#0. アクター・レプキンズの主張
「『我思う、故に我無し』というのが私の持論でね、刑事さん。一寸聞いてくれませんか。」
オレンジ色の手術着を着た男が、私の目をじっと見据えながら慇懃無礼にそう語り出した。
「構わないよ。手短にしてくれると助かるのだけどね?」
お互いに挑む様な前傾姿勢で言葉を交わす。
社会から落第した者たちが過ごすこの場所は、薄情さを感じさせるコンクリートをまるで隠さずに露呈しているが、我々もそれに当てられたのだろうか。
「それはどうも、どうも。さて、どこから話しましょうかな? 現代的な慣習に倣って結論から遡っていくべきなのか、始めから順を追うべきなのか。 私の様な人間はいつもそんなことで悩んでしまうのだが。 そして結局いつも、間違えてしまう。 だから此処に居る。」
「アクター、『手短に』、頼むよ」
「ああ済まない、そうだな。『手短に』やろう。努力するよ。」
そう言いながら背もたれに踏ん反り返るアクター・レプキンズ。手をへその前に重ねて、目には全く謝意など宿っておらず、気怠げな瞼は人を食ったように少し半目がちだ。はなからこちらの事など考えていないか、考えられないのかは知らないが、私は彼の煮え切らない語り口に早くも業を煮やし始めていた。
「ストレスを感じているな? いい兆候だ。」
「いいか? もう一度言うぞ? 『早く、話せ』」
「それでこそ現代人だ。私には全く理解出来ないが、君たちがそういう風であることは認めるよ。」
そのあまりのマイペースさに、私はゆっくりと鼻から酸素を吸って、それからまたゆっくりと鼻から二酸化炭素を吐き出すに至る。
「『溜息をつくと幸せが逃げる』などという言説を昔亜細亜人に聞いたよ。生理作用的には……」
「帰るぞ?」
ヒヒッ、と一笑に付すアクター。
「要するに『我思う、故に我あり』は今や通用しないという事だ。技術の未熟な時代であれば自分がシミュレーション上の人間であるかどうかについて真剣に懐疑する必要はなかったかもしれないが、今となってはそうでは無い。この現代に於いては万人がその実在を再び脅かされているのだよ。」
にわかに語り出す。
誠に人の事を考えていない人間なのだと改めて思い知らされる。
「それは誰が言ったんだ? あんたの妄言か?」
「始めに言ったろう、持論だと。」
「つまりあんたの個人的な考えだよな?」
「君たちはそうやって直ぐに権威性を求める。恰も権威に承認された情報しか真でないと言いたげだが、真は常に権威の下で虐げられてきたものだと言うことをもう少し思い出すべきではないかね。」
「そうかい」
「大体君は何を以て『自分の考え』や『人の考え』を区別しているのだね? 思考を挿入する技術が誕生している現代に於いて、思考や心理、気分というものが果たして真に自分のものであるとどう証明するんだ? そういう意味でも、『我思う、故に我あり』では無く、『我思う、故に我なし』なのだよ。 尤も、これは実在の話とは少しズレているだろうが。」
「妄想は結構だ。つまりそうやって人々を洗脳したんだな?」
「妄想と洗脳は君の方さ、ミスリー。決して君だけではなく、酷く有りふれているが、君は典型的な例だと言えるだろう。」
「言いたいことがそれで全部なら……」
「まだ話は終わっていない。」
「……続けて?」
「彼らは常に先に行っている。私の考えることなど全てお見通しだ。それどころか私の思考さえもどこまでが彼らによって挿入されたものなのか。場合によっては今話した全ても彼らに依って言わされているに過ぎないのだろう。それが私の役割で、役なのだろう。『名は体を表す』なんて言葉があるが、まさに私はActorだよ。」
「よくあるチープな陰謀論だな。常識的に考えてそんな訳がない。証拠もなしに。あんたの名前はあんたの親が恣意的につけた単なる名詞だ。運命論的な意味なんか無い」
「アインシュタインは言ったという。『常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない』と。しかし私はそんな君のことも受容しよう。何故ならばそれが君の役割で、役だからだ。」
「人を勝手に妄想に巻き込むんじゃない。お前は頭のおかしい扇動狂、異常者だ! ビョーキなんだ!」
「ショーペンハウアーが言ったという真実の三段階はご存じかね? 1:嘲笑われる、2:激しい抵抗により攻撃される、3:自明なこととして受け入れられる。今の君はどれだろうな?」
「うるさい! 誰かの発言や言葉を知ってたら偉いのか?」
「偉いさ。『無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり』だ。ソクラテスが本当に言ったかどうかは知らんがね。その意味では私もまた罪人だ。空虚でもある。英雄になりたい。」
「もう結構! くだらない引用は沢山だ! 私が知りたいのはお前がどのようにして人々を扇動したかだ!」
「今実際にやってみせているじゃあないか。まだ君は嘲笑い、抵抗しているようだが、じきに自明の事として受け入れる。」
「俺は騙されないぞ! こんな与太話で!」
「感情的になるのは抵抗感の現れだ。君は今まで持っていた常識が崩れるのが怖いのさ。 だから躍起になって必死に否定する。」
「このクソったれめ! 言え! どうやって彼らを扇動したんだ!」
「私はただ文書を書いただけさ。」
「文書? それはどこにある?」
「だがあそこに書いた事が果たして真に私の発想であったのか、今となってはわからないんだ。先んじて発表していた思想を私に挿入し、盗作の汚名を私に着せる為にそうしたのかもしれない。そんな風にも考えた。」
「おい、質問に答えろ!」
「悪いが今日はもう疲れた。終わりにしてくれないか?」
「ダメだ、文書がどこにあるか答えろ」
「それなら自分で終わらせる」
「は? ━━っ!」
そういうとアクターは口から血を噴出した。どうやら自分の舌を噛みちぎったようだった。看守が直ぐに対応したが、程なくしてアクターはその場で死んだ。