2話目:夜の蝶
泊まった部屋には香が焚いてあって、所望した『夜の蝶』は無口な類だった。
しんなりはんなりとした雰囲気で、演技ではなくそういうタチなんだろうと思った。
起きたのは昼前で、部屋の出張庭に出ると敷地内の風景が見えた。
筆先をつまんで伸ばしたような屋根がついた、精緻な堂。
芝は瑞々しく、周りの木々は雲のように茂っている。
一方、空の方はと言うと、今、雲は特にない。
空と堂と木々とが水面に映っていて、時々そよ風がその風景を揺すぶる。
出張庭のすぐ下から始まる池は、おそらく逃亡防止のためだろう。
ここの女たちは皆、護身術とその権限を持っている者達。
客との心中も、池では禁止されているらしい。
・・・夏の花火を思い出した。
暗い橋からきょうだいと共に見た、空に咲く花。
夜になると墨ほどに黒く見える川。
打ちあがるたびに水面はその情景を倍にして魅せた。
そこにそよ風が吹いて、なんだか心まで揺すぶる。
もう終わったのかと思うに続きのあるその空に打ち上がる花火。
雲の上の世界の話をされたばかりだったので、幼心、心配したんだった。
この音に、雲の上の存在が驚いてやしないかと。
雄叫びと女の気合の声にふと我に返ると、蹴り飛ばされた男が池に落ちた。
派手に水飛沫が散ったが、こちらにはかからなかった。
部屋から昨晩の女が羽織を持って来て、寝間着姿の私の肩にかけた。
どうやら池に落ちた客は泳げないらしいが、部屋に戻ることになった。
羽織の柄は男女兼用の蝶柄で、高級感が漂っている。
池に落ちたそいつがこれからどうなるか気にはなったが、着物を汚すなと言われた。
部屋に戻ったのは守衛がどうせ来るのだろう、と思ったからだ。