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7 もう少し歩きましょうか

 邸宅街にあるイーストル邸から馬車で30分ほど、ガヤガヤとした人々の声が響く通りをゆっくりと抜けてその声が少し遠くなったあたりで、馬車が止まった。


「このあたりでよろしいでしょうか旦那様」

「あぁ、ありがとう。また帰りも頼む」

「ありがとうございます、ブロンクスさん」


 ブロンクスが開けたドアからヒラリと身軽にライネルが降りると、身をひるがえしてエリーに手を貸してくれる。ライネルの手を取って石畳の通りに降り立ったエリーは息を呑んだ。


「まぁ、素敵。職人街は何度も来ていたつもりでしたが、こんなところがあるなんて知りませんでした」

「このあたりは上流向けの品をつくる職人が集まっていますし、やや奥まってますからね。王都に何年も住んでいても知らない、という方も多いはずです。さぁ行きましょうか、奥様」


 そう言って腕を差し出すライネルに寄り添ってエリーは歩く。そうして二人は一見の工房に入っていった。


「こんにちは、ローレルさん。約束していたライネルだ」

「これはこれは、イーストル卿。わざわざこんなところまでご足労を。感謝いたします」


 そう言いながら奥の方から現れたのは仕立ての良いベストをにメガネを掛けた初老の男性。職人とはいえ、エリーの知る下町の威勢のよい雰囲気の人物ではないが、その手はがっしりとしていて確かに職人であることを物語っている。


「いやいや、こちらこそ忙しいのに悪いね。それと彼女が妻のエリーだ」

「エリー・イーストルですわ。今日はよろしくお願いします」


 そう言ってその場で軽く膝を折るエリーに職人は相好を崩し微笑む。


「いやいや、まさかイーストル卿が結婚なさるとは。話には聞いておりましたが、素敵な奥様で。ご丁寧にご挨拶いただき感謝致します。未熟ながら家具の修繕などをしておりますローレルと申します」


 その言葉にライネルが笑う。


「未熟とは謙遜を。ローレルさんはアンティーク家具の修復については王都一とされる知る人ぞ知る職人だ。王宮の品も随分面倒を見てもらっている」

「この道の者からするとまだまだなのですよ。さて、今回は卿の御自宅の家具でしたな。以前お伺いしたときの印象でいくつか選んではおりますよ」


 そう言うと、どうぞこちらへ、と工房の裏の方へ進んでいく。エリーは余り目にすることない工房の中を興味深く見ながら、ライネルと共に彼に続くのだった。


 様々な工具が置かれた作業場を抜けると、そこには狭い店先からは想像もつかない程広い空間が広がっている。そしてその一面にはびっしりと多種多様な家具が置かれ、古い木や皮の香りが充満している。どれも年季を感じる家具だが、しっかりと磨かれ光沢を放っているのが遠目でもわかった。


「イーストル卿のお宅に合うのでしたらだいたいこのあたりでしょうな。じっくり御覧ください」


 一見すると、雑然と置かれているようだが、ローレルの中では整理がなされているらしい。屋敷にもとからある家具と作風が似ている家具が置かれた一角を示され、ライネルとエリーはそちらへと歩を進めた。



 そもそも二人が今日ここへ来たのは数日前の夜の会話が発端だった。


「エリー様。やはりなかなか決まりませんか?」

「ごめんなさいライネル様。こんなに時間をかけるつもりはなかったのですが、家具を選んだことってなくて……。それに高い買い物ですから、色々と迷ってしまって」


 そういうエリーが手に持っているのはいくつもの家具の絵が載ったカタログ。今日の昼にこの屋敷にやってきた商人が置いていったものだ。


 とりあえず一通りの家具類は揃えてあったイーストル邸だが、その多くは前の住人が残していったもので、やや古めかしかったり傷んだりしているものもある。特にエリーやライネルの私室や寝室は、前の住人の好みが色濃く出ていることもあり、現代からするとかなり時代遅れな雰囲気が出ていた。


 そこで家具を扱う商人を呼び、いくつかもってきてもらったサンプルなども見ながら新しい調度品を選んでいたのだが、この年季の入った屋敷に上手く溶け込ませる家具、となるとなかなか難しく、エリーは考え込んでしまったのだった。


 一旦カタログを貰い、夕食後にいつものライブラリーでライネルと眺めていたエリーだったが、その眉間に皺が集まってしまうのは仕方がないことだった。


「時間はいくらかかっても大丈夫ですよ。エリー様が暮らす屋敷なのですから、あなたが一番良いと思えるものをゆっくり探してもらえば良いのですーーがやはりこういった買い物の仕方は慣れませんか」

「正直に言うと……。もともとこういう高い買い物は慣れてないのですが、街では店に出向いて買うのが一般的だったので」

「まあ、そうですよね。そうだ、でしたら一緒に街に行きましょうか。それに一人こういった屋敷に合いそうな家具をたくさん扱っている人を知っているのです」

「えっ、とっても嬉しいですがよろしいのですか?一緒に街に行くとなると、ライネル様が一日お休みをしないといけないのでは」

「別に私とて、休みが無いわけではないのですよ。これまでは城で生活していたから休みでもなんだかんだ働いていただけで。それに王太子殿下からも部下たちにも示しがつかないからきちんと休むように言われているので、これからはきちんと週に一日は登城しない日を作ろうと思っていたところです」

「そうなのですね」

「えぇ、ですから次の休みにその工房を訪ねても大丈夫か尋ねてみます。大丈夫そうなら少し変装をしてお忍びで向かいましょう」


 そうして、二人は今日ここへやってきたのだった。



「まぁ、この文机は重厚だけど、所々に花の模様が掘ってあって可愛らしいわ。このあたりの家具は薔薇のモチーフが多いのですね」

「この辺に置かれているのはイーストル邸が建てられたのと同じ150年程前の品です。おっしゃるとおり当時は薔薇の意匠がもてはやされたのだとか。当時の王室は薔薇を紋章としてましたからね」

「そう言えば、子供の頃に学校で習いましたわ。薔薇と魔法の時代ですわね」


 時折、ローレルがしてくれる解説を興味深く聞きつつ、エリーは所狭しと置かれた家具を見て回る、とその視線が一つの小さなランプに注がれた。


「あら、これは何かしら? 珍しい形ですわね」


 これもまた薔薇の繊細な彫刻がなされた枠にガラスがはめられその中で淡い光が満たされている。その美しさにホォっと息を呑んだエリーが思わずそのガラスに手を伸ばした瞬間、隣から慌てたような声と手が飛んできてエリーの手を押し留めた。


「おっと。エリー様、それは触っては駄目です。やけどをしますから」

「そう……なのですか?」

「えぇーーなるほど。エリ、奥様は魔法灯ではないランプを見たことがないのですね。このガラスの中は本物の火が点いているのですよ」

「ほ、本物の火ですか!」


 その反応に今度はローレルがクックッと笑いを漏らした。


「えぇ、薔薇と魔法の時代は魔道具への転換期ですから。まだその前の時代の道具もたくさん活躍していました。魔導具が生まれる前はこうして本物の火を使って灯りを灯していたのですよ」

「魔導具が一般的に使われるようになってすでに百年を越していますからね。奥様がこういったランプを知らなくても無理はありません。ですが私がローレルと知り合ったのはこのランプがきっかけなのですよ」

「そうなのですか?」

「はい、ほら魔力暴走がひどかった時期、各地で魔導具が使えずに問題になったでしょう? そこで一時代前の品ですが、魔力を使わない道具を使えるようにしておけないか修復技術を持った職人を探していた時に出会った一人がローレルさんだったのです」

「幸い魔力暴走は春の出来事で半年ほどで収まりましたからな。私の出る幕はありませんでしたが、寒い冬にでもかかっていたら大変でした。これもひとえにエリー様のおかげですな」

「ありがとうございます」


 突然の褒め言葉に恥ずかしくなるエリー。そんな彼女をライネルは少し誇らしげなかおで見守るのだった。


 結局工房にはなんだかんだで小一時間はいただろうか。値札などはついていないが、その作りから安いものではないことはわかる家具達の中から、エリーが興味を示したものをポンポンと買っていくライネルにエリーは恐縮したが、


「今までほとんどお金を使っていませんでしたからね。こういう時は使わないと」


 と、ライネルは気にする様子もない。まあ、仕事中のきっちりした予算管理を見るに彼が大丈夫というなら大丈夫なのだろう、とイーストル家の家計事情は一旦置いておくことにしたエリーは素直にライネルに感謝しつつ、工房をあとにしたのだった。


「さて、とりあえず予定は終わったのですが、まだ随分と陽が高いですね。奥様はどこか行きたい場所はありますか?」


 特殊な魔法を使えることが分かってから満足に街の散策もできなかったでしょう? と尋ねるライネルに


「そうですわね。旦那様さえよろしければセント・ハイネス通りなどはいかがですか? 今の時期だとちょうど焼き栗が美味しい季節ですわ」

「露天の焼き栗ですか。懐かしいですね。よしではブロンクスを呼んで……いや、せっかくだし乗合馬車を使いますか? これも久しぶりでしょう」

「そうしましょう!」


 セント・ハイネル通りは王都を東西に貫き城にまで至る街一番の大通りだ。人がひっきりなしに行き交う通りの両脇は魔法灯と街路樹で整備され、その脇に多種多様な店が並ぶ光景は王都を代表する光景と言っても良い。


 エリーも下町ぐらしの頃、何度か訪れたことがあるが、恋人や夫とここを歩くのは、王都中の女性たちの憧れ。自分たちの状況はやや特殊だが、街で行きたい場所と言われて真っ先に思い立つのも無理はなかった。


「はい、熱いので気を付けて下さいね。あぁ、ちょうどそこにベンチがあるので行きましょうか」


 そう言ってライネルが渡してくれるのはエリーにとっては一抱えもある湯気の立つ紙袋。


 夏はアイスクリーム、冬はホットワイン、と季節折々のものを売る露天が道路脇に並ぶのも通りの名物。少しギリギリではあるものの、それでも秋の王都の風物詩とも言える焼き栗の露天はあちらこちらに出ており、そのうちの一軒でライネルが買い求めたのがこの紙袋だった。


 二人並んでベンチに座るとエリーは早速焼き栗屋さんがくれた薄紙を膝に広げて袋から栗を一つ取り出し、器用に剥いて口に入れる。すると香ばしい香りと栗のほのかな甘味が口に広がりエリーは頬を緩ませた。


「喜んでいただけて何よりです。それにしても上手ですね」


 食べ方を言っているのだろう、少しクツクツと笑いながら言うライネルにエリーは肩をすくめる。


「毎年年末になると母がここへ連れて来てくれたのです。そして買い物の後に焼き栗を買ってもらえるのが楽しみで。そして妹たちと競って食べているうちに上手になってしまったのですわ」


 食い意地がはっていてすいません、と少し恥ずかしがるエリーにまたライネルが笑う。

 あれだけたっぷりあった紙袋も二人で街の景色を眺めおしゃべりしながら食べるとあっという間だ。エリーから皮だけが入った紙袋を受け取ったライネルは、


「さて、ではもう少し歩きましょうか。良いものがあれば年末の飾りを買っていっても良いですし、家の者たちにお土産も必要でしょう?」

「えぇ、そうですわね」


 そう言って、差し出された左腕に寄り添ったエリーは久しぶりの街歩きを楽しんだのだった。

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