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8 撤回しても良いですか?

 イーストル邸の一角にある厨房。最新の魔道具も揃った場所でこの家の女主人であるエリーは格子柄のエプロンの裾を握りしめつつ、片手鍋の中身を凝視していた。


「そろそろですね、若奥様」


 鍋の中身に集中するエリーに声をかけるのはイーストル邸の主が結婚するに際しに最近雇われた料理長ランス。今日は夫に手作りのケーキを作って差し入れをしたい、と言うエリーの要望に応え、朝食の片付けが終わってから、共に厨房で菓子作りをしているのだった。


「ええ! そうね」


 そう言うと、なべを温熱器からおろし、隣に用意された布巾の上にのせる。鍋の中で美味しそうに煮えていたのは今が旬の梨だ。砂糖と少量のレモン汁でゆっくりと煮詰められた洋梨はべっ甲色に輝き、あたりにはふんわりとした甘い香りが立ち込めていた。


「うーんーーいい香り。冷ましてみないとわからないけどきっと大成功ね。こうして貴族の奥様になっても厨房に立てるなんて、旦那様とランスさんのおかげよ」


 満面の笑みで言うエリーに料理長は苦笑いする。


「確かにご主人がたに厨房に入られるのを嫌う料理人も多いですが若奥様の料理の腕は確かですからな。それに私は旦那様に言われた通りにしているだけ。どうぞお礼は美味しいお菓子とともに旦那様へ言って上げて下さい」


 絶対喜びますから、と語句を強める料理長にエリーは少し顔を赤らめる。


「そ、そうね。もちろんそうするわ。でもランスさんにもとっても感謝しているのよ。さ、生地もそろそろ焼けることかしら?」

「はい奥様。そろそろだと思いますよ。あっでも危ないのでオーブンの扱いは私に任せて下さいね」


 強引な話題変更には何も言わないことにした料理長はオーブンの方に視線をやった奥様を軽く制してオーブンの方へ向かう。


 彼自身はエリーが厨房へ入ることにはなんの抵抗もないし、さらに元々は下町ぐらしで彼女がオーブンその他の魔導具の扱いも一通り知っていることは承知の上だが、とはいえ万が一にも奥様にやけどなどさせられない。それでなくてもこの古い屋敷に備え付けられた旧式のオーブンは魔力の扱いが難しい。パチリと指を鳴らして少し火力を調節しつつ、料理長は真剣な眼差しでのぞき窓をのぞくのだった。


 その様子を興味深げに見ていたエリーはそう言えば、とこちらに戻ってきた料理長に話しかける。


「結局厨房の器具は新しくしなかったのですね。ライネル様が使いづらかったら買い替えてもらっても良いと言っていましたが」


 150年程前に作られたこの屋敷の作りは基本的に魔道具が普及し始めた頃の設計である。仕事柄もあって魔道具集めが趣味なライネルによって最新の魔道具も取り入れられているものの、厨房で言えばオーブンや水回りといった備え付けのものについてはかなり古い魔導具が置かれている。


 ここ数十年で普及した魔道具はある程度の魔力を流し込む能力さえあれば、道具に組み込まれた回路が勝手に魔力を制御してくれるが、それ以前の道具は使用者が自分で細かく魔力を調整して使用しなければならない。当然料理をする人にとっては手間なので、主人の許可があるなら買い替えるものだとばかり思っていたエリーだが、ランスはどうやら違ったようだ。


「確かに最新の魔道具は便利ですが、本当に細かな出力の調整は古い道具の方が優れているのです。それに使用者が魔力を扱うので暴走しにくい、と言う利点もあります。まぁ私の場合、前に務めていたお屋敷がこれまた古い家で旧式の道具に慣れている、というのが一番ですが」


 幸い魔力も豊富でしたし、と笑うランス。


 そんな彼の言葉にエリーはなるほど、と頷く。生まれた時から魔道具が世の中に溢れていたエリーにとっては新しい道具こそ良い道具、と思いがちだが必ずしもそうではないらしい。


「奥様、焼き上がりましたよ。きれいな焼色です」


 という声を聞いて、彼女もオーブンの方へ向かうのだった。


 冷ましたタルト生地にアーモンドのクリームを塗り、さらにきれいに梨のコンポートを並べれば梨のタルトの完成だ。






 慎重に箱詰めしたエリーは昼食の後、ルーゼ達に着替えさせてもらい、上品な薄黄色の外出着に厚手の煉瓦色のコートを羽織って馬車に揺られていた。


 向かうのはもちろんアドレニア城。今日はライネルの上司であり、エリーも城にいた頃に良くしてもらった宰相を訪問するのだ。大事に抱えたお土産のタルトは1時間程は程よい温度を保つようエリーがパチリ、と風の魔法をかけてある。城で暮らすようになってから、それまで知らなかった様々な魔法を習うことになった。






 城の馬車止めに着き、扉が開くとエリーの視界には背筋をぴんと伸ばし一分の隙もない礼をとるお仕着せ姿の女性が目に入った。


「まぁ、マーサ!わざわざ迎えに来てくれたの。久しぶりね。会えて嬉しいわ」


 イーストル邸の侍女頭、ダリアの娘マーサは、現在のアドレニア城の侍女頭だ。当然その忙しさは城の使用人の中でも随一、ということを思い出しエリーは少し申し訳なくなった。


「でもなんだか悪いわ。マーサはとても忙しいのに私の案内だなんて」


 その言葉にマーサは


「とんでもございません。エリー様は国をお救いになった方であり、王族にも並ぶ御方。お世話させていただけるのは大変光栄なことでございます」


「そう? 今はもう普通の奥様だけどね。でもマーサに案内してもらえるのはとっても嬉しいわ。よろしくね」


 そう言って笑顔になるエリーに、マーサも少しだけ頬を緩め、


「さ、こちらへ。宰相閣下がお待ちですわ」


 と言い、歩き始めた。


 どこもだいたい同じような見た目になっているアドレニア城の廊下はエリーが歩くと、いつも迷いそうになるのだが、マーサは迷うことなく、進んでいく。


 後ろ姿からでも、頭が全く振れないのを見て、流石だわ、と感心しつつ、歩いているとふと彼女の頬がピクリと動くのに気づく。ここまで表情一つ変えずに進んでいたのにどうしたのだろう、と思うと、すぐに遠くからささやき声が聞こえてきた。


「今日はエリー様がいらっしゃるそうよ。なんでも宰相閣下のお招きですとか」

「マーシェル子爵令嬢ね。閣下もお忙しいのに低位貴族の令嬢のご機嫌取りだなんて」


 どうやらエリーの噂話のようである。それもあまり良い話ではないようだ。二人目の令嬢など明らかに『子爵』を強調していた。そんな声にエリーも眉をひそめるが、彼女たちの存在に気づいてない声の主たちはさらに話を続ける。


「あら、駄目よそんなこと言っては。今や彼女は国を救ったお方なのだから。まあ事件の終わった後、陛下もどう扱うべきか悩んでいらっしゃったようですが」

「庶民育ち故に、上流の社会に馴染めない。突然高位貴族として扱われることになった者によくあることですわね。以前舞踏会でご一緒しましたが、会話も禄に成立しませんでしたわよ。全く嘆かわしい。どうせなら上流の者が特殊な魔法を使えるようになれば良いと思うのですが」

「そのとおりだわ。たとえ魔力が貴重でも、その後国を悩ませては厄介よね」


 言われていることは確かに覚えのあることだが、自分だって好きで特殊な魔法が使えるようになった訳ではない。そう思い拳をぎゅっと握っていると、気遣わしげな声が聞こえてきた。


「エリー様? 抗議いたしましょうか」


 怒りを押し殺しつつそう言ってくれるのはマーサ。しかし少し考えた後エリーは首を振った。


 貧乏子爵から一躍、王族に準ずる扱いを受けるようになったエリーに対して嫉妬する者は昔からいた。いちいち対応するのも大変だし、ああいった人達は自ら足をすくわれていくものだ、と無視することにし、もう一度あるき始めたエリーだが。まだまだ彼女たちの話は終わらない。


 そして彼女たちの一人の言葉を聞いたエリーの顔がさらに歪められた。


「でも最近ようやく結婚なさったそうじゃない。王家も一安心でしょう。お荷物が出ていって」

「まあそう言わずに。でもそうね、お相手はイーストル魔法伯爵でしたっけ。成り上がりにはお似合いだわ」

「孤児院育ちの魔法貴族ね。国の制度とは言え高貴な血の一滴も流れていない者を貴族と呼ぶのはどうなのかしらね。まあだからこそ聖女の名前と血を欲したのでしょうけど」

「それでなくても宰相閣下や陛下にご贔屓いただいているのにね。それではまだ足りなかったのでしょう。まあ庶民育ちは嫌らしいと言いますから」

「一体どんな手を使って陛下がたにお近づきになられたのか。きっと邪な方法に違いないわ」

「なんなら怪しい魔法を使ったのかもしれないわね。それか第一王女殿下とも親しいそうだから、あの見た目だから殿下とも良い仲なのか」


「エリーと王女殿下のお二方に良い顔をするなんて……嘆かわしいですわ」


 そう言いつつ、フフフ、と笑う。噂の対象がライネルのことに移り、エリーは何かが切れるのを感じた。


「マーサ? やはり先程のことは撤回しても良いかしら。流石に旦那様まで貶されては抗議しなくてはね」


 そう言うと、ちょうど角で噂をしていた令嬢たちと鉢合わせする。彼女たちはエリーが進んでいる廊下と交わる廊下を進んでいたらしい。だからエリーには気づかなかったのだろうが、城の廊下は声が響くのだ。


「あら? 皆様方ごきげんよう。ご無沙汰しておりますわ」


「エリー様。ご機嫌麗しく。あなたのお力にはいつも一同感謝しておりますわ」


 噂話は聞かれていない、と高をくくっているのだろう。何事もなかったようにドレスの裾をつまみ大きく腰を落とす彼女たち。


 そんな彼女たちにエリーはニッコリと微笑んで見せる。眼の前をまっすぐ見据えて、あくまで見せるための微笑みだ。


「過ぎた言葉ですわ。でも中には口さのない者もいるようで……そういえば先程ずっと小鳥がこのあたりでさえずっておりましたね。それも私のことだけならまだしも夫のことまで。さらには王女殿下のことさえも貶めていらっしゃいましたわ」

「そ、そんな。エリー様に悪意のこもった噂話など信じられませんわ。エリー様はいつも国に尽くされていらっしゃいますのに」


 その言葉に安堵するような仕草を見せたエリーにすっとマーサが言葉を挟む。


「エリー様にご心労をかけるなど言語道断。もちろんやんごとなき御方への悪意ある言葉も許されるものではありません。このことはしっかりと近衛に報告いたしますのでエリー様は何も心配なさることありませんわ」

「そう……ありがとう。マーサ。皆様も足を止めてしまってごめんなさいね」

「いえ、では私達も失礼致します」


 エリーを貶した、と近衛に報告する、は言外に陛下に報告する、と言っているようなものだ。暗に聞いていたぞ、と言う二人に令嬢たちは顔を青くして足早に去る。


 彼女たちが視界から去るのをみてエリーは軽く息を吐いた。


「ありがとうマーサ。ごめんなさいね巻き込んでしまって。どうしてもライネル様を悪く言われるのは我慢ならなくて」

「いえ、私も頭にきておりましたし、エリー様ならきっとそうなさると思っておりました。もちろんこのことは本当にきちんと報告し、対応しますからエリー様はお気になさらず。閣下のもとに急ぎましょう」

「えぇ、そうね」


 マーサの言葉にもう一度笑顔を作り直したエリーは廊下を進んで行くのだった。






「いやぁ、やはりエリー様の作るケーキはいつも美味しいですな。これをいただけるだけで老体にムチをうって城に残った価値があるというものです」

「まあ、スウェルヴェル閣下。褒め言葉が過ぎますわ。それに私だけで作ったわけでなく、我が家の料理長にもかなり手伝ってもらいましたし」

「それでもですよ。この洋梨の味がまた素晴らしい。ライネル君も本当に良い奥様をもらいましたな。私は本当に安心しましたよ。結婚なんて全く興味がない、といっていたライネル君がエリー様と結婚して」


 実はこれが仮面結婚だということを上司である宰相には黙っているライネルは微妙な顔をする。


 エリーとライネルが並ぶ反対側に座りニコニコとケーキを食べるのは現宰相スウェルヴェル侯爵。ライネルの恩師の一人であり、先の政変で周囲から請われ仕方なく宰相の座についた、という彼は好々爺のような雰囲気で出世欲もない人物だが、仕事の上ではなかなかの切れ者と評判なのだ。


 今や宰相とその筆頭補佐官は、穏やかそうに見えて実は油断できない二人、ともっぱらの評判だ。


 ライネルの微妙な顔をみて、エリーもまた複雑そうな顔をする。そんな二人の顔をみてえクスリと笑ってから、それはそうと、と宰相は話を変える。


「今だにエリー様のことを悪く言う物がいるとは、困ったものですね」


 エリーが城に着いたことは、二人の耳に届いていたようで、そこからここまで少し時間がかかってしまったため、結果として、道中の出来事を話すことになったのだ。


「ご心配をおかけして申し訳ございません。なんだかんだで特殊な魔法が使えると分かってから半年も経っておりませんし、時間が解決してくれると思っておりますわ」

「しかし、女性の嫉妬は根深いですからね。エリー様も我慢せずに私に言うのですよ」


 宰相にまで心配をかけてしまった、と申し訳無さそうにするエリーに、今日も聞かなかったら黙っていただろう?と苦い顔をするライネル。


 そんな二人のやり取りをみて、宰相はそっと微笑むのだった。


 久しぶりに合う宰相との時間を楽しんだエリーだが、まだ仕事中の二人を邪魔するわけには行かない。お茶を飲み終えたところで退席しようとすると、当然のようにライネルが


「馬車止めまでおくりますよ。エリー様」


 と、彼もまた席を立つ。ライネルも仕事中だから、と遠慮しようとしたエリーだが宰相に当然のように二人で送り出されたことで結局ライネルの言葉に甘えることにしたのだった。


「今日は不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした」

「えっと、なんのことでしょう……。もしかしてここに来る途中の令嬢方のことですか?」


 突然の謝罪に疑問符を飛ばした後、その理由に思い至るエリー。しかし噂をしていたのは彼女たちでライネルは関係ないのでは?と首をかしげるエリーにライネルは天井を見上げて、息を吐く。


「今回の令嬢方が話していた通り私は魔力によって地位を得た貴族で、生粋の貴族ではありません。これが由緒のある、そしてもっと力のある貴族であれば、エリー様への悪意を食い止めることも出来るのに、と悔やまれるのです」


 心底悔しそうな顔をするライネルにエリーは何を言っているのだ、とライネルの方を向いた。


「ライネル様は立派な方ですわ。それにきっと私がどんな方と結婚したって、それこそ王太子殿下と結婚しても絶対に悪口は言われますわ。ライネル様のおかげで国難が去ったのに、あのような言いようをする彼女たちが酷いのです」


 先程のことを思い出したのか、また憤慨するエリーにライネルは「ですが……」とさらに顔をしかめる。


「そんな顔をしないで下さい!ライネル様。私はライネル様のことを尊敬してますわ。きっとそういう人は大勢います。ですから前を向いて下さい」


 そう言ってライネルを励ますエリーにライネルは少しだけ笑みを取り戻す。


「そうですよね。申し訳ありませんエリー様。帰り際にこんな話を」

「ですから謝らないで下さい」


 そんな話をしていると、二人は馬車止めまで来ていた。


「では先に帰ってますわね。今日は遅くなるのですか、ライネル様?」

「いえ、もともと今日は業務の少ない日でしたからね。時間通りに帰る予定です」

「良かったですわ。ではお待ちしていますからね」


 そう言って馬車に乗り込むと、すぐに馬車が動き出す。最後に振り向いたエリーの笑顔に少し救われた気がしつつ、それでも自分がもっと有無を言わせぬ地位を持っていれば、と思わずにはいられないのだった。



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