入り、紙と埃の匂いが混ざる。机に差した灯りがページを淡く照らし、影が揺れる。彼は深呼吸してから、慎重に詠唱を口にした。


「黄金の大樹、永久とわの寒桜よ、開け、流転の輪よ。過ぎし栄冠と、未だ来たらぬ英雄の眼差し、示せ。我が声に応えよ、未来あすの欠片。運命の彼方を示す刻の目よ――我が瞳に宿りたまえ」


 詠唱が終わると、鋭い痛みが右目を襲った。焼けるような、突き刺すような痛み。ヨルアスは手で目を押さえるが、痛みは増していく。視界は赤く滲み、頭の中に何かが押し寄せるかのように、断片的な情景が流れ込んできた。


 呻き声とともに視界の奥で断片的な声が重なる――


『……なんでだよ! なんでお前がっ!?』


『いい表情だね。君のその顔、僕は初めて見たよ。いいものを見せてもらった』


『英雄の剣は折れない……君を、倒すまでは……!』


『不愉快だ……君は何者だ? くだらない自信など、捨てろ』


『これだ! 僕の望んだ未来はっ! この光景こそ、僕が求めていた姿だ!』


 曇天を裂く一筋の灯り、半壊した城の跡、氷と炎に覆われた国土――どれもヨルアスの記憶にはない景色だ。映像は素早く流れ、やがて煙のように消えた。


 気づくと、ヨルアスは床に倒れていた。胸の奥に熱が残り、喉は渇いている。視界はまだ赤く滲んでいた。


「くそっ……なんだったんだ、あれ」


 ふらつきながら鏡のある洗面所へ向かう。鏡の前に立ち、自分の目を確かめると、右目は左と違って赤みを帯び、瞳の中に小さな球が三つ浮かんでいるように見えた。


「なんだ……これ」


 指で軽く触れると、針で刺されたような鋭いチクッとした痛みが走った。まるで目そのものが「触れるな」とでも言うように拒絶するようだ。


「魔眼、か……? 魔導書を読んで魔眼が宿るなんて話は聞かないが……」


 ヨルアスは魔眼を試そうと魔力を送るが、目に変化は起きず、力の正体も用途も分からない。朝が来て授業を終え、放課後になっても結局何も分からないままだった。


(結局、何一つ分からなかった……多分、俺の目に宿ったのは魔眼だろう。でも、その力はまだわからない。どう使うんだ)


「ヨルアス、大丈夫?」


 メリアが心配そうに近づく。


「あ、うん。大丈夫。昨日あんまり眠れなかっただけ」


「そう? 何かあったら言ってね。力になるから!」


 メリアの屈託のない笑顔に、ヨルアスは少し救われた。


「ありがとう、メリア」


 二人の会話は自然に続き、気づけばメリアの家の前に立っていた。


「もう着いたのか」


「うん、またね」


 ヨルアスは手を振り、メリアの小さな背中を見送ってから帰路についた。


◇◇◇◇◇


 ――王都の地下水路。白髪の小柄な男と、黒ローブに深く帽子を被った男が二人、低い声で話していた。


「グレイヴェン様、魔人の復活に必要な生贄の数、半分の百名は確保できました。ただ、我々の動きに騎士団や魔術協会が気づき始めています。今後、何か仕掛けてくるかもしれません」


「うんうン、君は本当に優秀だネ」


「は! ありがたきお言葉でございます」


「そうだネ。奴らが動くと面倒ダ。私が直々に出向いて一度損害を与えてくるヨ。その間に君は残り百名の確保を頼ム」


「少々強引ではないでしょうか? グレイヴェン様が直接出向かれなくても、我ら蛇禅の精鋭たち四人と教徒総勢三百二十名のうち三分の一がいれば、同等の破壊は可能です。残りは確保に回せば計画は完遂できるはずです」


「いや、私が出たいんダ。教主になってから百年、指示ばかりで飽きていル。正直、ガルデリア王国になど捕らえられる相手がいるとは思えなイ。安心して、残りの確保を頼むヨ」


「そうですか……では、せめてこの仮面だけはお着けください」


 白髪の男は呪文文様の刻まれた白い仮面を差し出した。のっぺりと無表情なその仮面を、グレイヴェンは受け取り被った。

 内側には視界を保つための仕掛けが施されている。


「ふムふム。内側から外を見る魔術が仕込んであるのカ」


「さすがの見識……恐れ入ります」


「いやいや、当然だヨ。私が開発した独自魔法なんだからネ。君にも以前教えたことがあっただろウ。まあいい、行ってくるヨ」


 グレイヴェンは地下水路を抜け、飛行魔術で夜空へ舞い上がった。


「ご武運を」


 白髪の男はその後ろ姿を見送った。


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