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第一章21 蛇闘編『蛇禅と魔人』


 別室の空気は冷たく、アリアの声だけが静かに響いた。窓の外では昼下がりの光が少しずつ傾き、廊下を長い影が横切る。


「ジンくん、リアナさん。話は端的にするわ。リーガさんが行方不明になったのは事実。だけど、それだけじゃない」


 アリアは机の上に薄い書類の束を広げ、ゆっくりと一枚取り出した。紙の端には――蛇が円を描くような模様が書かれていた。


「この紋章、覚えているかしら?」


 胸がきゅっと鳴る。あの路地でちらりと見た、蛇の紋だ。


蛇禅だぜん。古くから噂に上る組織よ。表向きに名が出ることはほとんどないけど、魔術や禁術に長け、目立たずに動くことを得意としているわ。その行動原理は魔族だけの世界を作ることだとされていて――最近、魔王軍と何かを企んでいると、協会の報告にある」


 リアナの顔から血の色が失せる。俺は目を離せなかった。リーガの目の奥に見えたいつもと違う何かが、ここへとつながっている。


 俺たちは昨日の出来事を詳細に話した。アリアは真剣な表情で聞き取りを続ける。


「……そう。リーガさんが……ね……多分だけど、何か幻影を見せる魔術を使っていたんじゃないかしら。リーガさんや学院の生徒の行方不明は確実に蛇禅が関係してると思うわ」


「蛇禅の動きは今のところどうなっているか分かりますか?」


 リアナは不安を拭うように尋ねた。


「あなたたちの話に出てきた黒ローブの服装をした人間を見たという報告が王都内で数多く上がっているわ。そのどれもに共通して何か紙のようなものを持っていたという情報を得ているの。動き自体も中々掴めていなくて、今は手詰まり状態よ……」


 アリアの言葉から、蛇禅が相当狡猾な集団だと分かった。別室のドアがノックされる。アリアは時計に目を落とした。


「もうこんな時間ね。少し用事があるわ。あなたたちは帰りなさい。また何かあれば私から伝えるから」


 アリアはそう言うと部屋を出て行った。彼女の表情にはわずかな陰りがあった。リアナもため息を漏らす。俺だって不安でいっぱいだ。リーガが今、どんな状況に置かれているのかを考えるだけで胸が苦しくなる。


 俺はそのままリアナと解散し、リーガのいない寮で一夜を過ごした。その日はあまり眠れなかった。



◇◇◇◇◇



 時間は無情に過ぎていった。手掛かりはほとんど得られないまま、二週間ほどが経過していた。その間、俺もリアナもクラスメイトも、剣術や魔術の鍛錬に集中できずにいた。


 今強くならなければ、いざというとき何もできない――そう分かっていながらも、気持ちがついていかない。


 ある日の帰り道、一人で歩き慣れた道を通っていると、寮の前に黒ローブの男が立っていた。あのとき見た男だ。周囲には人がいるはずなのに、誰もその存在に気づいていない。まるで俺にだけ見えているかのようだ。


(なんだ何かおかしいな……)


 違和感はそれだけではなかった。男がこちらを向いた瞬間、説明しがたい不快感が押し寄せる。


「目がない……⁈」


 思わず声に出てしまった。


 正確に言えば、何か攻撃を受けて目がないというより、眼球だけが綺麗に取り除かれているように見えた。俺は男と目を合わせた。その奥には何かが蠢いている。俺は男と距離を取るため、後退りしながら鞘から剣を抜いた。


 気づくと周囲の人影は消えていた。男と距離を取った瞬間、男が低い声を出した。


「お友達は元気かなぁ? 君もこちら側に来ないかなぁ。リーガくんが待ってるよぉ」


 声を聞き取るのもやっとだった。リーガの名を聞いた瞬間、俺は男に怒鳴った。


「リーガに何をした!!」


「いやぁ少し痛い目に合わせただけだよぉ。僕たち蛇禅の目的はねぇ。リーガくんとか学院の子供たちを生贄にしてねぇ。×××××を復活させることなんだぁ」


 男は嘲るように笑う。何を復活させるのか、その核心はノイズのように遮られて聞き取れなかった。


「君に話したのはねぇ。もう整ったからだよぉ。」


「整ったってなんだ! 一体なんのこと言ってるんだよ!」


 俺は訳が分からず問い詰めた。


「整ったはねぇ。儀式がねぇ。これで完了するってことだよぉ!」


 男は何かの魔法陣が描かれた紙を地面へ歪な剣と共に突き刺した。その瞬間、周囲の地面が揺れ男の身体が何かに踏まれたように押し潰され、その男が立っていた場所には血溜まりができていた。


「なんだ……? あれ……?」


 それは巨大で無数の足を持っていて、腕が全て針のように尖っている。上半身は人の形を模しているが、ところどころ裂けて中の何かが覗く。顔は人のそれを模しているが、眼の辺りが潰れたように歪んでいた。形容しがたいその姿に俺は吐き気を覚えた。


 俺はなんとか剣をそれへと向けた。異質だ。魔人でも魔物でもない全くの別物。それの気配に当てられただけで頭痛がする。それは俺に一つの黒い球体を飛ばしてきた。


 蛇黒が使っていた球体と似ているが、違う。蛇黒のときは何も感じなかったが、その球体には圧縮された悪意の塊を宿しているように感じた。


(それにしても静かすぎる。あの地響きなら誰か人が出てきてもいいのに)


 いや――違う。周囲の光が一瞬消えたように思えた。先ほどまで夕日が差していたはずの道に、突如として影と沈黙だけが残る。その感覚に、俺の思考は何度も引き裂かれた。


「いや違う……いや、違う、違う……!」


 次の瞬間、押し潰されるような痛みが全身を襲った。


「はっ……!」


 気づくと道に倒れていて、周りに人だかりができていた。皆が心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫か?」


「はい……大丈夫です。」


 俺はふらふらと寮へ戻った。全身にびっしょりと汗をかいている。夢を見ていたのか、はたまた現実だったのか判別がつかない。ただ、それはあまりにも現実味があり、実際に起きた出来事のように感じられた。


「は? なんで……?」


 毎日つけているカレンダーを見ると、日付が二週間前に戻っていた。気づいた瞬間、激しい頭痛が襲う。


「過去に戻った……?」


 混乱し、寮を思わず飛び出して、学院へと向かった。


 職員室でアリアを呼んだ。しばらくしてアリアが出てくると、俺の様子を見てすぐに手を取り、執務室へと導いた。



◇◇◇◇◇



「何があったの?」


 アリアは心配そうに俺を見つめる。俺は夢の内容も含め、あったことをありのまま話した。アリアは沈黙のあと、真剣な表情で尋ねた。


「一つ聞くわ。あなたが過去に戻ってきたと確証を持つために。今日からちょうど一週間後、私がクラスで何を行うか覚えている?」


 俺は記憶を辿り、特に印象の強かった出来事を踏まえて答えを出す。

 

「ヘルマン先生との魔術と剣術の合同練習ですか?」


「正解よ。あなたのその夢は夢じゃなくて実際に未来で起きた出来事のようね。多分、それが復活したって事は私たち、魔術協会は……失敗したのね。」


「一体どういう……?」


「私は一つジンくんとリアナさんに話していないことがある。それは蛇禅がしようとしていることよ。――彼らは、魔人を復活させようとしているわ」


 アリアの返答に困惑しながらも聞く。


「魔人? いや……学院を襲撃したのと全く別のものに感じました……」


「それもそうよ。あれは生まれたもの……私の言っている魔人はね人工的に作られたものなのよ。約九十年前、世界は魔王に対抗できる生物を人工的に作ろうと試みたの」


「勇者が不在だった当時、手段を選ばず様々な実験が行われてね。結果は失敗したわ。その罰かしら、とても強い存在が作られてしまった。多くの犠牲が出て、当時最強と言われた魔術師が代償を払ってそれを封印したのよ」


 アリアの話は信じ難いが理解するしかなかった。


「つまりそれを今、蛇禅が封印を解いて復活させようとしているってことですか?」


「ええ。封印の魔法陣は六つの場所に分けられていてね。未だに二つしか分かっていないの。とりあえず、寮の近くに一つあるって事は分かった。ありがとうね」


「どうして、アリア先生たちは失敗したんでしょう?」


 アリアを含め、魔術協会は強い。失敗するなど到底信じられなかった。


「多分、未来ではその六つの魔法陣を蛇禅が先に見つけたことで魔人は復活し、私たちは敗北したんだと思うわ」


 アリアの額には汗が見えた。二週間は短過ぎるのだろう。焦りが感じられる。


「蛇禅の男が行った、封印の魔法陣と同一の魔法陣を描いた紙を六つの場所に特殊な剣と共に刺すことで封印は解除できる。とはいえ私たちは今のところあなたが話した場所を合わせて三つね」


「俺も探します」


 強い意志を持って頼み込んだ。リーガが、友人が巻き込まれているのだ。他人事では済まされない。


「駄目よ。生徒を巻き込むわけにはいかないわ」

 

「もう、十分巻き込まれてますよ」


 よく考えれば、俺はすでに蛇禅に関わってしまっていた。アリアはため息をつき、やがて覚悟を決めたように目を細める。


「分かったわ。だけど一つだけ言っておく。あなたが蛇禅と対峙するなら――死ぬ覚悟はしておきなさい」


 その一言には、重さがあった。俺はその重さを受け止め、再度覚悟を固めた。――あのときはまだ、蛇禅との戦いがどれほど苛烈になるかを想像できてはいなかったのだ。


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