16 足りないのは経験だと思うの
「まさかライネルの屋敷で魔力暴走とは、大変だったわね」
「幸いすぐに力を使って沈めましたので怪我する人もいなかったのですが、あれが私やライネル様のいないところで起きていたら、と思うとゾッとしますわ」
炎を上げて燃え上がるオーブンを思い出し、エリーは身を震わせた。
「魔力暴走は完全に落ち着いた、と思っていたのだけどね。またぽつぽつと話を聞くようになってきたのよね」
ポツリ、とこぼしたアデレード王女に向かいのエリーは
「そうなのですか!」
と立ち上がらんばかりの勢いで驚いた。
「あら? ライネルは話してなかったのね。まあ彼ならありえるかしら」
「ライネル様が最近お忙しくなさっているのは知っていたのですが、まさか魔力暴走だなんて。教えてくださっても良いですのに」
すこし不満そうなエリーを見て王女は苦笑する。
「まあ、ライネルはあなたが特別な力を持つからこそ出来るだけこの件にあなたを巻き込みたくないんじゃないかしら。去年の魔力暴走の時も相当気にしていたし」
「ですが、使ってこその特別ですわ」
「まあ、そうなんだけどね。エリーを危険に晒したくないライネルの気持ちもわかる、という話よ。それにまだ私のところにも少し報告が上がって来ている程度の話だからね。去年のとは規模が違うわ」
エリーが活躍した去年始めの魔力暴走。あの時はそれこそイーストル邸で起きた以上の魔力暴走が国中で毎日のように起き、このままだと国が滅びかねない、と危惧する人が本気で出てくる程だったのだ。そう考えると確かにかなり状況は違う、と言えた。
「まあ、政務省や魔法省の面々でどうにか出来るうちは彼らに任せておきましょう。それより今日エリーを呼んだ理由よ」
そう言うと王女はすこし居住まいを正し、何やら小さなカードを取り出す。エリーもまた改めて姿勢を正してからそのカードを見た。
「舞踏会が終わって早々なんだけど今度は城の茶会に呼ぼうかしら、と思って。まあ人数はそれなりだけどみんな女性だし、昼過ぎに始まって夕方までだから、夜会よりはハードルは低いわ。あなたに聞く限りドレスの新調も不要そうだし」
そう一息で言い切った王女にエリーは
「お茶会? ですか」
と言いつつそのカードを手に取った。
「ほら、この前の舞踏会でブラニフ卿とあなたを会わせなかったのを気にしていたでしょう。きっとエリーに足りないのは経験だと思うの。それに女性同士のつながりは社交界では大きな武器。私のお友達も紹介するわ」
正直なところ社交には苦手意識のあるエリーだ。だが実際前の舞踏会では力不足を認識したし、王国貴族の知り合いが目の前のアデレード王女ぐらい、という状態をいつまでも続ける訳にも行かないのも知っている。そんな彼女に王女は畳み掛けた。
「さっきも魔力暴走の話を知らなかったでしょう? あれも貴族たちの間ではすでに噂されているわ。イーストルもこの国では一目置かれる貴族なんだし、アンテナは貼るべきだと思うの」
そう言われると、エリーは何も言えない。「よしっ」と心のなかでつぶやくとしっかりと王女の目に視線を合わせた。
「王女殿下のお気遣いに心より感謝致します。ご招待、有難くお受け致しますわ」
「本当! 嬉しいわ。前からあなたのことを友人たちに紹介したいと思っていたの」
そう弾む声で言う王女。王女の友人となると、当然高位の貴族の令嬢たちだろう。すこし不安になりつつも早くこの世界に慣れないと、とエリーは決意を新たにするのだった。
その日の夜。今日もまた夜遅くに帰宅したライネルが軽めの夕食を摂るのをテーブルの向かいでお茶のカップを手にしながら見守るエリーは、その食事が一段落するのを待って今日の昼の話をライネルに伝えた。
「王女殿下のお茶会ですか? 確かに社交界に出入りする練習には良いでしょうが、エリー様の負担にはなりませんか?」
「もうっ、ライオル様は相変わらずですわね。今回はお昼の集まりですし、大丈夫ですわ。それにこの前の舞踏会で社交経験がないとまずいことは認識しましたし」
「エリー様がやる気なら応援しますよ。王女殿下のご友人もご紹介いただけるなら、今後エリーさまにとっては心強い味方になるでしょう。王女殿下より常識的な方ばかりですしね」
王女のことは尊敬しているが、同時に困った人だとも思っているライネルの言葉に苦笑しつつ、「ところで」と昼からずっと気がかりだったことをエリーは口にした。
「王女殿下から最近魔力暴走がまた起きている、と聞いたのですが……。ライネル様が最近お急がしそうなのは、もしかしてそれが原因ですか?」
「殿下が……。あぁ、そうですか。まだエリー様の耳には入れたくなかったのですが。そうですね、去年の暮れぐらいから各地で魔力暴走の報告が上がってきています」
「我が家のこともありましたし、なんだか不気味ですわね。また半年前のようなことになるのでしょうか?」
「そこまではまだ。そうならないために今魔法省と調査をしているところですしね。ただ去年とは報告数が比べ物にならない程少ないですからね、今のところはエリー様が心配するようなものではありません」
「勿論魔力暴走も心配ですが、それ以上に私はライネル様のことが心配ですわ。去年の魔力暴走の時だって、休む暇が無いほど働いていらっしゃったじゃありませんか。今はあの時より昇進されていますし、更にお忙しくなっては体を壊してしまいますわ」
「心配してくださっているんですね。有難うございます。確かに忙しくなってきているのは事実ですが、こうして毎日屋敷に戻ってきていますし、部下に任せれることは任せています。体の管理はきちんとしていますから大丈夫ですよ」
「そうだったら良いのですが。くれぐれも無理はなさらないで下さいね」
そう言うとエリーはライネルも食後のお茶を飲み干したのを見て侍女に目で合図をする。ライネルに余裕があった時はこの後ライブラリーに行くのが定番だったが、最近はその時間もなく、この日もそのままお休みの挨拶をした二人はダイニングで別れ、それぞれの部屋へ向かったのだった。
「王女殿下、イーストル魔法伯爵の妻、エリーにございます。本日はこのように素晴らしい茶会への招待を頂く栄誉を賜り、心より感謝致します」
そういったエリーは手先足先まで意識を巡らせて、ピンと伸ばし、上品に微笑んでゆっくりと膝を折る。自信の背の半分ほどまで頭の位置を落としつつ、軽く頭を垂れ、数秒。なんとか顔には出さないようにはしているものの緊張で心臓が早鐘のように打つのを感じていると、頭上から柔らかな声が降ってきた。
「イーストル魔法伯爵夫人。ようこそいらっしゃいました。国を救った人として名高い夫人をお迎え出来るのは私にとっても王家としても大変な誇らしく思います。さあ、頭を上げてくださいな」
普段のお転婆姿はどこへやら、バラの刺繍を随所に散りばめつつも落ち着いた赤いドレスを纏ってエリーに声をかけるのはアデレード王女。しかしそのいつもと違う落ち着いた声音が、逆にこの場がどこなのかをエリーに意識させ更に緊張させた。
とは言え、前回の舞踏会とは違い、ここにはいつも助けてくれるライネルはいない。その分エリー一人の振る舞いがイーストルの名誉に関わる。緊張で固まっている場合ではない、となんとか表情が引きつらないよう意識しつつ、顔をあげると、王女と視線が合い、その一瞬王女の目がいつもの様にニコッと孤を描いた。
「さて、あなたには紹介したい人がいるのですが、その前に私は挨拶しなければならない人がいます。また時間を取りますのでそれまでは私がよりすぐった茶と菓子を楽しん下さい。それでは後ほど」
王女がそこまで言うと、エリーは改めて身を低くし、それからすでに多くの人が行き交っている中へと入っていく。
給仕をする城の侍女の一人と目が合うと、彼女はさっと茶器のセットが乗ったカートをおして近づき、美しい水色のお茶を入れてくれる。その芳しい香りにようやく少し心が落ち着くのを感じながら、改めてエリーはあたりを見回す。
今日のお茶会はアデレード王女が開いたもの。招かれたのは彼女と歳のちかい若い夫人や令嬢が多く、一応は私的な会という触れ込みだが、その顔ぶれは錚々たるものだ。そして彼女たちの中にはすでにグループが出来ており、その中にも外にも序列があるのが見て取れる。その詳しい相関図までは不勉強なエリーには理解できたなかったが、一つ言えるのは、知り合いと言えば恐れ多くも王女殿下ぐらいであるエリーはこの場で浮いてしまっているということだった。
こうなることは承知していたのだろうか。アデレード王女が一通りの挨拶を終え、満面の笑みでエリーの元に来たのはまだエリーが一杯目のカップを空にする前だったから想像していたよりずっと早かった。
「改めましてエリー、来てくれて有難う。素敵なお茶会でしょう?」
さっきとは打って変わった気軽な口調。それに周囲の空気がざわり、と動くのを感じつつエリーは笑みを作って王女の言葉に応えた。
「素晴らしいお茶会にございます王女殿下。楽しんでおりますわ」
「それは良かったわ。でももっと気軽に話して欲しいのに」
そう言ってすこし口をとがらせる王女の姿に後ろに控える3人の若い女性が揃って苦笑いする。彼女達が紹介したいと言っていた友人たちだろうか?と思ったエリーの予想はすぐに正解だとわかった。
「さ、それはそうとして彼女たちを紹介しないとね。みんな学園の頃からの親友なの」
そう言いつつ王女が軽く視線を送って合図をすると3人の内もっとも王女の側にいた女性が軽く前に出て膝を折った。
「シェーンベル公爵の娘、フランシーヌにございます。お知り合いとなれる栄誉を賜り大変光栄にございます」
「グラハム侯爵の娘、レベッカでございますわ。ご活躍のお噂はかねてより耳にしており、こうしてお会いできることを楽しみにしておりました」
「カロン伯爵の娘ヴァイオレットですわ、どうぞお見知りおきを。こうしてお話を出来る機会を頂き誠に感謝致します」
それぞれ三様の挨拶を述べつつお手本のような美しい礼をする3人。さすが王女殿下の御学友とだけあって家名だけなら下町にいる頃から知っていた名家の令嬢たちを前に固まってしまいそうな足を叱咤しつつなんとかゆっくりとエリーは膝を折って挨拶を返した。
いつも異常にギクシャクとしてしまったが、フランシーヌ達はそれを笑うこともなく、「こちらこそどうぞよろしく」、とおっとり言って微笑んでくれる。貴婦人のお手本のような振る舞いにエリーの緊張が最高潮に達しよう、という時、聞き馴染みのある溌剌とした声がエリーの耳に入った。
「さっきも言ったとおり、彼女たちはみんな王立学園時代からのお友達なの。今は城に上がって政務を手伝ってくれる時もあるわ。名のある家の子達ばかりだから緊張するかも知れないけど、実際は気取らない子ばかりだからエリーとも気が合うと思うの」
そう言うアデレード王女にレベッカは
「まあ! 気取らない、だなんて。でもエリー様のお話を王女殿下からお聞きして仲良くなりたいと思ったのは本当ですわ」
とクスリと笑いつついう。仕草としては確かにクスリ、なのだが、何やら王女殿下を睨んでいる気がするのは木のせいだろうか。まるで「余計なことを言うな」といったアテレコが付きそうな。いや、しかしこんな淑女のお手本のような女性が王女を睨むはずがない、と思い直したエリーは、
「嬉しいですわ」
と返し、微笑みを作った。
一方エリーは「さて」と軽く手を叩く仕草をすると、どうやら3人の中でもっとも家格の高いフランシーヌへ視線を向けた。
「紹介してすぐで悪いけど、私はまたお話しなければならないお客様がいるの。エリーは彼女も言ったとおり、こういった場に不慣れで周りの悪意ある言葉を振り払うのも苦手だわ。だから今日はできる限り一緒にいてあげて、エリーのことを守りつつ、こういった場所での立ち振舞を見せてあげてくれる?」
「まあ、もう行ってしまわれるの? 残念だわ、年明けの舞踏会以來だというのに」
すこし眉を下げて言うフランシーヌに王女も残念そうに答える。
「今日は私がホストだもの、仕方ないわ」
「それもそうね。エリー様のことは私達にまかせて! さ、エリーさま、こちらへいらっしゃって?」
そう言ってやや王女寄りに立っていたエリーを招き寄せると
「では王女殿下、またお会いできる時間を楽しみにしていますわ」
と言い、深く礼をとる。他の3人もそれに続くとアデレードは
「えぇ! 私も楽しみにしてるわ。フランシーヌ、レベッカ、ヴァイオレット、頼りにしてるわよ。エリーは頑張ってね」
そう言うと、踵を返し、奥の方へと消えていった。
アデレード王女の姿が見えなくなるとすっとフランシーヌが姿勢を戻し、エリーにほほえみかける。
「さぁ、エリー様。せっかくですし王女殿下が直々に選ばれた、というお茶を頂きましょうか」
そう言いながら彼女はすぐ側を通った侍女に視線で合図をした。
それからしばらくはフランシーヌ達と行動を共にする。アデレード王女の友人らしく、一つ一つの所作には気品があるが、一方で未だこういった場所になれないエリーに対してもそれとなく振る舞いを教えてくれ、他の令嬢たちと話す際には会話をリードしてくれる。彼女たちのおかけでエリーはなんとかつつがなくお茶会を楽しむことが出来ていた。
とは言え、彼女たちもまた、それぞれに名家の令嬢。ずっとエリーに構っているわけにも行かない。もうそろそろ陽も落ちてこようか、という頃。お開きになる前になんとか彼女たちに近づこう、という女性達がフランシーヌ達に次々と声をかけ、ふと気づけばエリーは一人会場に佇んでいた。
一人になると聞こえととたんに聞こえてくるのは本来なら受けるべくはずもない招待を受け、さらに王女の学友達を直々に紹介される、という特別扱いを受けるエリーに対するやっかみの声。
建前上は『特別』な存在であるがゆえに面と向かって悪口を言うような者は存在しないが、陰口も集まれば自ずと耳に入るもの。とくにこれまで盾となってくれていたライネルやアデレード王女、それにフランシーヌ達から離れたことで陰口とはいえあからさまにこちらを見て意地悪そうに笑う者もいた。
「シェーンベル嬢もおかわいそうに、本来なら王女殿下の右腕とも称されますのに社交に不馴れな彼女のお守り役とは」
「仕方ありませんわ、彼女は王女殿下のお気に入りですもの。例え実際は本来ならこの世界とは縁のないはずだった子爵家の娘さんだったとしてもですわ」
「どうせでしたら国に理のある相手に嫁げば良いもののよりにもよって魔法貴族と恋愛結婚ですしね。やはり特別な力を持っているからと言って、特別扱いするのもどうかとおもいますわ」
そう言ってクスリクスリと笑い声を漏らす。そっと特に声が大きい方をみると、そこには以前エリーがライネルに差差し入れを持って行った時に噂話をしていた令嬢もいるようだ。そして彼女たちの声は少しずつ大きくはっきりとしていく。悔しいが彼女たちの言葉は間違いのないことなので反論することも出来ない、とエリーが黙って唇を噛んでいると
「あら、なんだか不愉快なお話が聞こえてきますわねエリー様」
「え、えぇそうですわね」
あえてだろう、会場に響く声でエリーに声を掛けてきたのはこちらの様子をみて戻ってきてくれたらしいフランシーヌだった。
「せっかく王女殿下のお茶会に初めて参加なされたのに、陰口を言われるなんて、もうい嫌になられたのでは?」
「い、いえ、それは」
「そうよね、あぁお可哀想そうに。そんなはっきりとは言えませんわよね。ですがこの国を救われた方がこんな悲しげな顔をされているなんて、王女殿下が知られたら、王女殿下の右腕としてエリー様をお守りするよう名誉ある使命を頂きました私、なんと王女殿下に釈明すればよいか」
そう言いつつ、あたりを牽制するように噂話を繰り広げていあ令嬢たちを見回す。彼女の鋭い視線にこれまで声高に話していた令嬢たちはさっと視界から姿を消すように人波に紛れ込んだ。
「あの、助けて頂き大変感謝致します。シェーンベル侯爵令嬢」
「王女殿下に頼まれたのだから当然のことよ。あと、イーストル夫人の方が立場は上なのだから、そこまで丁寧でなくても良いわ。むしろ守られて当然! ぐらいの気でないと」
「そ、そうでしょうか」
「勿論。難しいでしょうけどあなたは王族に次ぐ身分ですわ。社交界での立ち位置はもっと高くて良いはずですもの。まあこれから覚えて行かれれば良いのですが」
さあ、行きましょう、とでも言うようにレベッカがエリーを導いて会場の中心へと向かう。エリーもこれに置いていかれないように、と彼女を追うのだった。