3 安らげる場所にしてみせますわ
ここ数日のバタバタで少し疲れていたエリーは自室で少し休ませてもらうことにする。そして陽もすっかり暮れた頃夕食の支度ができたから、とダリアにこれまた天井の高く、広いダイニングルームに案内された。ダリアに続いて部屋に入ったエリーはテーブルの上をみて「まぁ! 」と歓声を上げた。
「ダリアさん。これを一人でお作りになったのですか?」
「私は料理人ではありませんので、どちらかと言うと家庭的なものばかりですし、給仕も私しかおりませんのでテーブルに一度に並べる形にさせていただきましたが」
「いえ、ごちそうですわ。それになんだかこういう食卓って下町で暮らしていた頃の食卓を思い出して懐かしいです。もちろんこんな豪華な料理が出ることなんてお祝いでもないですけど」
「そう言っていただけると作りがいがあります。さ、旦那様はもういらっしゃってますから、エリー様も席にお付きになって下さい」
その言葉にテーブルをもう一度見ると、奥の席にはすでにライネルがかけている。年甲斐もなくはしゃいだところをしっかり見られたことが途端に恥ずかしくなったエリーは、少し肩をすくめてから、ダリアが引いてくれたライネルの正面の席にかけ、ナプキンを広げた。
「お待たせして申し訳ございません、ライネル様。それに大きな声も出してしまって」
王宮のマナー講師が入れば確実に咳払いはされているだろう先程の振る舞いを思い出しエリーが謝る。そんな彼女にライネルは微笑んだ。
「私もさっき来たばかりです。それにここには私達二人とダリアしかいないんですから、そこまでマナーを気にすることもありません。エリー様が気を張らずに過ごせるのが一番ですからね」
そう言いつつ、ダリアにライネルが視線を送ると、心得たように彼女はテーブルの上に置かれていたワインの栓を抜き二人の前に置かれたグラスに注ぐ。ダリアがエリーの後ろに戻ると、ライネルが「さて」とエリーに声をかける。
「せっかくだから、この屋敷を買った時にお祝いにもらったワインを開けることにしましたよ」
「そんな、良いのですか?」
「もちろん。今日は結婚初日。本来なら祝宴を開いている頃ですからね。ささやかですがお祝いしましょう。これからよろしくお願いします、奥様」
「はい、もちろんですわ。よろしくお願い致しますね。旦那様」
そう言って微笑みあった二人はグラスを掲げ、ささやかな、招待客は誰もいない、ささやかな祝宴が始まったのだった。
ダリアは謙遜したが、テーブルの上には緑が映えるサラダに、この国では秋から冬にかけて多く食卓に登るきのこをたっぷりと入れたシチュー。メインはひき肉をたっぷりと包んだミートパイ、と確かに家庭的だが豪華な料理が並ぶ。その美味しさをライネルとエリーは絶賛した。
そうして食事が終わると、エリーはライネルに手を引かれ、ライブラリーに移動する。
こちらの暖炉にも火を入れておいてくれたようで、パチパチと炎が弾ける音がダイニングやリビングに比べると狭い部屋に響いていた。
「まぁ、素敵。なんだかダイニングなんかと比べるととっても落ち着いた雰囲気ですわね」
「お城にいる時の好みからして、この部屋は気にいるだろう、と思っていました。夕食後にお酒を嗜んだり、お茶をしたりするための部屋ですね」
「そのためだけの部屋があるんですね。さすが貴族のお屋敷ですわ」
「まぁ、お客を招いたりすることを前提にした作りですからね。今日案内した他にも相当部屋数はあります。何なら私も一度も入ったことのない部屋も」
そう言ってライネルは苦笑いしつつ、壁際の書棚の隣にある酒の瓶がいくつか並べられた戸棚からグラスと瓶を2つ持ってきた。
「さて、せっかくだからもう少しだけお酒を頂こうかと思うんですけどいかがでしょう?お茶のほうが良ければ用意させますが」
「そうですわね……、せっかくですし少しだけいただきますわ」
その答えに微笑むと、壁際に置かれた重厚な作りだが、それでいて柔らかそうなソファにエリーを案内し、グラスに酒を注いだ。
「さて、では改めて乾杯」
「乾杯」
ライネルの声に合わせると、エリーは小さなグラスに入ったとろりとした液体を口に含む。
「まあ、美味しい。甘くて飲みやすいですね」
「レモンを漬け込んだお酒ですね。度数も高くないから女性向けです。ソーダで割っても美味しいそうです」
そう言いつつ、ライネル自身は琥珀色の液体が入ったグラスを傾ける。その姿がいかにも様になっていてエリーは深くにもどきりとしてしまう。その気持ちをごまかすようにエリーはライネルに声をかけた。
「それにしてもダリアさんはすごいですね。この大きな屋敷を一人で管理するなんて。でも早くほかの使用人たちを雇わないといけませんわよね」
突然すぎるかな? と思ったエリーだがライネルは特に気にしなかったらしく、微笑みながら答えてくれる。
「そうですね。一応週に何度かくる通いの使用人は他にもいるのですが、私達が住むのなら、住み込みの使用人を雇わなければなりません。とりあえずあなたの侍女と家事全般を受け持つ女性使用人を何人か。あと料理人に従僕と。庭師と屋敷の補修を担当する使用人は通いの者がいるのでここの専属にならないか交渉するとして、あと執事もですね。せっかくでしたら領地管理等も出来る者を探しましょう。エリー様は恩給として少しですが領地が与えられていたでしょう? 今は王宮で管理していますが、ご自身で管理できるよう、勉強されると良いと思います」
「そ、そんなに必要なのですね」
「これでも最低限です。これまでこの屋敷はほとんど機能させていませんでしたからね。エリー様ももう少し忙しい日々が続くと思いますが我慢して下さい」
「もちろんですわ。むしろライネル様こそ後悔なされてませんか。求婚から逃れた、と思ったら手配することが山積みで。私はあまりお役にたてませんし」
「こうして環境を整えたりすることは好きなので苦ではありませんよ。これまでは城に住んでいる状態だったのでしていなかっただけで。それにこうしていると帰って安らげる家があるというのも悪くないかな? と思い始めています」
「悪くないかな? だなんて。これまではどこで安らがれていたのですか?」
「もちろん休息は取っていましたよ。体力を回復しないと仕事に差し支えがありますからね。城に頂いた部屋も決して居心地が悪い場所ではありません。ただ必要だから休んでいた、というかそれも仕事の一部、というか。安らぎとか余暇を得る必要、というのは考えたことがありませんでした」
「もう! ライネル様は仕事人間過ぎですわ。城にいたときから思っていたのですがいつか体か心を壊さないか心配でした」
「そんな風に思われていたとは。しかし確かにそういう点でもこの仮面結婚は良かったのかもしれません。この一年で私も暮らし方を考えてみます」
「でしたらここをライネル様にとって安らげる場所にしてみますわ!」
「あなたはやる気を出すと、頑張りすぎる傾向にありますから。それで何度倒れたことか。気を付けて下さいね」
城にいたことを思い出し眉を下げるライネルに
「ライネル様は過保護なのですわ」
と笑い、そしてグラスを傾けるエリー。二人の声と炎の音だけが響く部屋で新婚夫婦の時間はもう少し続くのだった。
二人がライブラリーへ行ってから一刻程たち、少し様子を見ようと、やってきたダリアが見たのはライネルの肩に頭をくったりと預けて眠るエリーの姿だった。
ダリアの姿を認めたライネルは指を唇の前に当てて「静かに」というような仕草をする。
「まあ、ぐっすりお休みですね。お酒は結構召し上がられたのですか?」
「いや、一杯だけだよ。ちょうどグラスを空けたぐらいで目がトロンとしてきて、声がしなくなったと思ったらこうなってた。そんなにお酒が弱い人ではないんだけどね」
何度か一緒に王城のパーティーに出たこともあるライネルはエリーが結構呑めることを知っていた。
「きっとお疲れだったのですわ。でもどうされます? 寝室の準備は出来ておりますが。ご要望どおり別室で」
「別室」を強調した声にライネルは苦笑する。
「このまま眠っていたら体を痛めてしまうからな。私が抱き上げて連れて行くことにするよ」
「かしこまりましたわ。ではお部屋についたらお召替えをさせていただきます」
「そうしてくれると助かる。ダリアには本当に世話をかけるね。可能な限り早く使用人を集めるから少しだけ辛抱してほしい」
「このぐらいどうってことありませんわ。エリー様のためにもしっかり選んで下さいませ」
「あぁ、そうするよ」
そう答えると、エリーを起こさないよう、そっと膝と背中に手を回して抱き上げたライネルはゆっくりと彼女の寝室へ向かうのだった。