第一章26 蛇闘編『零れた過去』
白髪の男の短剣と俺の剣が交錯した。実戦大会で戦った相手とは格が違う。男の太刀筋は鋭く、急所を的確に狙ってくる。
一、二のうちに十ほどの斬撃が俺を襲った。そのすべてが重く、受けるだけで精一杯だった。
白髪の男の隙を探す暇すら与えられない。
その間、リアナはアリアとともに光魔術を詠唱している。
リアナたちの声は溶け合うように美しく重なる。
「かのものに光の砲撃を――」
「光砲」
一点の光がリアナの手から噴き出した。
「ジンさん! 跳んで!」
言われた通り横へ跳ぶ。
その瞬間、光の砲弾が俺の脇を横切った。その威力は凄まじく、白髪の男の左半身を焼き焦す。衣が炭化し、皮膚が黒く光った。だが、男は倒れなかった。
まるで不死身のようだ。
「痛いなぁ。重複詠唱か。確か……複数人で一つの魔術を詠唱し、威力を増やすだったっけ。だけど、僕はその程度の威力じゃ死なない」
男は痛そうな姿すら見せず、平然と、そして、淡々としている。
はっきり言って、普通の人間の枠組みで考えてはいけない存在だ。この男の前では、一つの油断が『死』を招きかねない。
「僕を殺すなら、せめて、完全に体を消し飛ばすくらいしないと死なないよ」
この男、殺せるのか?
俺の剣は届き得るだろうか。答えがなくとも、俺は亡くなってしまったカエラさんのため、そして、アリアとリアナ、レヲリさんのためにもここで引き下がる選択肢は、俺にはない。
「さあ、君たちはデニスの仇に相応しく、惨めに、そして苦しく死んでくれ」
白髪の男の刃先が再び俺たちへ向いた。
◇◇◇◇◇
――ヨルアスは王都の中心地の地下で誰かを待っていた。石壁には多数の魔法陣が描かれ、天井の小さな空洞から月の細い光が差し込んでいた。空気は冷たく湿り、床に影が長く伸びている。彼の表情は険しく、何かしら覚悟を決めたように見えた。
数分後、ヨルアスの前に一人の女性が現れた。顔立ちは見る者を見惚れさせるほど整っており、瞳は藍色の宝石のように深く輝いていた。背には蛇の紋章が描かれた黒いローブを纏い、三つ編みに結われた髪は薄紫色に光を帯びていた。
「へぇ。アナタ、ワタシが来るの知っていたんだね。勘かな? それとも、知っていたのかな? まぁ、そんなに重要なことでもないかぁ」
「知らなくていいさ。そんなこと……ざっと二十年ってところか。蛇禅掃討作戦以来だな。あのとき、君を殺し損ねたのは手痛い失敗だった」
「ワタシを殺し損ねた? バカを言わないでくれないかな。アナタがあのとき、ワタシを殺せるほどの実力を持ち合わせていたわけでもないだろうに」
ヨルアスは額に汗を浮かべていた。過去の因縁を断ち切るためか、覚悟の現れとして手を血が滲むほど強く握っている。
女性の声色にはどこか歪みがあり、両者の間に流れる空気は異様な緊張を孕んでいた。
「蛇禅掃討作戦でアナタは何を学んだの? 当時十四歳だったアナタがあの地獄に身を置き、自分の無力さを実感して今強くなったとしても、なんら心は成長してないように見えるね」
その言葉が落ち、二人の間に沈黙が流れた。だが、その沈黙はヨルアスによって破られる。
「いや違う。成長はしたさ。君の目に映らないだけだ。人の心情を読み取るのが苦手だろう? 君は」
「間違えているのはアナタよ。アナタの顔を見れば分かる。未だまだ復讐に焦がれている瞳をしている。成長したと復讐心がないと自分自身を騙して生きながらえた“死に損ないの滑稽で凡庸な人間”。それがアナタ」
言葉は鋭く刺さるが、ヨルアスの表情は揺れなかった。
「君は変わらないんだな。くだらないプライドに囚われ続けている。友人を亡くし、家族を亡くし、その仇であるはずの敵側に身を落とした君が僕を、あの戦いを語る資格はないよ」
「そう……気分が悪いわ。ヨルアス・ゼン・フルガ……アナタが嫌い。非常に不愉快、不浄、不埒。ワタシはアナタを殺す。今ここで」
逆鱗に触れたのか、女性の瞳に殺意が宿った。ヨルアスはその様子を見ても淡々と返す。
「そうか。風災の魔術師アロメ・カルロメア……君の息の根を今度こそ止めるよ」
その言葉を合図に、地下の静寂が引き裂かれ、戦いの火蓋が切られた。
◇◇◇◇◇
魔戦暦571年8月――蛇禅掃討作戦から一年前、蛇闘戦から約二十年前
「ヨルアス? 起きてヨルアス。訓練中だよ」
「ああ゛なんか喉枯れているような。ん?」
周囲を見ると、仲間の見習い魔術師たちと、般若の顔をした先生が視界に入った。
ヨルアスは夢から現実へ引き戻され、動悸が早くなり、滝のように汗を流した。
「ヨルアスさん……やる気、あるのでしょうか? 先生怒りますよ……」
「もう怒ってませんかね? あの……どうか、ご親切にぃー!」
次の瞬間、大きな打撃音が訓練場に響いた。
ヨルアスは先生に襟を掴まれそのまま指導室に連行されていった。
数時間後、頭に大きなタンコブを作ったヨルアスがそこにいた。ヨルアスは氷袋でタンコブを冷やしながら、指導室のドアを閉め、廊下に出て愚痴をこぼした。
「ひどい。あんなに叱らなくても。うぅ゛膝が痛い。正座させられぱっなしはさすがに堪えたな」
ヨルアスが嘆いていると、後ろから声がかかり、肩に手が置かれた。廊下を歩く脚が止まる。
「先生に怒られたらしいけど大丈夫だった? ん? あ……タンコブ大丈夫?」
声の主はメリア・カルロメアだ。ショートヘアで薄紫の髪、幼い顔立ち、藤色の瞳、その容姿は美少女と評されるほど美しい。
メリアはヨルアスの頭に手を置いて撫で、ヨルアスは頬を少し赤らめた。
「ちょっと。メリア……あの」
「お母さんが言ってたんだ。嫌な事があったときはこれをしてもらうと安心するって」
ヨルアスの心は『好き』という文字で埋め尽くされる。こんな短い時間が愛おしく思えるほど、ヨルアスはメリアに恋をしていた。きっかけは些細なことだった。実戦訓練でペアを組み、メリアの戦う姿に惹かれたのだ。
ただそれだけ――
それを境に彼女のことを知っていくうち、好きになってしまったのだ。
「メリア……ありがとう。安心できた」
「よかった。何かあったら言ってね。ヨルアスが元気でいるとわたしも嬉しいから」
メリアは訓練場へ走っていった。少しだけ花の香りが漂った。ヨルアスは、メリアが自分をどう思っているか分からない。ただ、好意的であってほしいと願った。
メリアは魔術師として恐るべき才覚があり、驚異的な速さで成長していた。ヨルアスは少しでもメリアの実力に近づくため、訓練場へ向かった。脚は軽快に動き、タンコブの痛みは幸福感にかき消されていた。
◇◇◇◇◇
訓練場はドーム形の石壁に囲まれ、芝生は整然と手入れされている。珍しく先生も指導に出ており、様々な属性の魔術が飛び交って賑やかだった。
ヨルアスはその雰囲気に流されるように人型の藁に魔術を叩き込む。
魔力を一点に込め、雷魔術を詠唱した。
「かのものに雷光の矢を――」
「雷光の矢」
手から放たれた矢は藁人形から逸れて地面に落ちた。何度、試しても成功せず、ヨルアスは自分の未熟さを痛感する。そんな様子を見兼ねて、先生は近づき、ヨルアスの手首を掴んだ。
「ヨルアスくん……魔術を対象にしっかり当てるにはまず利き手を使うことです。そして、手の魔力を一点ではなく全体に込めるようにすれば命中しますよ」
言われたとおりに実践する。魔力を右手全体に込めると流れが格段に良くなり、雷光の矢は一直線に進んで藁人形の頭部へ命中した。
「基本として、魔術を放つとき常に意識するようにしてください」
先生はそう言って別の生徒の指導へ向かった。ヨルアスは訓練を終え、休憩する。魔力を相当消費したせいか、眠そうだ。
やがて一日の訓練を終え、家へ帰った。家にはヨルアス以外誰もいない。
棚に立ててあった写真を見ると、そこに写っていたのは十二歳のヨルアスと両親だった。その写真を撮った二ヶ月後、両親は亡くなった。ヨルアスは両親の友人から死因だけを聞かされていた。
――母は魔王軍に殺され、父は遠征中に行方不明になり、後に魔獣に喰い殺された状態で発見されたのだ。
その写真を見ても悲しみは薄れていた。両親の死に立ち会えなかった悔しさは長く心を引き裂いたが、時が経つにつれ薄れていき、心には大きな穴がぽっかりと空いた。
ヨルアスはその穴を埋め、魔王軍に復讐することで区切りをつけるために魔術訓練校に通うことを決めたのだ。
ただ、訓練校で出会ったメリアや仲間たちの優しさに触れ、その考えは次第に薄れていった。ヨルアスが訓練校に通う意味は、誰かを守るため、メリアの隣に立つためへと変わっていった。
ヨルアスは今日の夜も疲れた体に鞭を打ち、寝るまで魔術の勉強を続けた。そのせいで最近は訓練中に居眠りしてしまうことが多いが、メリアの隣に立ちたいという思いがそれらを凌駕し、手は休まらなかった。
数時間後、ヨルアスはベッドに横たわり、「明日も何も起こらないように」と願いながら深い眠りについた。
◇◇◇◇◇
朝の光はいつもより淡く、王都の空気には張り詰めた静けさが混じっていた。
ヨルアスが訓練校の石門をくぐると、普段の喧騒はどこにもなく、代わりに噂話と慌ただしい足音だけが校内に響いていた。
ヨルアスはその噂に耳を澄ませたが、周囲の雑音にかき消されて聞こえてきたのはただ一語――「行方不明」だった。
気になって、近くにいた同期に声をかける。
「少しいいか。行方不明って、何のことだ? さっきから噂がやけに多くて」
「ああ、ヨルアスか。聞いたところによると、最近この辺で行方不明者が増えてるらしいぜ。しかも、最後に見かけたっていう奴の話だと、黒ローブを着た連中に攫われるのを見たってやつがいるらしい」
「黒ローブか。教えてくれてありがとう」
「ああ」
同期と言葉を交わし、同期は訓練場へと向かっていった。ヨルアスはその場で立ち止まり、少し考え込んだ。
『黒ローブ』『行方不明』という言葉が頭の片隅で重く響く。
その『黒ローブ』という言葉には聞き覚えがあった。父の遺体のそばに、背に蛇の模様が描かれた黒ローブが脱ぎ捨てられていたと聞いている――ほんの一片の記憶が胸の奥でざわつく。
「少し……調べてみるか」
ヨルアスはそう呟き、訓練場へと足を進めた。




