#1. 手紙と入れ墨
監獄内の自殺のニュースを何度か聞いた事があったが、実際にその場に立ち合ったのは初めてだった。
刑務官ら職員が応急処置をしようとしたものの、アクターは歯を食いしばりこれに抵抗。抉じ開けられず、アクターが意識を失った後も救命行為は続いたが、徒労に終わった。
その間も同時進行で手配が進み、病院に搬送されて奴の死亡が確認される。
そしてこの大騒ぎの後すぐに、アクターの独房から一枚の手紙が発見された。
私はその一行目を見てぎょっとしてしまった。何故ならそこには私の名前が記されていたのだから。
”
親愛なるミスリー捜査官殿
突然の手紙と自殺を許して欲しい。君の様な人間にとっては理解出来ないことだろうが、彼らの監視から逃れるにはこうする他ないと結論づけた。
それは兎も角としてさて、書面上くらいは君を煩わせずに速やかに話を済ませよう。
君は人間の意識についてどこまで考えたことがあるだろうか。私は折に触れてはそれについて考えていたが、機会が多過ぎていっそ常日頃からそれについて考えていたとも言える。
この手紙はそんな私から迷える子羊である君への細やかなプレゼントだ。きっと君の助けになるだろう。意外かも知れないが、私は君のビジネスが上手くいくことを祈っているのだよ。さて……。
人間の精神や意識と呼ばれるものは所詮は脳の産物だ。科学的な物質の作用によるもので、電気信号だ。心という臓器はなく、感情も思考も、自我も認知も、性格も趣味趣向も、感覚も嗜好も全て脳あってのことだ。何もかも、大事なものは頭にあるんだよ。
これについて異議を唱えたい場合はぜひ考えてみて欲しい事がある。例えば寄生虫や事故、認知症などについてだ。
一部の寄生虫は人間の脳にも寄生するのだが、その寄生された人間は寄生前と寄生後で性格が変わってしまうという例が多数報告されている。
事故にあった人間が脳にダメージを受けた場合や、認知症や精神病によって脳の機能が何らかの形で制限されたり、衰えたり変じた場合も人の思考回路や性格、認知というものは変ずる。
これらの事を鑑みれば人間の精神や、自我や思考というものが脳にあることは自明の事だとわかると考える。もちろん、これは私の考えであるからして、君に強制するものではないが、君のビジネスを上手く完了させるためには、このことを脳の片隅にでも置いておくことを推薦する。
そして私は思う。もし天国や地獄、辺獄や煉獄と言った死後の世界があるのだとしたら、そこに行く自分は果たしていつのどの自分なのか、と。
先ほども述べた通り、寄生虫や認知症などによって人の性格や思考は変ずるが、物質世界から超越してあの世という精神世界━━━かどうかはわからないが、そう仮定して━━━に行く時には、その変化を受けた後の自分でいくのか、と。
それともそういった変化を受ける前や、全盛期の自分であの世にいけるのだろうか? よくありそうな解釈としては、死後時点の自分が、凡ゆる病気などを拭われて救われると考えるのかもしれないが、病気などによって変化した自分のことを気に入っている人間は、その自分であの世に行くのだろうか。
こういったことを考えると私にはどうも、あの世というものは実に願望めいていて、都合の良い妄想だと感じるよ。ただの老衰だとしても、認知症でわけもわからなくなった人間が都合よく認知症になる前の自分に戻ってあの世にいくのだとして、その「全盛期」を決めているのは神であると? 全くもって馬鹿馬鹿しい。
まぁ、今の君にとって差し当たって重要なことは、『大事なものは頭にある』というそれだけの言葉かもしれないが。
いいか、忘れるなミスリー、『大事なものは頭にある』
”
手紙はそこで終わっていた。
つまりあの自殺はあの場で突発的に起こしたものではなく、予めそうすることを決めていた計画的なものだったのだと。
そして奴の相変わらずでくだらない主張をサンドするように、幾度か露骨に強調されている、” 大事なものは頭にある” という一文。
私はすぐにピンときて、アクターの頭を調べるように手配した。アクターのこの様な児戯にも等しいお遊びは、以前にもあったからこそすぐにわかった。
奴の頭を検めはじめてすぐに、その頭髪に隠れて何らかの入れ墨が掘られている事がわかった。頭部への入れ墨は激しい痛みを伴うという話を聞く。特に後頭部はそれが著しいというが、奴の頭にはその後頭部も含めて、ちょうど頭髪で隠れる範囲全体に及ぶ入れ墨が掘られていた。
髪を刈り込みその全容が明らかになる内に、そこに掘られているのが数字の羅列のみであることを知る。てっきり奴の書いた文書の一部や、不可解な文様でもあるのかと想像していたが、そういうものではなく、無機質でデザイン性の乏しい、変哲もないフォントのアラビア数字の羅列だった。
私はそれを記録し、あとは解剖の手に委ねて家に帰ることにした。
「それじゃあ、後はお願いするよ、マクガフィー」
「ああ任せろミスリー。さっさと家に帰ってかみさんに顔を見せてやれ」
私は苦笑しながら部屋を後にした。