第5話 聖女の復讐
夜が深まる中、村の外れには冷たい風が吹いていた。アイリスとルーカスは村の外で、盗賊が現れるのを待っていた。家の元の住人だった霊が、ぼんやりと村の入口に佇んでいる。守護霊として演出されたその存在は、異様な静けさを持っていた。
「来るぞ」
ルーカスが低く囁く。彼の指が僅かに動き、闇の中でスケルトンたちが姿を現し、霧の中からゆっくりと動き始めた。盗賊たちはその気配を感じ、目を見張りながらも油断なく接近してくる。
「準備はいいか?」
ルーカスがアイリスに問う。彼女はしっかりと頷いた。彼女の心には奇妙なほどの静寂があった。それは聖女としての役割を演じるためだけではなく、家の元の住人である霊と、自分を重ね合わせていたからだ。
盗賊に理不尽に命を奪われ、無念のまま死んだ村人。その気持ちが手に取るように分かる。彼も、自分と同じく、復讐を望んでいるのだ。アイリスはその感情に深く共感していた。
「私も、あなたと同じよ」
彼女は心の中でそう呟き、再び深い息を吐いた。
――――――――――
盗賊たちはいよいよ村の入口に迫ってきた。人数はそれほど多くないが、彼らの装備は十分で、目つきも鋭い。彼らが一度村に入れば、村人たちが簡単に蹂躙されてしまうことは明らかだった。
「アンデッドだ……!」
先頭を行く盗賊の一人がスケルトンの群れを見つけ、声を上げた。その目には、スケルトンたちが守護者として村を守っているかのように見えていた。もちろん、それはルーカスの意図通りの演出だった。
「なんだこれは……村にこんな連中がいるとは聞いていない!」
盗賊たちは戸惑いながらも、徐々に後退し始めた。その時――。
「止まりなさい!」
村の入口に現れたのは、アイリスだった。彼女はスケルトンたちの間をゆっくりと歩み、盗賊たちに毅然とした態度で立ち向かう。その姿はまさに「聖女」そのものだった。ルーカスの言う通り、アイリスは今や完璧な「聖女」としての役割を演じていた。
「これは……聖女様?」
盗賊たちは驚き、動揺しながらアイリスを見つめた。彼女の背後には守護霊として仕立てられた村人の霊がぼんやりと立っている。盗賊に殺されたその霊が、彼らに復讐を誓うかのように佇んでいた。
アイリスの目が鋭く輝いた。今、彼女の内心にあるのは純粋な復讐の感情だ。自分を追放した者たちへの怒り、そして無念のまま命を落としたこの村の霊への共感。彼女は、その気持ちを聖女としての演技に昇華させた。
「あなたたちがこの村を襲うつもりならば、私が許しません。ここにいる霊が、あなたたちの罪を見逃すと思いますか?」
その言葉はまるで天から降る裁きの宣告のようだった。盗賊たちは凍りついた。彼らの目に映るのは、正義の光を放つ聖女――そして、自分たちが殺した村人の霊。
「見ろ……霊だ……俺たちが……!」
一人の盗賊が恐怖に震えながら叫んだ。彼らは自分たちが無残に殺した村人が蘇り、復讐しに来たと信じてしまっていた。その瞬間、恐怖が彼らを包み、全員が武器を落とした。
「ここにいる霊は、復讐を求めてはいません。ただ、あなたたちが自らの罪を悔い改めることを望んでいるだけです」
アイリスは静かに、しかし強く言った。その言葉は盗賊たちに深く突き刺さる。彼女の表情は凛としていたが、内心では「私も、彼と同じだ」という思いが強く響いていた。復讐を遂げたいが、表向きは慈悲深い「聖女」として振る舞う――その複雑な感情が彼女の言葉に迫真の力を与えていた。
その瞬間、ルーカスが仕掛けたスケルトンたちが動きを止め、ゆっくりと消え始めた。まるで聖女の力によって浄化されたかのように、闇へと消えていく。その様子を見た盗賊たちは完全に戦意を失い、その場にひざまずいた。
「お許しを……聖女様……どうか、命だけは……!」
アイリスは彼らを静かに見下ろした。彼女は今、彼らを裁く力を持っている。しかし、その手で罰を下すのは復讐者としての自分ではなく、聖女としての役割を演じる自分だ。
「ここを去りなさい。二度と戻らぬように」
アイリスは冷静に告げた。その言葉に盗賊たちは必死に頷き、慌ててその場を去っていった。
――――――――――
盗賊がいなくなった後、アイリスは静かに立ち尽くしていた。村の霊は、今もなお彼女の背後に佇んでいる。
「あなたの無念は……私と同じ」
アイリスはその霊に向かって静かに語りかけた。復讐を遂げた彼の霊は、次第に姿を薄れさせていく。その姿を見ながら、アイリスは自分の中で揺れる感情を噛み締めた。
「さあ、昇天する時間だ。お前はもう役割を果たした」
ルーカスが静かに告げる。アイリスは頷き、手を合わせて霊を成仏させるように祈りを捧げた。まるでその祈りに応えるかのように、霊は光となって空へと昇っていった。
村の上空に、淡い光がゆっくりと広がり、やがて消えていく。それを見た村人たちは、歓喜の声を上げ始めた。
「聖女様が……奇跡を起こしてくださった!」
村は再び平和を取り戻し、聖女としてのアイリスの名声は一層高まることとなった。だが、その裏には、彼女自身の復讐の念が静かに燃え続けていた。