1 名案を思いついたのです
王都の東、アドレニア城。その一角にある宰相執務室の側に作られた小部屋で宰相筆頭秘書官のライネルは短いティータイムを過ごしていた。眼の前にはくるくると巻いた深い栗色の髪が特徴の女性が座っている。ここ最近なにかと彼の休憩時間にやってくるようになったエリーだ。
とはいえ表情豊かでいつも明るいエリーとのお茶の時間をライネルは嫌ってはいない。
ただ突然突拍子もないことを言い出すのが彼女の癖で
「ライネル様! 私、名案を思いついたのです。私と契約結婚してくださいませんか?」
「な、なにを仰っているのですか? エリー様?」
突然の予想の遥か斜め上をいく言葉にライネルは持っていたカップを取り落としそうになった。
「ですから私と仮面夫婦になっていただきたいのです。そしたら私の問題も、ライネル様の問題も万事解決ですわ」
そうあっけらかんとした笑顔で言うエリーにライネルは顔をしかめる。苦労していたせいか実年齢より大人びているように見えるエリーだが、それでいて子供っぽい面もある。気を抜けるのかライネルの前ではその傾向は特に顕著だった。それを知っているライネルはあえて険しい顔を作り眼の前の少女をたしなめた。
「エリー様。結婚というのはそう簡単に決めるものではありませんよ。まして契約結婚など軽々しく口に出してはいけません」
「だれでも良いから結婚しようというわけではないわ。きちんと相手は選んでるもの。ライネル様だから良いと思ったのよ」
その言葉に一瞬次の言葉を失ったライネルだが、すぐに復活し、小言を再開する。
「ですからまたそういうことを。勘違いさせるようなことをいうのではありません」
「だから、誰にでも言っているわけではないの」
ふくれっ面をするエリーとさらに顔のシワを深くするライネルの話は平行線を辿ったが、先に折れたのはいつもと同じくライネルだった。
「まあ、お説教はこの辺にしておきましょう。それで?どうしたらそんな考えに至るのですか?」
その言葉にエリーの表情はパッと明るくなる。その表情そのままの弾むような声でエリーは話し始めた。
「魔力暴走が落ち着いてこの国に平穏が戻って以来、私の立場が微妙なのは知ってるでしょう?」
「えぇ、そうですね。先程も散々不満を仰ってましたね」
エリーは貴族とは名ばかりの下町暮らしをしているマーシェル子爵家の長女だ。ところが半年程前、ちょっとした事故により彼女が「一度発動した魔法を抑える」という特殊な魔法を使えることが発覚した。
さらにそれが当時国中を悩ませていた魔力暴走、突然魔道具が必要以上の出力で暴走し火を吹く、という問題の解決策となることが分かり、彼女は王宮の指示のもと国中で魔力暴走の沈静化にあたることになった。
生来困った人を放っておけない達のエリーはあちこちで人々を救い、魔力を使いすぎては倒れてライネルを心配させたものだ。
それはともかく、エリーの頑張りとそれに並行して行われた魔法省と政務省の合同調査によって魔力暴走の報告件数は大きく減った。こうしてエリーはようやく重責から開放されることになり、もとの下町ぐらしに戻れるかと思ったのだがそうはいかなかった。
彼女は有名になりすぎたのだ。
彼女の魔法は特殊で、ライネル曰く「一昔前なら敵の魔力を無効化する切り札として使われたでしょう」というからおっかない。
幸い平和な現代においてそういったことはなかったが、外国を含め打算込みの求婚が山程舞い込んだエリーは、とりあえず高位貴族の振る舞いを学びつつ結婚相手を探す、と言う名目で城に滞在している。
しかし最低限のマナーは習っていたものの、下町育ちで高位貴族とは話が合わないエリーは城暮らしに辟易していた。
「まあ、そうですね。エリー様には同情しますが、王家としてはどこか信頼できる家に嫁がれるのが一番安心できる、というのも理解出来ます」
「でしょう? そこで契約結婚の提案なのです」
そこで満面の笑顔でそう告げるエリーにライネルは思わずため息をついた。確かに理解できなくはないが、なぜそういう発想になるのか。
「わかりました。つまり虫除け、というわけですね。たしかに私なら自分で言うのもなんですがあなたの現在の身分と釣り合います」
「なんなら私の結婚相手として浮上していたそうですわ。断ったそうですけど」
「私はまだ結婚は考えていません。少なくとも執務が落ち着いてからです」
「またそんなことを。陛下が心配なさっていますよ」
と、エリーが笑ったところで突然卓上の小さな木箱が眩しく光った。
「魔法電報ですね。失礼」
パチリ
ライネルが指を鳴らすと、木箱が開いて光が溢れ、部屋を満たす。そしてその光が収まると、箱の中には折りたたまれた紙片が入っていた。
「急ぎのお仕事ですか?ライネル様」
「いえ、どうやら釣書のようです。急ぎでも無いのに魔法電報を使わないで頂きたい」
紙片を広げ、一読してすぐに閉じたライネルは溜息をついた。
イーストル魔法伯爵、が彼の持つ爵位だが、これは彼の家が代々受け継いできたようなものではない。魔法が国の根幹をなすこの国では、特出して高い魔力を持つ者は国に保護されて魔法貴族という地位と高報酬を約束される代わりに、その力を国のために使うことを求めらる。
特にライネルは魔力が高いだけでなく、頭脳も明晰で、学院を卒業後は当時の宰相にその能力を見出され、魔法貴族としては珍しく政務省に仕官する。魔法省と政務省の調整役として頭角を現した彼は、魔力暴走沈静化の指揮を採ったことで一気にその名を上げ、国王には次期宰相までも打診される。
流石に経験が乏しいから、と宰相就任は辞退したライネルだが、代わりに宰相筆頭補佐官となり、また国王のお気に入り、として一気に結婚市場の有望株として知られることになったのだ。
以降、夜会に出れば女性に囲まれ、事あるごとに結婚を打診する手紙が届く。しかし魔法貴族、という代々続く貴族達からは下に見られがちな身分で苦労してきたライネルは、自分が有名になった途端に手のひらを返すような人々と親戚になりたい、とは思わなかった。
どちらにせよ魔法貴族の爵位はその子供が魔力を継がなければ一代限りのものなのだから一生独身でも良いかと考えていたところであった。
(エリー様の提案を受ければ少なくとも求婚攻めからは開放されるな)
そんなふうに考えてライネルは慌ててその考えを頭の隅に追いやる。
「いやいや、やはりそんなことよくありません。大体契約結婚、ということはいずれ解消するのでしょう。根本的な問題の解決にはならないのでは?それに大恩ある王家の皆さまへの裏切りにもなります」
「大体一年位が目安でしょうか?人の噂は短いものですからそれぐらい経てば周りの人も落ちついて新たな優良物件が現れているでしょう。それに……たしかに陛下には申し訳ございませんが、この話の発案者はアデレード王女殿下ですのよ」
「王女殿下?!それまたややこし……いえ、失言でした」
そう言いつつライネルはエリーが城に来て以来仲良くしている王女の姿を思い浮かべる。魔力暴走でエリーに助けてもらって以来、彼女のことをことさら気にかける彼女はエリーが社交界を渡る上でこの上なく頼りになる存在だが、あの何考えているかわからない笑顔と、奔放な振る舞いはライネルはじめ城仕えの者たちにとっては胃痛の種でもある。
「しかしアデレード王女殿下の発案でしたらなにかお考えがあるのかもしれませんね」
「えぇ、お姉様の考えはいつも素晴らしいもの。だから心配御無用。私もあなたも煩わしい結婚相手探しから少なくとも一年は開放される。いかがかしら?」
「そ、そうですね。たしかに魅力的な提案ではありますが」
「ライネル様もそう思うでしょう?私流石に疲れてしまったのです。だから……駄目でしょうか?」
そう言ってエリーは少し目をうるませつつ上目遣いにライネルを見る。
「いやその」
「やっぱり契約結婚なんて嫌ですか?」
そのエリーの表情にライネルは苦い顔をする。彼女のこの表情には弱いのだ。その上長女気質の彼女が「疲れた」と弱音を吐くことはほとんどない、ということを知っているだけに余計に。
そんな気まずい気持ちから目をそらすように視線をエリーから外すと今度は机に渦高く積まれた書類が目に入る。魔力暴走の事後処理もまだまだ続いている政務省は忙しい。にも関わらず今晩は王宮主催の夜会への出席予定もある。正直出たくはないのだが、宰相筆頭秘書官ともなると貴族たちの動向を掴むためにも社交をおろそかには出来ないのだ。そしてそこでまた着飾った女性たちに囲まれるのだろう。
そう考えて気が滅入ってきたライネルはだんだん彼女の提案がとても良いものに思えてきた。そうして視線を戻すと、こちらをじっと見つめるエリー。そうしてついにライネルは考えることを放棄した。