6 奥様出かけましょうか
「まぁ、素敵! こんなドレス一度着てみたかったの。ライネル様が用意してくださったのよね」
クルリ、クルリとエリーが鏡の前で回るたびにドレスの裾が翻る。普段装うことに余り頓着しない主人の姿に侍女たちは苦笑いだ。
「はい、旦那様が既製品で良いからこういったドレスを一着用意して欲しいと。ほとんど直すところがなくてよかったですわ」
「奥様が下町で暮らしていらした頃に憧れていたドレスだとか。ちょうどお忍びで着るには良いですね」
「そうなの! 新しいドレスは高級品でしょう? それに流行りのものならなおさら。ちょうど私が成人した時にはこんな唐草文様が流行ったのよね」
「覚えておりますわ。あの頃は東洋趣味の服や模様が貴族から庶民まで人気でして」
そう答えるのは、服飾の知識が疎いエリーを支えるために、と雇った侍女の一人、ルーゼ。大きな仕立屋の娘でそういった方面に詳しく、主にエリーの服や装飾に関する仕事をしつつ、上流社会でのドレスコードについて教えてもいる。
「そうだったのね。なんだかあまり見ない雰囲気の模様だと思ったらそういうことなのね。それで私も着てみたかったのだけど、手が出せなくてね、成人のお祝いは一つ前の流行りのものを用意したのーーってごめんなさい。その時のドレスもとっても素敵だったのよ」
エリーが貴族位にありながら、とても貴族とは思えない、生活をしていたことを侍女たちは知らされている。エリーが披露するエピソードで少し物悲しくなった部屋の空気を払拭するように、エリーが明るい声をだした。
「中古だったけど、素敵なドレスを着て、お父様のヴァイオリンに合わせて街のみんなで歌って踊ったの。この世界に住んでいたら絶対出来ない経験よ。だからあのときのドレスもとても素敵な思い出だわ」
その時の街の賑わいを思い出し語るエリーに侍女たちの顔にも笑顔が戻る。もとに戻った雰囲気に安堵しつつ、ところで、とエリーは首をかしげた。
「それにしてもライネル様はどうして私の着てみたかったドレスのことを知っているのかしら?」
「奥様がお話されたのではないのですか?」
「それがそんな記憶はないのよね。もしかしたらなにかの時にふと話したのかもしれないけど」
「きっとそうですわ。旦那様は奥様の話されたことは一字一句覚えていらっしゃいそうですもの」
「特にあまり服装に頓着なさらない奥様がドレスについて話されたのでしたら、必ず覚えていらっしゃるはずです」
愛されておいでですね、というように口々に言う侍女たちに恥ずかしさ半分、実は仮面夫婦なのに、という申し訳なさ半分でエリーはいたたまれない気分となるのだった。
「お待たせしましたわ。ライネル様」
「いや、私も先程準備ができたところですよ、エリー様」
侍女たちによってルーゼ曰く良家の若奥様のお出かけ風に装ったエリーが玄関に来ると、すでにこちらもコートを羽織って、あとはステッキを持ち、ハットをかぶるだけのライネルが待っていた。
「そのドレス……着てくださったのですね。とてもお似合いですよ」
ライネルの側まで来たエリーの装いを見たライネルはそのドレスをみて頬を上げ、目を細めた。
「もちろんですわ。前から着てみたかったドレスですの。ありがとうございますライネル様」
「喜んでいただけて何よりです。前からその模様は着てみたいとおっしゃっていましたもんね」
そう言って笑うライネルにエリーは疑問を思い出した。
「それなのですが、このドレスを頂いたときから少し疑問だったのですが、私、こんなドレスが着たかったというお話をいつかしましたでしょうか」
恥ずかしながら記憶になくて、と苦笑いするエリーにライネルが「おや?」という顔をする。
「ほら、いつかの執務室でのお茶会の時ですよ。ちょうど新しいドレスを作らなければ、という話の時にこの模様の話になったのです。あの時はもう、流行には少し遅れているので採用できませんでしたが、今日のようなお出かけなら問題ありませんからね」
「そうだったのですね、全く覚えておりませんでしたわ」
そんな話をしたことを完全に忘れていたエリーは赤面する。後ろにいる侍女たちの「ほら、やっぱり旦那様はエリー様の言葉は忘れないでしょう?」という表情が余計に恥ずかしさを助長した。
そんなエリーの気持ちを知ってか知らずか、彼女の直ぐ側に寄ってきたライネルはもう一度彼女全身に視線を走らせた。
「ドレスは変えたので、あとは魔法ですね。そこでじっとして下さい」
そう言うと、パチリ、と指を鳴らす。一瞬だけ光がエリーを包み、すぐに消えると、眼の前のライネルは満足そうにしている。
「完璧です。鏡をご覧になって下さい」
その言葉にサッと後ろに控えるルーゼが手鏡を差し出す。鏡を見ると、エリーの栗色の髪は落ち着いた赤色に、黒っぽい灰色の瞳は青に変化していた。
「さすがですわ、ライネル様、なんだか自分じゃないみたいです」
「褒めすぎですよエリー様。簡単な魔法です。ただ髪と瞳の色を変えるとかなり印象は変わりますからね。これで街に出ても騒ぎにはならないでしょう」
「はい、ライネル様! 街に出かけるのは仕事以外では久しぶりなので楽しみです」
そう、今日は二人で街に出ることになっていたのだ。
ただ、国を救ったことで有名になってしまったエリーは街に出ればすぐに正体がバレてしまう。そこで身分を隠し、姿を変えて出かけることにしたのだった。
さて、では行きましょうか、ともう一度パチリと指を鳴らし、何事もなさげに自身にも変装の魔術をかけたライネルだったが、そこで待ったがかかった。
「お待ちになって下さい旦那様、若奥様」
玄関に響く、落ち着いているが、有無を言わせぬ声はイーストル邸の使用人達を束ねるダリアのものだ。腰に手を当てて二人を見たダリアはライネルに話しかけ始める。
「外見は、衣装と魔法でなんとかするとして、その呼び方はどうにかしないといけないのではないでしょうか? 旦那様」
「呼び方か?」
その言葉に、ライネルはよくわからない、とでも言いたげに首をひねる。一方エリーはなんとなくダリアの言わんとする所を理解した。
「もしかして、私とライネル様がお互い様付けで呼んでいることでしょうか?」
「その通りでございます。今まではお二人のことなので特に指摘はしておりませんでしたが、流石に街中でその呼び方は浮いてしまいますよ」
「まぁ、そおよね。そもそもファーストネームに敬称をつけるのがおかしいんだけど……、でもこの呼び方で慣れちゃったし、ライネル様のことを呼び捨てにするのもなんだか申し訳ないのですが」
「エリー様は国を救った方でいらっしゃいます。しがない一官吏にすぎない私が敬称でお呼びするのは当然のことです」
そもそも二人の家の身分関係で言うと、魔法伯爵の位を持つライネルのほうが上にある。ところがエリーは国を救った功績で王族に準ずる立場となった。エリーのような特別な魔力の持ち主は伝統的に名前で呼ばれることが多く、特に貴族たちはエリーが結婚するまではライネルに限らず「エリー様」と呼ぶ人が多かった。ここに、「イーストル卿」という堅苦しい呼び方を嫌うライネルの主張が混じった結果、この夫婦の不思議な呼び方が出来上がったのだ。
どちらもいまさら呼び捨てになど出来ない、「さん」付も違和感が、などと言う二人にダリアは大きくため息を吐いた。
「でしたらせめて、街にでかけている間でも呼び方を変えてみてはいかがでしょう。例えばエリー様は『あなた』と呼びかけるとか。他にも名前以外の呼び方は色々ありますわ」
「そう言えば、以前読んだお話でも主人公はそんな呼び方を恋人にしていましたわね」
なるほど、と頷くエリーにダリアはさらに続ける。
「仲の良い恋人同士を演出するなら、『私の最愛』とかそんな呼び方もよろしいかと」
その言葉にエリーの側にいたルーゼも便乗する。
「私は以前街で、「親愛なる人」と男性を呼んでいるのをお聞きしましたよ」
その言葉に今度はライネルが反応する。
「それも良いかもしれないですね、となると私はエリー様をなんとお呼びすれば良いのでしょう」
その言葉を皮切りに玄関に集まった人たちから、次々にこんな呼び方が良いのでは、声が上がり、ライネルがなるほどなるほど、と頷く。
一方、ライネルが恋愛方面の知識にやや疎いことを知っていたエリーはこのままではかなり恥ずかしい呼び方をすることになってしまう、危機感を募らす。とそこで自身の両親を思い出した。
「そうだわ! 私の両親は『奥様』、『旦那様』と呼び合っていたのですがどうでしょうか?」
エリーのその声ににぎやかだった玄関の声がぱっと静まる。その静寂をまず破ったのはライネルだった。
「良いのではでしょうか。それでしたら私も呼びやすいですし、違和感もありませんよね」
「えぇ、やや堅苦しいかもしれませんが問題ないと思います。むしろ今のお二人の雰囲気には丁度良いかと」
その言葉にライネルはではこれで良いでしょうか?とエリーに訪ね彼女も頷く。
「えっとでは……改めてでかけましょうか奥様」
「そうですわね旦那様」
なんだかいつもと違う呼び方にむず痒さを感じて、顔を見合わせて笑いつつ、二人は玄関をでていく。そんな二人を見送りながらダリアは
(これで仮面夫婦なんて信じられないわ)
と心のなかでつぶやくのだった。